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命の炎が燃えるとき

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『命の炎が燃えるとき』

大手企業に勤めるアキヤマ・ケイスケに一人の女性が面会に来た。女の名はオオハラ・トキエといい、上野の小さな探偵事務所に勤めている三十過ぎの痩せた女である。
ケイスケはトキエを見てあらためて肉感の乏しい女だと思った。彼は性的な魅力がない女は女として生きるに値がないと思っている。
「今頃、何の用だ?」
ケイスケは迷惑そうに尋ねた。
「依頼の調査結果を持ってきました」
トモエは決まって不器用な笑いみを浮べる。彼女なり、恥じらいであり、愛嬌のつもりだが、それが不気味に映る。ケイスケは目をそらしながら言った。
「困るな、オフィスに来られたら」
トキエは、すみません、という意味のお辞儀をした。
ケイスケは舌打ちした。仕事中なのに、とぶつぶつ文句をたれ、トキエをオヒィスの外に連れ出した。トキエは後をつかず離れずついて行った。二人は既に肉体関係にあった。調査依頼した、その日にケイスケが冗談半分に誘ったら、予想もしなかったいい男の誘いにホイホイと乗った。むろんケイスケは遊びに過ぎなかったが、トキエは愛と勘違いした。三十を過ぎているのに、男の遊びと恋の区別がつかない初心な女だった。
喫茶店に入ると、トキエは報告書を差し出した。

妻のミユキの素行調査を依頼するきっかけとなったのは、一通の手紙でミユキに妙に明るくなったことである。むろん手紙がミユキを明るくしたと思っていない。そのときはただ単に変だと思ったに過ぎない。しばらくすると、寝ているとき、夢をみていたのだろうか、他の男の名を呼んだ。このとき変だというよりも疑いを感じた。数日後、隠れて電話をかけている姿も目撃した。これらの些細なことで疑いが大きくなり、ついには真偽を確かめずにはいられなくなったのである。九月中旬の頃である。

決定的な調査結果を期待していた。それをミユキに突き付け、問い詰める。そういう場面を待ち望んでいたのだが、報告書を見て呆れた。
「なんだ、こんなもんか」
報告書をめくりながらつぶやいた。報告書には、取り立てて問題にすべきことは書かれていなかったのである。どこでパンをかったとか、夕どきに洗濯屋にいったとか、日常的なありふれた内容であった。
「本当にこれだけか」
トキエはうなずいた。ケイスケは溜め息をつき、調査書を破り、トキエに返した。
実をいうと、トキエは調査内容を勝手に改竄したのだ。ミユキを助けるためではない。もっと深刻な状況に陥るのを待っているのだ。そうすれば、ケイスケは傷つきミユキを捨てるだろう。そんなケイスケを慰めてやれば、自分との絆がより深くなると算段したのである。しかし、自分が魅力的に乏しい女と見下されていることには気づいていない。
「帰っていいよ。また頼むよ」
「今夜、空いていますか?」
「いや、空いてない」
ケイスケはにべもなく答えた。トキエは溜め息をついた。

ミユキは美しかった。その大きく見開いた瞳は、少女のように澄んでおり、女神のように優しく人をみつめる。閉じた唇は今、まさに開かんとする花びらのようだ。顔全体からは、柔和な仏像をみるような印象を受ける。肉体はまるでモデルのような見事な流線型をして男心をそそらずにはいられない。
ケイスケがミユキを見初めたのは、高校の時である。その頃、いつもミユキのことを考えていたが、ミユキは特に気にしなかった。ミユキはケイスケの同級生のモリカワ・シンイチに心を寄せていた。その事実を彼女の友人から聞いたとき、絶対、自分のものにしたいと考えた。ケイスケはシンイチに対して異常ともいえほどのライバル心を抱いていた。誇り高きケイスケは何をするにもシンイチに負けたのである。勉強にしても、スポーツにしても、何一つ勝てなかった。負ける度に、ケイスケには屈辱感が募っていった。そしてミユキだけはシンイチに渡したくなかったが、残念なことに、二人は既に結ばれていた。むろん、その事実は誰も知らない。
ミユキが女子大卒業すると、ケイスケは親に頼み、結婚の段取りをしてほしいを頼んだ。
ミユキの両親は、名家であるアキヤマ家の申出に快諾した。両親からそのことを聞かされると、ミユキは親に「モリカワ・シンイチに心を寄せている」と打ち明けたが、家柄が違うという理由で反対された。ミユキはシンイチにも「あなた以外にいない」と打ち明けたが、シンイチは、「俺には追いかけたい夢がある。それに家柄が違い過ぎる。君の両親の言うとおりにしたらいい」とつれなく断った。捨てられたと思ったミユキはやけになりケイスケとの結婚に同意した。もう五年前のことだ。そのときからミユキの心は死んだ。それが、一か月前に着た一通の手紙がミユキの心を蘇らせたのである。
 
夕食のときのことである。珍しく夫が早く帰ってきた。ミユキが出迎えると、ケイスケが何気なく封筒を差し出した。
「君宛てだ、郵便受けに入っていた」
ケイスケは新聞を拡げながら食事をした。その傍らでミユキは封を切った。差し出し人は書いてない。
「誰からだ?」と、新聞を読んでいるケイスケが聞いた。
「昔の友達から」とミユキはそっけなく答えた。
手紙はミユキがモリカワ・シンイチの姉からだった。手紙にはシンイチが日本に帰ってきていること。ガンに冒されており、今すぐにも入院する必要があること。それを説得できるのは、あなた(ミユキ)しかいないと書かれてある。手紙を読んだミユキはシンイチを思い出した。シンイチはミユキの青春そのものであった。いつもシンイチがいた。キスし、優しく抱きしめてくれたのに、突然去っていった。それが再び現れた。だがガンに冒されている。ミユキは、胸が締め付けられる思いがした。
「どうかしたのか?」というケイスケの言葉で現実に連れ戻された。
「いいえ、何でもありません」というミユキの言葉に、幾らかの怒りをケイスケは感じたものの平静を装った。出張をさりげなく伝えるためである。
「そうだ、二週間後、商談のため札幌に出張する」
「どのくらいですか?」
夫に出張なぞないことを、ミユキは知っていた。数年前から月に一度、出張と偽って出かける。帰ってくると、服に微かに女ものの香水の匂いがした。ケイスケはそういったところが無神経だった。
「分からん、たぶん五日間位だろう」
「そうですか、分かりました」
ケイスケは無事に出張を伝えられたことに胸をなでおろした。
「それから、明日、朝早くから会議があるから、先に寝るぞ」
ケイスケが寝室に入ってしばらく経った後、ミユキも寝室に入りベッドに身を横たえた。ケイスケは既にいびきを立てて寝ている。ミユキはなかなか眠れなかった。手紙のせいで、過ぎし日の思い出が次々と脳裏をかすめるのだ。
翌朝、見送ったのとき、ふとミユキが明るい表情になっていることをケイスケは気づいた。それが疑いの始まりだった。ミユキはガンに置かされているという事実よりも、シンイチが現れたという事実に胸をときめかさずにはいられなかったのである。

ミユキが手紙に書いてあるシンイチのマンションを訪ねたのは、ケイスケが出張から戻ってくる前日である。
そのマンションは横浜のY駅に近くある。古いマンションで、シンイチの部屋は二階である。斜め向かいのビルから丸見えになっている。
作品名:命の炎が燃えるとき 作家名:楡井英夫