お蔵出し短編集
「ドライブ行こうよ!」
叔母はいつものように、五月の晴れた空みたいに快活な調子でそう言った。
僕はと言えば、参考書に刻み込まれた細かい文字を読み込みながら、くたびれてアンモニア臭がするウニになったんじゃないかって言うような脳みそを叱咤しつつお勉強に励んでいた。
来春は受験なのだ。
受験生に休日はないのだ。
特に僕のような一次志望の大学に手が届くかどうかと言う微妙な成績の持ち主としては、過ぎゆく時間の一瞬一秒に追い立てられるような恐怖を、しばしば背筋の触れる冷たい誰かの手のようにすら感じる事がある。
とはいえ、叔母が『良い返事』を求めていることはその空気感でひしひしと分かったし、僕より三つも年上のはずのこの人妻は、時々僕のそんな事情などほとんどお構いなしにこんな事を提案して来ることがある。
つまりはある意味『天然素材』なので、決して悪気がある訳じゃないところがまた僕をして『お断り』に消極的な気分にさせる。
参考書から視線を上げると、叔母は僕の方を見てにこにことしていた。
結婚して姻族になって一年、叔母はよく僕の家にやってきては自宅のようにくつろいでいく。
叔父が仕事の関係で方々に出張することが多いため、母が食事に誘ったのがきっかけで、今では一室が半ば叔母に与えられた格好になっている。
そして僕はと言えば、歳の近い叔母のいい付き合い相手にさせられることになり、彼女に振り回されることが今では生活の一部となっていた。
「勉強、もう3時間以上もぶっ通しじゃない?そろそろ息抜きしないと脳みそがくたびれちゃうよ?」
そしてそんなことを言いやがる。
でも、それはその通り事実でもあった。
こうした時に『お断り』をすることは可能性の上では、可能だ。
しかしそうすると彼女は叱られた子犬のような哀れっぽい肩の落とした方をして、その結果妙な罪悪感すら僕に感じさせる。
僕にとって僕の都合が優先されなかったのは、そうした叔母と僕の事情があったからで、だからこの時も僕はさっさと抵抗を諦めてパタンと参考書を閉じた。
それを見て『待ってました』とばかりに叔母がさらに明るく微笑み、僕に向けて『決まり!』とでも言うように胸の前でぱんっと手を合わせてみせた。