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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏(番外編)9.紗弥の章 ハロー、ブルーバード

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                 ***

 翌日、澄み渡るような青空のもと、挙式の準備が進んだ。

 控室に座るドレス姿の紗弥を見ただけで、母はハンカチで目元をぬぐい、父はこっそり鼻をすすり上げている。「泣くのはまだ早いわよ」と軽く言ったが、それが余計に感傷をさそったようで、父はそそくさと部屋を出て行った。笑っている小雪と母と入れ替わりに、新郎の綿谷が入室する。

「……きれいだ」

 タキシード姿の綿谷は、ため息をつくようにそう言った。自然と口元がほころぶ。危惧していたコンタクトレンズもすんなりと入って、フルメイクをされた自分が鏡に映っている。

「綿谷さんこそ、どうしたの、その頭。決まってるじゃない」
「寝起き頭のままきたら、武に怒られたんだよ。ワックスつけてやるから頭かせってね」

 綿谷は照れくさそうに顔をかく。それから紗弥の耳元で囁くように言った。

「あのさ、君ももう綿谷になるんだから、その呼び方はないんじゃない?」

 今言ったことを思い返す。いつもの癖で「綿谷さん」と呼んでいたことに気づいて、紗弥は顔を赤くする。それから咳払いをして、鏡越しに彼を見つめる。

「……賢吾さん?」
「うん、それでいい」

 綿谷が満足そうにそう言うと、メイクのスタッフがくすりと笑った。

「あとは……新郎様の胸ポケットに入れるお花ですね……少しお待ちください」

 そう言うと、紗弥より若いスタッフはあわただしく部屋を出て行った。途端に、室内に静けさが満ちて、夢と現実のはざまに立たされた気分になる。
 紗弥が白い手袋に視線を落すと、綿谷がそっと言った。

「……未練は、まだある?」

 昨日、断ち切ってしまった問いかけが耳の奥に届く。破り捨てた折り紙の感触が、まだ手の中に残っている。
 紗弥はぐっと手を握りしめると、口を開いた。

「それはもうないんです。ただ……幸せのあとに何かあるんじゃないかと思うと、怖くて」

 綿谷はただ黙って言葉を待っている。紗弥は覚悟を決めて、思いを口にする。

「施設から出たとき、本当に嬉しかったのに、引き取ってくれた養父はそのすぐ後に事故死してしまったんです。母が再婚して荻野家に住むようになった時も幸せでいっぱいだったのに、父方の祖母が亡くなってしまって。なんだか自分が幸せになるたびに周りの人を不幸にしてしまうんじゃないかって、ずっと不安で……」

 言い切らないうちに、紗弥の肩を綿谷が持った。シンプルなウェディングドレスからはみ出した素肌が、彼の手のひらの熱で温められていく。

「君が不安になったときは、僕がいるよ」

 緑の縁の眼鏡の奥に、優しい瞳がある。鼻の奥が痛くなるのを感じながら、紗弥は続ける。

「でもあなたまで不幸にしてしまったら……」
「その時は君がいるじゃないか。そのために僕らは結婚するんだよ」

 そう言って優しく肩を抱いた。役に立ったり、支えたりするために結婚するのではなくて、苦しみを分かち合うために一緒になる――

 そう考えた途端、胸がはち切れそうになるくらい膨らんで、一粒、涙がこぼれ落ちた。

「おっと、泣くのはまだ早いよ」

 おどけるようにそう言ってハンカチを取りだした綿谷のうしろから、若いスタッフが姿を見せた。慣れた様子で紗弥のハンカチも素早く取りだし、涙がおさまるのを待ってメイクを直してくれた。

 武と再会するまで、奇跡を信じたことはなかった。何の因果か自分は不幸になるために生まれてきて、救いの手などどこにもないと思っていたところに、さし出された手があった。すがりつきたい気持ちをこらえながら、けれど離さないでほしいと願いながら、多くの人たちと手をつないだ先に、綿谷が待っていた。

 今日から彼と手をつないで歩いていく――手渡されたブーケを握りしめながら、紗弥はさし出された手を取った。



 人前式によって執り行なわれた挙式のあと、参列者によるフラワーシャワーが待っていた。初夏の晴れわたる空に、真っ赤なバラの花びらが舞い上がる。最前列で待っていたのは紗弥の同期生たちだ。「紗弥きれいだよー」と本気で泣いている友人もいれば、「幸せになりやがってコノヤロー」と満面の笑みで、綿谷に花びらをぶつけるものもいる。

 淡いピンク色のドレスを着た小雪が花かごを手に、後列に並んだ親族たちに花びらを配っている。その姿をそっと武が見守っている。

 無数に舞い上がる花びらを受けながら、紗弥はまっすぐに進んだ。

 花かごを持ったままふりむいた小雪に、ブーケをさし出す。

「幸せになりなさい」

 そう言うと、小雪は目を丸くした。本来なら参列者に投げるはずだったブーケを、血のつながらない妹がそっと受け取る。

 誰よりも彼女の幸せを望んでいた。それは、彼女がくれた無償の愛が、紗弥の固くなった心をときほぐしてくれたからだった。彼女が恋に破れて苦しんでいたとき、紗弥も同じように胸を痛めた。姿を消した武を探して押しかけてやろうかと何度も思ったが、彼らのためにならないとわかっていたので断念した。

 これからの小雪の幸せは、自分ではなく、この長身の男に託す他ない。

 綿谷が同期生たちに絡まれているすきに、紗弥は武に言った。

「次、泣かせたら承知しないわよ」
「おまえの鬼の顔には慣れてる」

 よそをむいたまましれっと言ったので、紗弥は空いている手で武の腕をつねった。

 武の悲鳴に驚いた小雪がこちらをむく。紗弥は姉の顔で花の精のような妹を見守る。武はため息をつきながら、そっと小雪の手を握る。

 ふいに頭の中で『バイ・バイ・ブラックバード』が流れる。綿谷が店名にこめたもう一つの願い――それは、最後のコーラスに登場する「ブルーバード」の存在に他ならない。

 ――幸せの青い鳥、今日は私の幸運な日。いま私の夢がかなうのよ。

 紗弥は綿谷の腕を引きよせる。足をふらつかせながらも、紗弥に調子を合わせてくれる。最後列で一度ふりかえり、二人は大きな鐘の下で視線を合わせる。

 すると突然、綿谷が紗弥を抱え上げた。その瞬間、地面の左右からシャボン玉が吹き出した。

 驚いた紗弥が目を丸くしていると、綿谷は楽しそうに笑った。Vサインを送ってくる愛美や信洋の様子を見る限り、紗弥へのサプライズ演出だったらしい。

 私をだますとはいい度胸だ、と言わんばかりに彼らを睨みつけると、それも予想の範囲内だったのか、同期生たちが指笛を吹きならした。

 紗弥は綿谷にしがみついた。こぼれ落ちそうになる涙を誰にも見られたくなかった。

 始まりの鐘が鳴る。明るい未来を祝福するように、シャボン玉は空高く昇っていく。
 
 

 ハロー、ブルーバード。私はこの人と共に生きていく――

                              (おわり)