お蔵出し短編集
父は、仕事を辞めたあとはしばらく趣味の読書や映画鑑賞に時間を費やしたが、すぐに退屈し始めた。
その後、半年したところでコンビニでバイトを始めた。
父はそうしているうちに、また活き活きし始めた。
やはり、人間は何かする事がないと、その生気を失うモノなのだろう。
そう言えば福沢諭吉がその名言として「世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です」とかいう事を言っていたらしい。
僕たちを守るためかつて心身をすり減らして働いてきた父は、擦り込まれた仕事生活の中で逆説的に、あるいはその意味がよく分かっていたのかも知れない。
そして二年半が過ぎた頃、事件は起こった。
父は、死んだ。
交通事故だった。
『人間の運勢には絶対量がある』という話は良く聞く。
だとすれば、宝くじを当てた父は、その絶対量を使い切っていたのかも知れない。
ある夜、コンビニの夜間シフトが終わって帰宅中、おしゃべりなタクシー運転手がうっかり客との話に夢中になって、赤信号を見落とした。
父はその時、たまたま横断歩道を三分の一ほど渡っていたらしかった。
気づかずそこを横断中だったのか、驚いて立ち止まったのか、父がその瞬間どうしていたのか詳しい事は分からない。
ただ、父は結果としてそのタクシーにはね飛ばされ、路面に頭から落下し、そのまま、還らぬ人となった。
―――というのが、一週間前の事だ。
葬儀は当然に家族葬だった。
僕らは宝くじを当てて父親の自由を得ると同時に、それまでのしがらみを良いモノも悪いもの含めて全て捨て去ることにしたのだから、それ以外に選択肢はなかった。
せめて、父も母も両親が既に他界していたり、兄弟が無く一人っ子同士だったことがまだ救いであったと言えなくもない。
それ以外の家族親族は、申し訳ないが見捨てることにした。
何しろ『あの電話』がかかり始めた頃の不気味さや、それが日々増していく不安感は筆舌に尽くしがたいモノがある。
親戚全てを信用していないわけではない。
でも、親戚全てを信用できるかと言えば、残念ながら答えは否だった。
そうした所謂『消去法』で捨てたしがらみに、いまさら便りを出すことは憚られた。
例えそれが『父の死』という代え難い出来事であったとしても、父がそれを選択した以上、残された僕たちはその意思と意図を尊重するほかに道は無いと言えた。