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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅲ

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「お待たせいたしました」
 マスターの渋めの声が、二人の間に入り込んできた。日垣が手を上げて合図をすると、衝立の向こうに立っていたマスターは、日垣には琥珀色の水割りを、美紗の前には冷水の入ったグラスと夏野菜がふんだんに盛られたパスタ料理を置いた。
「七階に入っているイタリアンレストランのものですが、こちらが今、女性のお客様に一番人気の冷製パスタなんだそうですよ」
 無口そうに見えたマスターは、にこやかな笑みを浮かべた。そして、涙顔を隠そうとする美紗にそれ以上話しかけることなく、静かにその場を離れた。
 日垣は、ほっとしたように顔をわずかにほころばせると、温かみのあるアイボリー色のソファの背にもたれた。水割りを少し口に含み、思い出したように、美紗に声をかけた。
「すきっ腹にアルコールはダメだ。それを全部食べたら飲んでいい」
 美紗は、目の前に置かれた色鮮やかな料理を見つめた。前日の夜からほとんど何も食べられずにいた。一日ぶりの食事となったスパゲティは、清涼感の溢れるスパイスが効いていて、とても美味しかった。言われたとおりに完食すると、日垣はカクテルのメニューを美紗に見せ、耳に心地よい低い声で尋ねた。
「アルコールは弱くなかったよね。好きなものはある?」
 美紗は緊張しながらマティーニを指さした。


       ******

「この席で、すごい話をしていたんですね…」
 征は上ずったかすれ声を出した。丸い藍色の目がますます大きく見開かれ、まじまじと美紗を見る。美紗は、適当な相槌も思いつかず、征の視線を避けるように、窓の外に広がる夜景を見た。あの時と、同じ景色が広がっている。十五階にあるバーで誰がどんな話をしていようが、都会の街は、無機質に光るばかりだ。
 自分がもっと気丈な人間だったら、あの人に余計な気遣いをさせずに済んだのかもしれない。あの後、この店に来ることがなければ、共通の秘密を抱えた二人は、それ以上交わることなく、それぞれの人生を歩んでいったのかもしれない――。

 夜の街明かりに浮かぶ追憶を、剣のある声が遮った。
「そんな大事なことを、僕なんかに軽々しくしゃべっていいのですか?」