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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏 6.小雪の章 古小箱

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 小雪の父の名は荻野昭幸という。二人の名前が意味することをくみ取ろうと、もう一度写真を見た。赤の他人とは思えない、兄弟にしても似すぎている立ち姿。同じ遺伝子を持っているとしか思えない笑顔が、確かに映っている。

「もしかして……双子の兄弟……ですか」
「そう。そして彼は、慎一郎の実の父でもあるんだ」

 言われたことを飲み下すのには、時間を要した。理解が追いつくまで、小雪はただじっと写真の人物を見つめ続けた。父、昭幸の双子の兄弟、荻野和幸。慎一郎に遺伝子を分け与えた実の父親――

 言葉を失った小雪の手からそっと写真を抜き取ると、晴樹は遠い目をして言った。

「武が熱を出して倒れた翌朝、見舞いに行ったんだ。同じ病院に入院中だった君のお姉さんとお父さんも病室に来られていてね……心臓が止まるかと思ったよ。二十年前、雪山の遭難事故で死んだはずの友人が目の前に立っていたのだから……思わず和幸なのかと声をかけてしまった」

 晴樹が驚くのも無理はない。おそらく父と彼の友人は一卵性双生児なのだろう。家の押入れに眠っている若い頃の父と寸分たがわず同じ顔をしているのだ。死んだはずの人間が二十年の歳月を重ねて目の前に立っていれば、誰だって目を疑うはずだ。

「君のお父さんはしばらく呆然としていたが、次第に状況を理解したのか、『私は和幸の兄の、昭幸です。和幸のお知り合いの方ですか』と答えてくれた。それで私も納得がいった。死んだ和幸が生き返ったのではなく、兄弟がいたと考える方が自然だからね」

 彼は深く息を吐きだすと、きれいにそろった顎ひげをなでた。考え事をしているときに武が見せるしぐさにそっくりで、長い時間を共に過ごした親子なのだと感じさせる。

「武が我が家に来てすぐの頃、登山カメラマンとして活動していた友人夫婦が雪崩に巻き込まれてね、幼子が高齢の祖母のものに残されたんだ。夫婦で登山カメラマンの道を進むと決めた時、ご両親にずいぶんと反対されて、絶縁したままの入籍だったと聞いていたから子供がどうなったか気になっていたんだ」

 晴樹は写真に視線を落す。よく見ると父よりも少し精悍な顔立ちをした男性が、山に降り注ぐ日光を浴びて微笑んでいる。晴樹はわずかに首をかしげて言った。

「君のお父さんは和幸夫婦に子どもがいることはおろか、亡くなったことすら知らされていなかったそうだ。そんな状況だったから、親族の誰も引き取り手がなくて、私が焼香に行ったときにはその幼子を施設に預ける話になっていたんだ。それで私たち夫婦が養子として迎え入れることになったんだよ。それが慎一郎だ」


 晴樹はやわらかな微笑みを浮かべた。父親の眼差しで見つめられて戸惑ったが、しばらく考えたあと、父の薄茶色の瞳を思い出して「あ」と声を漏らした。

「私とシンが似てるのって……そういうことだったんですか」
「君と慎一郎を生み出した遺伝子の、半分は同じものだったんだ。母はそれぞれ違うけれど、兄弟くらいに似ていても不思議ではないね。偶然にも、君も慎一郎も父親似の薄茶色の瞳を受け継いでいた」
「他人の空似……ではなくて、血のつながりがあったんですね」

 父親同士が兄弟なら、慎一郎とは従兄妹の関係にあるということだ。初めて出会ったときの不思議な親近感は、的外れなものではなかったらしい。

「もうこの世に存在しない友人と、手塩にかけて育てた息子の血が、君の中にも流れていると思うと……この世界の奇妙な偶然を認めずにはいられない。あのベースが縁を取り持ってくれたのだと、私は本気で信じているのだよ」

 腕を組んだまま鼻水をすすり上げたかと思うと、晴樹は目じりをこすった。

「年を取ると涙腺がゆるくなって困る」と言いながら背をむける。武が追い続けた大きな背中――ベースのブリッジを調節していた島田がふと顔を上げて、頬をゆるませる。

「武が君の中に慎一郎を見てしまうことを……どうか許してほしい」

 そう言って晴樹は頭を下げる。小雪はあわてて手をふった。

「そんな……謝っていただくことじゃないんです。タケ兄は……えっとその、武さんは、おじさんにそういう話をしてるんですか?」

 名前を言い換えたことに気づいたのか、晴樹はふりかえって笑い声を漏らした。

「生きていた頃はそんなことはなかったのに、死んだ途端、君のことが慎一郎に見えて仕方がない、傷つけるだけだとわかっていても離れられない。ベースを譲り渡したことも正しかったのかどうかわからない、と酒に酔って話してくれたことはあったね」

 初めて聞く話だった。三年もベースを使わせてもらって、共に演奏したこともあったのに、武がそれほどまで深い苦悩を抱いていることに気づけなかった。
 けれど最後に会った日の武は吹っ切れた表情をしていた。トランペットを吹けなくても構わない、俺は俺だから、というようなことも漏らしていた。

 こぼれ落ちそうになる涙をこらえながら、小雪は言った。

「武さんは、もう逃げないって言ってました。だから……大丈夫です」

 自分のことをすみずみまで愛してくれた武を思い出しながら微笑むと、晴樹も笑った。

「君がそう言ってくれるなら、よかったよ。妻が『最近、小雪ちゃんが顔を見せてくれない』と愚痴っていたのでね、またよかったら遊びに来てくれるかい」
「はい、ぜひ」

 そう言いながら、花畑のような香りのする有川家を思い出した。愛美にそっくりの輪郭で微笑む彼らの母親。深く傷ついた心はまだ癒えていないはずなのに、いつ訪れても満面の笑みで迎え入れてくれるその優しさ――時が過ぎても変わらない家族の絆が、きっとまた武の心を温めてくれる。

 晴樹は中折れ帽子を深くかぶると、ギブソンのギターを手にしながら言った。

「そうそう、愛美はね、君と慎一郎のいったいどこが似ているのかと言って、一歩も譲らないのだよ。髪と目の色が同じだろうと話しても『そんなの日本中どこにでもいるじゃない』と言って怒りだす始末でね。女同士の友情というのは不思議なものだ」

 目元の皺をくしゃりと寄せて笑った。末の娘にむける愛情は格別なのだろう。

 襟元の洗練されたジャケットに細身のパンツという、世の父親たちとは比べ物にならないくらい垢抜けた格好をしているが、皺の増えた顔には少し疲れた様子がうかがえた。

 衰え始めたその背中を武が支えようとしているなら、未来はそう暗いことばかりではないと思えた。

 リペアを終えた島田がベースを抱えて弦をはじき始める。信洋と訪れた時と同じ三拍子の優しいベースライン――試奏のときに島田が必ず弾く『ムーン・リバー』だ。

 ギターを抱えた晴樹が弦をなではじめる。ハミングのようなメロディと共に、少しかすれた声で歌が紡がれる。

 ――ムーン・リバー、いつか私はこの河を渡って見せる。夢をくれたり、傷つけたり、あなたがどこへ行っても、私も同じ道をゆく。虹の終わりに、見るべき世界が待っているから。懐かしい友、ムーン・リバーと私――