お蔵出し短編集
これも彼がこの世界で生きる中で身につけた状況判断能力の成果だ。
誰かが握った手を、彼は力強く引いた。
手は彼を引き返し、岩の上に戻した。
からからと小石が彼の代わりに落ち、彼は、再びこの地上にその足で立つことが出来た。
一瞬遅れてぞっとする感覚が彼の背筋を登りあがった。
―――助かった。
彼は空を見上げた。
なぜかそこで魔女が笑っているような気がした。
右手を見た。
そこに掴まれていたのは、ただの太い蔦だった。
彼にはしかし、それがなぜか手に感じられたし、暖かみと、握り返す感覚を確かにそこに覚えていた。
だが、改めて見た蔦はやはり蔦で、そう思うとそこに握り返す感触も、熱も、感じていたモノは空想であると、彼の『現実』が彼にはっきりとそう示した。
それでも、
『お前の先祖様が、お前の好きな人が、今はこの世界にいない全ての善霊が、きっとお前を守ってくれるさね』
魔女の言葉がもう一度、彼の中に還ってきて響いた。
今日はハロウィン。
魔女はそう言っていた。
足が滑ったのが悪霊の仕業なら、蔦を伸ばしたのは善霊の仕業なのだろうか。
それは彼の人生観にはそぐわないものだった。
あらゆる『現実』だけが占める彼の人生に、そっと落ちてきた雫のような概念だった。
それまでであれば、彼は受け入れることはなかっただろう。
妄念は人生の足を引っ張ることはあっても、何かの足しになることはないはずだった。
しかし、
それでも良いと彼は想った。
そして魔女のことを思い、少しだけ微笑むと、それまでよりもう少しだけ慎重に岩の間を跳び、『住処』へ向けての家路を急いだ。