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命の炎が燃えるとき

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ミユキを出迎えたシンイチは戸惑いの顔をみせた。が、次の瞬間、笑顔を見せた。
「やあ、久しぶり、むさ苦しい部屋だけど、よかったら、中へ入れよ」
学生の頃の彼の部屋と変わらなかった。ミユキは学生の頃のように胸がときめいた。
「坐れよ」
ミユキは少女のようにうなずいた。
「絵の方はうまくいっているの?」
シンイチは首を振り、何かを言いかけて止めた。
「何よ?」
「止めとくよ」
「言ってよ」
シンイチは立った。窓を開けた。秋の風がなだれ込んだ。
「結婚はうまくいっているのか?」
今度はミユキが黙った。
「まだ、あの絵あるか?」
ミユキはうなずいた。
「そうか」
「お願いあります」
ミユキはシンイチの前に立った。訴えるような目で彼を見た。既に夕日が沈もうとしている。部屋の中はいつの間にか薄暗い。
「その前に、君に僕の気持ちを伝えたい」
シンイチは少し間をおいて、
「ずっと君のことを忘れていない。あのとき、君の両親に言われた。別れと。馬鹿だったよ。後悔している」
ミユキはうなずき、「私も後悔している。でも時間は取り戻せない」
二人は見つめ合った。
少しずつではあるが、宵闇が深まっていく。やがて二人はお互いの意思が伝わったかのように、唇を重ねた。窓の外でしっかりと観察しているトキエにもはっきりと分かった。
 突然、シンイチが具合悪いと言って横になった。病魔は日に日に侵食していっているのである。 シンイチとの逢瀬はほんの数分だった。それでも十分だった。

出張から戻ってくると、トキエがじかに会って伝えたいことがあると言うので、ケイスケはしぶしぶ会うことにした。大塚の駅を待ち合わせ場所にトキエは指定した。こういうときは、近くのラブホテルに入り抱いてほしいからである。
ホテルに入ると、「どんな話だ」とケイスケは聞いた。
「その前に抱いてよ」
 二度だけ抱いただけなのに、長年連れ添った女のように振る舞うトキエが滑稽だったが、ケイスケは抱いた。彼のセックスは激しいものであった。まるで、獣のようで、わがままでもあった・それをトキエは愛と勘違いした。激しいセックスの後で、甘えるような声で、
「奥さんは浮気をしているわ」と囁いた。
「ミユキにそんな度胸はない」
ケイスケはトキエの小さな乳首を軽くつねった。
「痛いわね。もう教えない」
トキエは、すねた振りをした。
「悪かった」と抱き寄せた。
「私、見たの」
「何を?」
「ミユキさんが男といい所に入るのを」
「いい所って?」
「馬鹿ねえ、私達と同じ所よ」
明らかに嘘だが、ケイスケは信じると思っていた。なぜなら、ミユキが不倫しているという調査結果を喉から手が出るように待っていたからである。
「そんなはずはない。ミユキにそんな女じゃない」
「男って単純ね」
「どういう意味だ?」
「素顔を見せていると思えるようなときでも、女は仮面を付けているの。自分でも分からないうちに。女の仮面は化粧と同じよ。幾つもあるの」
「君ほど、ミユキはあばずれ女じゃない」
「だったら、ご自分の目で確かめることね」とトキエは勝ち誇ったように笑い、かばんの中から写真を取り出した。部屋の中で抱き合う二つの影があった。

翌日、ミユキはケイスケを送り出そうした。
靴を履いたケイスケは、振り返り、ミユキをじっと見つめた。
「何か?」
ケイスケは怒りを自分なり抑えている。それがミユキにも分かった。
「何か、言うことはないのか?」
ミユキは考えたが、ケイスケが何を求めているのか想像できなかった。ミユキは沈黙した。ケイスケは、仁王ように凄まじい形相になった。子供と同じであった。言葉より先に行動してしまう。
「この恥さらしめ! 自分が人妻だということを忘れたのか!」と言ってミユキの頬を叩いた。ミユキは大きく揺らいだ。
「お前が男と密かに会っているのは知っている」
 叩いて怒鳴れば、ミユキはひれ伏して、許しを乞うだろう。そういう場面を望みながらミユキをにらんだ。が、意に反して、ミユキは毅然と応えた。
「何も後ろめたいことはあっていません。それに、ご自分のことは棚に置いといて、よく人のことが言えますね。私もようやく決心がつきました」
 確かにミユキの言う通りだった。抱きあったが、それ以上何もなかった。
「どういうことだ?」
「あなたが出張と言って他の女に会っているのは知っていました。それをずっと耐えてきまいた」
「何を根拠に、そんなでたらめを言う」
「あなたは気づいていないでしょうけど、あなたのシャツ、微かに香水の匂いが残っています」
ケイスケは驚いた。犬のように鋭い嗅覚に。
「お前の気のせいだ」と喚いた。
「でも、今となってはそれもどうでもいいです。何の根拠もなく暴力を振われたら、もう別れるしかありません」とミユキは穏やかに言った。
「馬鹿、少しは考えろ」
ケイスケはトキエの報告の全てを信じているわけではなかった。写真だって本当にミユキがどうかは分からない。だからといって全くの無罪ではないだろう。火のないところに煙は立たないというではないか。ほんのちょっと戒めるつもりで叩いただけのつもりだった。叩けば、何だかんだと言ったところで、従うと思っていたのである。ところが「別れ」という言葉が出てきた。想定外の出来事にケイスケはとまどった。
「私は、もう耐えられません。別れましょう」
ミユキの毅然とした態度にケイスケはどうすることもできなかった。
「そうか。いいだろ。好きにしろ」と出て行った。
ケイスケは自分が描いた筋書きと異なってしまったので、つい、すて台詞が出てしまった。彼にしてみれば、最後の最後、泣きついてくるものと思っていた。決して、自分から離れるとは想像できなかったのである。

ミユキの頬の痛みは、なかなか取れなかった。鏡を見た。見れば、見るほど、赤く跡が残っている気がした。だが、そんなどうでもよかった。一日も早くシンイチを病院に入れなければならぬ。その思いが、ミユキを再び、シンイチのアパートに向かわせた。
目黒にあるミユキの家から、横浜のシンイチのアパートまで、電車で一半時間弱かかる。電車に乗っているとき、ふと車窓に目をやった。家を出るときは雲がなかったのに、いつしか 空は灰色の雲に覆われている。それでも、横浜の方の空の一角には、連綿と続いた灰色の雲が途切れており、そこから弱い光の柱が立っているのが見えた。神々しいまで美しい。ミユキは行くべきところを神が無言で示しているように思えてならなかった。
ドアを叩く。まるで自分の胸を叩いているかのようにときめく。まるで少女の頃のようだ。シンイチがドアを開けると、一陣の風がミユキの髪を乱した。
シンイチはふと、ミユキが少女の頃を思い出し、じっとミユキを見た。
「どうかして?」
「いやなんでもない」
部屋の中には、シンイチが学生の描いたミユキの絵が飾られていた。それを見れば、どんな思いでいたかが分かる。細やかな筆使いから、シンイチのミユキのいとおしむ心が伝わってくる。全てを失っても、踏み出さねばならぬときがある。その隣にも、絵が掛けられている。
「この絵は?」
ミユキは尋ねた。
作品名:命の炎が燃えるとき 作家名:楡井英夫