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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅲ

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「さっき階段で、ちょっと、転んで……」
 取りあえず適当な言い訳をしようとして、美紗は途中で口を閉じた。会議場があった建物の、階段踊り場での光景が、にわかに頭の中に浮かび上がった。日垣の恐ろしく冷たい視線が、身体を調べられた時の彼の手の感触が、鮮烈に蘇る。キーボードの上の手が震えた。それを富澤に見られないよう、ぎゅっと握りしめた。
「少しだけ、休んできて……いいですか」
「大丈夫? 捻挫でもしたんじゃない? 医務室に行って診てもらったら……」
 富澤が言い終わる前に、美紗は席を立ち、第1部の部屋から走り出た。出入り口からさほど遠くない場所にある化粧室に飛び込むと、個室に入って吐いた。昼食を取ってからすでに三時間以上経っていたせいか、ほとんど出るものはなかった。それでも、吐き気は治まらなかった。早く戻らないと「直轄ジマ」にいる二人に怪しまれる。胸に残る不快感をこらえながら、美紗は個室のドアを開けた。
 いつの間に入ってきたのか、スラリと背の高い女が、洗面所の大きな鏡の前で化粧直しをしていた。決して若くはないが、洗練された都会的な雰囲気に満ちている。美紗の記憶では、確か総務課の所属だ。
 ベージュ基調のスーツの上着に「吉谷綾子」と書かれた名札を付けた彼女は、自分の背後を歩く新入りの女性職員が口元を押さえている様子を見逃さなかった。
「鈴置さん? どうしたの?」
 顔を隠そうと下を向く美紗に、吉谷は、ブランドものの色鮮やかなハンカチを差し出した。
「私もう終わったから。ここ、ゆっくり使って」
 柔らかな笑みを浮かべた吉谷は、美紗が何か言うより早く、化粧室を出て行ってしまった。また独りになった美紗がふと鏡を見ると、こわばった蒼白な顔が、今にも気を失いそうに震えていた。