お蔵出し短編集
3
邪悪なその魔法使いは蝋のように白く痩せこけた頬に厭らしい微笑みを浮かべ、皇帝を見た。
「汝が傲慢の罪を詫びるなら、今が最後の時で、その時ぞ」
魔法使いはそう言って、けらけらと笑い声を上げた。
黒いローブの下から伸びる細い枯れ枝のような腕には、伝説にしか存在しないと云われ、それを見た者は最早この世にはひとりと無いと云われた『真理の杖』こそが握られている。
「傲慢とは何か」
皇帝はそう呟いた。
「儂は唯一にして絶対の存在。唯一無双にして独尊。その我に向かって、何の傲慢を問うという。或いは」
皇帝はそこで一度言葉を切って、にやりと口元を歪めた。
「―――お前は、神に逢っても傲慢を詫びるよう求めるつもりなのか?」
その皇帝のひと言に、魔法使いが怯んだ。
いや、怯んだと云うよりは、戦いた。
「黙れ!」
直前までの厭らしい微笑みをかなぐり捨て、魔法使いは叫んだ。
「黙れ、黙れ、黙れ!お前はどこまで傲慢で在るのだ!お前は自身を今神と並べて語ったも同然!私は神などという存在は、いや、糞の様な『概念』は最早認めぬし、お前がなお自身を『そう在る』というならば、お前はやはり絶対的な敵だ!」
もげそうな勢いで頭を振り続け、その魔法使いは煩悶するかの様に叫び続けた。
圧倒的優位に立つのはここでは魔法使いのはずだ。
皇帝の軍は既に完全に沈黙し、此処には皇帝ただ一人が立ち尽くしている。
皇帝は所謂囚われの身のはずであった。
しかしどうだろう。
戯れに詰問するはずの魔法使いは、皇帝に完全に負けている。
魔法使いにはもう言葉は無かった。
ただ魔法使いは、自身を満たす方法を懸命に考え、その結果在る結論に辿り着いた。
そして無言で握る真理の杖を振り上げ、脳裏に浮かんだ滑稽な様子に邪悪な微笑みを今一度浮かべた。
「成る程お前は皇帝だ。生まれついての皇帝なのだろうよ。しかし、それはお前が今、『そう在るから』だ」
皇帝は泰然と微笑み続け、魔法使いの話に耳を傾けている。
それはまるでそうするのは、皇帝たる者が下々の者に対して行う当然の勤めであると云わんばかりに。
だからそれがまた魔法使いの逆鱗に触れた。
それと同時に、魔法使いに自身が今、正に行おうとしている事に対して、より深く内心の溜飲を下げるであろう想像をもたらした。
「ならば、『こう在れ』。こう在って、いずれそれを『永遠と為れ』」
魔法使いはそう呟くと、真理の杖を皇帝に向けて振り下ろした。
皇帝はそこから放たれる黒く邪悪な波動を、その身に一身に受けた。
その間、腕組みをし立ち尽くし、微動だにする事はなかった。
『避ける』という言葉は皇帝の辞書にはないとでも言わんばかりの、堂々を極める姿勢だった。
ずるり、と皇帝のたくましい腕から肉が剥がれた。
膝が折れ、髪がごそりと抜け落ちる。
ふわりと纏っていた服が地に沈む。
「お前に告げる」
皇帝が朽ちていく自身の肉の中で、そっと口を開いて呟いた。
「儂はお前のこの狼藉を許す。皇帝は万物に寛大で、圧倒的に悠長でなければならぬからだ。しかし」
皇帝の上唇がぼろりと落ちた。
そして鼻の下から骨がめりめりと付きだし、骨格が変化し始める。
「儂の民を屠った事には報いを受けて貰わねば為らん。今はその命をしばらくこの世に留めおこう。だが、すぐにだ。儂はお前をこそ屠りに征くだろう。許せ。しかし他に道を正す術は、ない」
皇帝の声はどこまでも、例えて云うならば凪の海の様に穏やかで、深く魔法使いの胸を打った。
だからこそ、
魔法使いはその言葉が自身への死刑宣告である事に気付くのが遅れた。
そして、気がついた次の瞬間、魔法使いは―――
―――その言霊の重みに耐えきれず、発狂した。
闇雲に振るった真理の杖は、途端に未曾有の奇跡をそこにもたらした。
巨大な竜巻が巻き起こったのだ。
しかも、黒く、闇の渦が万物を飲み込まんとするかの様な、圧倒的かつ強大無比な、伝説にこそ姿を現す竜の姿の如く。
皇帝は渦に飲まれた。
舞い上がり、西の大地から飛ばされ、空へと舞い上がり、消えた。
後にはただ、
かんらかんらと馬鹿の様な魔法使いの哄笑が、
空しく哀れな姿でそこにただ響き、
残り続けるのみだった。