お蔵出し短編集
僕はポケットの中から手紙を取りだした。
そこには、宛名が書かれていた。
しかしその宛名は、名字のみではなく、しかも封がされていて開封された様子すらない。
出されなかった手紙なのかも知れない。
だから僕はその中に何が書かれているのかも分からない。
だけど、
ひとつだけ、はっきりしていることがある。
それは外見的に明らかなことだ。
そこに書かれている名前は、宛名は、
―――フルネームで、つまりは僕の母のものであったのだ。
僕はその手紙を、封を開けずそのままに、母の部屋のドアの外に置いた。
母がそれを見て、あるいは手紙を開封し、読んで、何を思うのかは僕にははっきりとは分からない。
だけど、
僕の中の半分だけの父親が、それを是としている。
僕の心の中で、青白い幽霊の顔をして、にこにこと微笑んでいる。
やがて、訪れるその時に、母はどんな顔をするのだろうか。
文には何が綴られているのだろうか。
僕には想像すらつかないのに、僕の中にある父の幽霊は、黙ってみていろとばかりに、僕に観客で居ることを促す。
僕は台所で電子ケトルを使ってお湯を沸かした。
インスタントコーヒーをマグカップに二匙入れて、そこに湯を注いだ。
湯煙が立ち上がり、併せてふわりとわき上がるコーヒーの香りに包まれて、僕は台所のテーブルに備えている椅子に着座した。
母の部屋のドアは、ここからまっすぐ見える位置にある。
僕は黙って、母がドアを開けるその時を静かに待つことにした。
<了>