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血と肉。

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5.
汗と血と吐瀉物で何着も服を汚し、洗濯しても乾く前にまた洗濯物が溜まります。
予備を含めて全てを洗い、残っていたのは唯一の村の名残。
祖母から貰った一張羅の着物。花嫁衣装。

自分の病状は自分が一番識っています。
私は水差しを持った彼女の腕に触れ、最後にこの着物を着せて欲しいと頼みました。
この衣装を身に纏う時は誰かと生涯を誓う時だとずっと考えていました。
私はあなたの側にいたかった。
相応しい身分でも容姿でもないけれど、あなたが私を必要としなくなるまで共に時を過ごしたかった。こんな形で中途に望みが絶たれたのが悔しかった。
彼女は熱い口唇と舌で私の頬を伝う涙を舐め取りました。

神も人間も世界の規律も容赦しないでしょうが、わたしも貴女と共に在り続けたかった。
それが叶わぬ今、血も肉も魂もわたしと内で融和し共に永久に在る事を望みます。


特別な儀式、そう。儀式と呼んでも差し支えが無いでしょう
私の生まれ育った村では人を食べる儀式が存在しています。
強者の肉を食する事によってその者の力を得られると信じる民族ががいるように、私達は死者を口にする事によって死者の魂も記憶も我々の内に引き継がれ、死者も永久に地上に存在すると考えられ、同時に死者の魂と記憶とも合一出来るとも考えられています。
私はあなたになりたかった。
あなたを食べたく、あなたに食べられたかった。


理性と理論の直線を一途に直進する願望を理知的な人間であれば尚更強く理想とするでしょう。意図せず不確定に浮かぶ感情は純粋論理の妨げとなり判断を誤らせ狂わせます。人間が人間である故がその不確実さに起因するならば、無為な現象を削除し突き詰めれば無垢の純正知識体系でいられると寝物語に語ったのは彼女です。
だから私の頬で彼女の涙の粒が弾けたのは、彼女の無垢なる知性の敗北に等しいのです。
樹海での邂逅で私が魅了されたのは、彼女の内側から沸き上がる叡智と才覚に裏付けされた美貌です。確固たる精神が崩され現人神のような神々しい美しさが失われた事に若干の寂しさを感じましたが、それでも彼女は綺麗でした。
私は巡り逢いの喜びを強く先祖と運命に感謝します。
両腕で頚を圧迫されているというのに、私は幸福でした。
私があなたの寝姿を眺めていたのは情欲からではなく、世界の叡智と美貌を掴みながらも自由な存在への憧れ。それと嫉妬。
その肉と血を、全て喰らい尽くし飲み干せば、健全な肉体を持った人間のように、私の血も肉も浄化され再構成されるのではないかと。喉に噛み付いて流れる血潮を口にすれば、私と同一の関係になるだろうと。あなたと離れたくないと。考えていたのです。

熱い吐息が頬の涙を蒸発させ、私の思考を蕩かします。
同時に私は彼女に見せられた絵画が脳裏に浮かびました。

『黄金色の薄衣で頭と髪を覆い、白磁の胸と太腿を露わにした歓喜の表情を全身で表現し、妖しく誘惑する月光の瞳と熟した林檎の唇で熱情の元に今まさに愛人へ接吻しようとするかのような若い娘。その退廃的な美に目を奪われない者は皆無でしょう。
接吻の相手は鮮血生々しく滴らせ娘の手を濡らし、しかし生命ある物と変わらぬ薔薇色に頬は染まり瞳には高潔と使命と神聖な輝きが兼備され、遠く地の果てまで聖言を唱えているような生首なのです』

彼女の唾液は甘く私と混じり合いました。
祖父母から貰った木箱には私の、この地に誕生する事の叶わなかった兄弟達の臍の尾と肉片が入っていました。彼らもまた私の内にあり、彼女の内で溶け合うのです。
唾液を舐め取るように、私の血も肉も飲み干して喰らい尽くしてください。
そして永久に光の中で生きましょう。

作品名:血と肉。 作家名:兎月