お蔵出し短編集
国道沿いにしばらく走ると田舎道に出る。
ぎらつく太陽の陽射しを浴びながらエアコンを効かした車が県道何とか線を東に走ると、山沿いの道はやがて川に沿った。
「どこに行くの?」
と僕は叔母に尋ねた。
ハンドルを握りながら叔母は相変わらずにこにこしている。
そして、
「秘密」
なんて言われた日には、僕は困った風に眉根を寄せるしかない。
だから僕はドアに頬杖を突いて窓の外を見た。
流れる景色は町並みを離れ、空気の綺麗そうなどこかへと僕を運んでいくようだった。
県道を外れさらに進み、少し丘のようなところを登っていくと、やがて辿り着いたところはちょっとした大きさをした一軒の建物だった。
それは広場と併設されて角張った形で、黒っぽい平屋のような作りをしていた。
黒光りする石の門柱に「ワイン工房」と書かれたそこは、どこか泰然としたような雰囲気に包まれて俗世離れして見えた。
滑るように車は駐車場の中に入り、その一角でエンジンを止めた。
「行こうよ?」
と叔母が言って、車から降りた。
だから僕もそれに従った。
で、僕は未成年なのでお酒を飲むことは出来ない。
正直に言えば飲んだことがないとは言わないが、今のところ美味しいと思った事はない。
そして叔母は車を運転している。
つまり、ここで叔母はお酒を飲むことは出来ない。
とはいえ、別にこういったところに来たからと言って必ず試飲をしたりとかお酒を飲む訳でもないだろうし、深く考える必要はないのかも知れない。
黒檀のような色をした扉を押し開けると、カランと乾いたベルの音がして、目の前には板張りの床が広がった。
まず目に飛び込んできたのは左の壁沿い並べられたワインのボトルだった。
そしてフロアに備えられたテーブルの上にはクッキーなどのお菓子が箱詰めされて置かれ、右手にはお土産の小物などが並べられていた。
だけど僕の気を引いたのは、実はそのどれでもなかった。
訴えかけてきたのは視覚にではなかった。
それは嗅覚だ。
扉の向こうから流れてきたのは、何とも言い難いほどのふくよかな甘みを感じさせる葡萄の香りだった。
酸味を奥底に含みながらも、べったり甘ったるい訳でもなく、でも爽やかと言うには少しだけ人にすがりつくような、まとわりつくような感覚を残した、瑞々しいばかりの甘い香り。
「わあ!」
と声を出したのはやはり叔母だった。
こういうところで、やはり叔母は素直なのだと思う。
僕はと言えば香りの存在感に圧倒されたからか、正直言葉も出なかった。
『わあ!』の後に『良い匂い』とは続かなかったが、そこにそんな言葉があることは叔母の輝く瞳から明らかだった。
叔母が僕の右手を取って、ぐっとそれを引いた。
「見ようよ!あれこれ見てみよう!」
だから情けない話なんだけど、僕はそのまま叔母に手を引かれてその建物の中に足を踏み入れる格好になった。
結局、僕がそのワイン工房の中を見て回って分かったことは、そこは契約農家との間で取れたての葡萄も販売していたと言うことだ。
だからワインの他に小物や葡萄にちなむお菓子もあれば、新鮮な葡萄そのものもあった訳で、充満する香りはそれが原因であると分かった。
叔母はといえば、実は知っていた。
というよりも、それが目的だったらしく、叔母も実はお酒はそんなに好きではなかったのだ。
新鮮な、びっくりするほど甘い葡萄が安く、大量に買える。
そんな理由から叔母はこの建物に行ってみたいと、その存在を知った昨シーズンから思っていたらしい。
『異世界的な』と表現して良いようなその建物の佇まいを満喫して、叔母は紙袋ふたつ分の大量の葡萄を買いこんだ。
「どうするの?」と僕が尋ねると、叔母は逆に不思議そうに「食べるんだよ?」と返事をした。
一袋は僕が抱えた。
歩くと袋の中から葡萄の匂いが立ち上り、甘い香りがSF映画のバリアーのように僕たちを包んだ。
車に乗り込むと、車内にも甘い匂いがすぐに満ちた。
それは幸せな香りだった。
心をくつろがせ、受験勉強に疲れていた僕の神経をそっとほぐしてくれた。