小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

切れない鋏(番外編)8.綿谷の章 バイバイ、ブラックバード

INDEX|5ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

 ゆっくりと顔をよせると、突然、紗弥が目を開いた。眼鏡をかけていない素顔のままで綿谷を見つめてくる。思わず息を止めると、紗弥は綿谷の肩を押して起き上がった。

「どうして……ここに」

 起き抜けのかすれた声でそう言う。綿谷はずれた眼鏡を押し上げて言った。

「どうしてって、君が入院なんてするから」
「誰に聞いたんですか」
「誰って……そりゃあ」

 言葉を濁していると、紗弥は頭を抱えてため息をついた。

「……小雪ですよね。誰にも連絡しなくていいって言ったのに」

 憎々しげにそう言って顔を反らすので、綿谷は思わず紗弥の頭を抱きよせた。

「とにかく無事でよかった……」

 紗弥の頭を抱いたまま安堵のため息をつくと、予想に反して紗弥はじっとしていた。
 真っすぐな黒髪をなでながら綿谷は言う。

「……どうして店に来なくなったの?」
「……最初は……ちょっと困らせてやろうと思っただけで……」

 口ごもりながら紗弥は言った。綿谷が見下ろすと、紗弥は胸に顔をうずめてしまう。
 ギプスをしていない右手を取ると驚いたように顔を上げたが、なぜか涙ぐんでいるようだった。くちびるをきつく結びながら、またうつむいてしまう。

「……だって私が会いたいばっかりじゃ悔しいから、日を空けたら気にしてくれるかなと思って、そしたら本当に仕事が忙しくなって、行かないうちに言い訳はどんどん膨らんで、久しぶりに行ったらどんな顔をするだろうって無駄な期待ばかり膨らんで……綿谷さんから連絡がくるわけでもないのに……」
「会いたいって、僕に?」
「他に誰がいるんですかっ!」

 腕の中でしおらしくしていたかと思えば、紗弥は突然かぶりをふった。意表をつかれた綿谷は、彼女の赤くなった顔から目が離せず、笑い声を上げてしまった。

「どうして笑うんですか!」

 綿谷のシャツにしがみついたまま、紗弥は叫んだ。瞳はうるんで耳まで赤くなっている。綿谷はこみ上げてくるくすぐったい気持ちをこらえきれず、紗弥の細い体を抱きしめた。

「本当に君って人は……」

 紗弥の小さな顎をすくい上げて、口づけを落した。夕日がさしこむ病室は静かで、紗弥の胸が上下する音さえ聞こえてきそうだった。

「もう会えないのかと思うと、胸がつぶれそうだったよ」
「……本当に?」
「君の作戦は成功したようだね。けどもう、こんなことはナシだよ。次やったら僕が君の所に押しかけていくから」
「……薬をもらいに?」
「そう。頭痛薬と、あと胸の痛みを押さえる薬をもらいに……」

 そう言ってもう一度口づけようとすると、扉の開閉音が聞こえた。小雪が戻ってきたのかとあわてて体を離すと、扉のむこうには意外な人物が立っていた。

「……武?」

 地毛の黒髪を短く切りそろえた武が、夕陽を浴びて立っていた。見間違えようもないその気だるそうな立ち姿に、綿谷の胸は軋んだ。

「おまえ……どうしてここに」
「どうしてって、こいつが来いっていうから」

 淡々とした口調でそう言うと、武のうしろから細身の男性が姿を見せた。四月に『ブラックバード』を巣立っていった武の後輩のトランぺッターだった。

「武さんのことだから、ジャズの聞ける店に顔を出してるんじゃないかと思って、あちこち訪ねて回ったんです。そしたらセッションに出てるって噂の店があって、その場でつかまえてきました。綿谷さんがここにいることはスタッフに聞きましたよ。俺、有言実行しますから」

 まだ幼さの残る顔でにっこりと笑ってそう言うと、武は彼のうしろ頭をはたいた。

「おまえのせいで今夜のセッション、出られなくなっただろ」
「せっかく間を取り持ったのに、感謝の言葉とかないんですか?」

 後輩がそう言ってつっかかっていくので、綿谷は思わず吹き出した。腕の中にいた紗弥もいつの間にか体を離して、困ったように笑っている。
 武はつかつかと病室に歩みを進めると、紗弥を見下ろして言った。

「……おまえ、また事故ったんだって?」
「あんたには関係ないでしょ」
「車に乗るの、やめればって言っただろ」
「歩いてたら自転車がぶつかってきたのよ」
「……どうしようもないな」
「そうよ。この反射神経を持ってしても、どうしようもなかったのよ」

 紗弥がそう息巻くと、武は笑い声を漏らした。彼らのやり取りに慣れている後輩が「紗弥さんって運動神経、抜群ですもんね」と横やりを入れる。紗弥は「うるさいわね」と言って後輩に向かってハンドタオルを投げる。綿谷も一緒になって笑い声を上げた。

 そこへ小雪が戻ってきた。武の姿を認めるなり、彼女は大きく目を見開いた。

「タケ兄……」
「島田さんとこに弟子入りしたんだって? こいつから聞いたよ」

 二年の空白などなかったように武はそう言って、また後輩の頭をはたく。武の結婚が破談になってから、彼らの間でどういう会話がなされたのか、綿谷は知らない。けれど見る間ににじんでいく小雪の瞳を見ているだけで、彼女の気持ちは手に取るようにわかる気がした。

「小雪、財布とって」

 停止した空気を破るように紗弥は言い放った。備え付けのロッカーを指さして、小雪の動きを操作する。
 小雪が引き出しの中から財布を取りだすと、紗弥は言った。

「人数分の飲み物、買ってきて」
「あ……うん、わかった」

 言われるままに小雪が部屋を出ようとすると、紗弥は武を見てさらに付け加えた。

「小雪ひとりじゃ持てないからあんたも行ってくるのよ。そのついでに一時間くらい立ち話してきてもいいから」

 早口で言いきると、さっさと行けと言わんばかりに手のひらをふる。つられて後輩まで外に出ようとしたので、紗弥はベッドに座ったまま「あんたはここにいなさい」と引き留めた。
 二人の背中を見送ったあと、綿谷は感慨に浸りながら言った。

「どこまでも君はお姉さんなんだね」
「そうよ。最愛の妹のためなら、何だってするわよ」

 そう言いながら、彼らが出て行った戸口をぼんやりと見つめる。紗弥と武の絆は、恋愛感情はなくても、共に守りたい小雪の存在がある限り、切れることはないのだろうと感じた。
 武の影は消えなくても、紗弥の過去に寄り添うことはできるはずだ――そう覚悟を決めて、綿谷は店から持ってきたタッパーを取りだした。

「休憩時間に食べるつもりで作ってきたんだ。紗弥ちゃんも一緒に食べよう」

 ブレンドコーヒーの水筒を取りだすと、そばに立っていた後輩が「俺の分もありますよね!」と期待に満ちた目を向けてきた。

「あんたまだいたの。さっさと帰りなさいよ」
「ええっ、せっかく武さんを東京から引っぱってきたのに、ひどくないですか?」
「タイミング激悪だわ」

 紗弥は冷たくあしらったが、後輩も慣れたもので、なんだかんだと食ってかかる。

「先にブラックバードに戻っててくれる? あとで君の好きなもの、何でも拵えるからさ」
「綿谷さんまでひどいですよ……わかりました。男に二言なしですよ」

 泣き真似をしていたかと思うと、彼は途端に姿勢を正してそう言った。