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生きてきたという痕跡

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「嫌よ。絶対に嫌よ。どんなに苦しい思いをして、今日まで生きてきたか知っているの? 私もおばちゃんも、命を削りながら生きていたの。……それに、本当に知っているの? 私の実の父を。お母さんから聞いたの?」
「聞いていないさ。だが、君のお母さんとその人が深い関係にあったのは紛れもない事実だ」
 美香の顔をさりげなく観察した。やはり皆川に似ているところはどこにもない。皆川は美香を見て、自分の娘だと思うだろうか?
「おばあちゃんから聞いた。私のお父さんはこのお守りをくれた人だって。お母さんが死ぬ間際にそう言って、おばあちゃんにお守りを渡した」
 お守りを見せてくれた。そのお守りに見覚えがあった。ある日、神社の近くを通った時、なぜか京子の顔を浮かび買ったやったものだ。お守りを渡すと、「どうして、私に?」と聞いたので、「お前の幸せを願った」と答えた。嘘ではなかった。京子は嬉しそうに受け取った。あれから十八年近くの歳月が過ぎた。
「どうしたの? 顔色悪いよ」と美香が聞く。
「何でもない。もう一度聞く。だめか?」
 気持ちは変わらないといわんばかりに、少女はうなずいた。
「気が変わったら、電話をくれ」と電話番号を書いてメモを渡した。

 皆川は日に日に衰えていった。彼はもはや一人で起き上がることも容易ではなくなった。
「会いたくないと言っている」と素直に言った。
「そうか。でも、俺は会いたい」と皆川は苦しそうに言った。
「なぜ、そんなに会いたい?」
「死が迫れば、お前にも分かるさ。ずっと考えた。『何のために生きたのか? 何を残したのか?』と。その答えが子供だった。変か?」
「変じゃない。でも、普通過ぎて、お前に相応しくない」と言うと、皆川は苦笑いをした。
「そうかもしれない。お前も笑いたければ、笑えよ」と言った。
 笑えなかった。
「美香だが…」と口ごもった。
「どうした? 何が言いたい?」
「お前に似ていない」と言おうとしたが、彼の眼を見ていたら言えなかった。
 昔、皆川の女だと知りながら京子を抱いた。さほど悪いと思わなかった。なぜなら、京子は独り身だったし、自分も結婚していなかった。何よりも皆川は結婚していたから。酔った拍子に、「誰よりも愛している」と口説いた。そうしたら、身を任せた。
「何を考えている。心配ごとでもあるのか」と皆川がじっとこっちを見る。
「いや、何も無い。気にするな」
「早く連れてくれ、俺はいつ死んでもおかしくない状態だ」と皆川は笑った。

 再び美香に会おうと思った矢先、彼女の方から電話をしてきた。「会って話がしたい」と言ってきた。
 駅前の喫茶店で美香に会った。
「父親に会ってくれるか?」
「会うだけでいいの?」
「会うだけでいいさ」
「お金が貰えるの?」
「欲しいのか?」と聞くとうなずいた。
 少しがっかりした。結局、金か。善人も悪党も金のためには、なりふり構わない。
「何のために金がいる? 言いたくなければ、言わなくともいい。とってつけたような話なら、止めてくれ」
 美香は少し間を置いて話し始めた。
「おばあちゃんが倒れたの。先生が、『手術しなきゃいけない』と言った。たくさん、お金がかかるみたいなの」
 見ると、今にも泣きだしそうな顔をしている。昔なら、相手の目を見れば、本当が嘘か見抜けた。だか、今はそれができない。だが、嘘だろうと、本当だろうと、どうでも良かった。ポケットから、金の入った封筒を取り出しテーブルに置いた。皆川から貰った金がそのまま入っている。
「これ、やるよ」
 美香は手に取った。
「こんなにたくさん……こんなの受け取れない」
「会ってくれれば、もっとやる。君のおばちゃんを助けることもできるし、君の夢も叶えられるかもしれない。それが、君のお父さんの望みだ。それに……」
「それに、何?」
「お父さんはもうじき死ぬ運命だ」
 美香は驚いた。
「どんな人なの?」と美香は聞いた。
「昔、怖い顔をしているが悪い人じゃない。昔は土建屋みたいながっちりした体をしていた。今は痩せて骸骨みたいだ」と言うと、 美香は笑って、「そんなの想像できないよ」
「想像しなくともいい。黙って、ついてきてくれれば」
「もう一度聞くけど、本当のお父さんなの?」
「この前のお守りだが、『渡した覚えがある』と言っていた。それで十分だろ。もう何も聞ないでくれ。残された時間があまりない」
美香はうなずいた。
 
「今度の休みに連れて来る」と言うと、皆川は嬉しそうに笑った。笑った後、涙を流した。
 つい、憐れむように彼を見たせいか、「涙もろくなったよ」と弁明した。
「悪いことじゃない」
「でも、格好悪い」
「今さら、気にしてもしょうがいないだろ?」
「分かっている」
「でも、こんなパジャマ姿で会うのは嫌だな」
「恰好を気にしてどうする? 病人だ。それが普通だろ?」
「お前には分かるまい。まるで恋人に会う気分だよ。そうだ、これを渡す」と言って鍵を寄越した。
「何だ?」
「銀行の貸金庫の鍵だ。それに現金がある。後でいいから、それを美香に渡してくれ。ほかの遺産も弁護士に整理させている。半分くらいはもらうことができるだろう」
「分かった」と応えると、突然、心の奥を見透かすような鋭い目でじっと見て、「全く赤の他人の娘を連れてきて、『お前の娘だ』と言わないよな?」と聞く。
 真実など何の意味もない。嘘もつきとおせば、真実になる。皆川の期待に添うように演じればいいのだ。そう自分に言い聞かせ、「お前を裏切ったことがあったか? 嘘をついたことがあったか?」と答える。
「疑って悪い。でも、つい疑ってしまった。情けない」
「気にするな」
「もう疲れた。寝るから、帰ってくれ」と痩せた背中を向けた。
 後ろめたさを感じながら、病室を後にした。

 その日が来た。美香を迎えに行った。アパートの前に立っていた美香を乗せた。車の中では、会話らしい会話はしなかった。
 病院に駐車場に車を止め、降りようとしたとき、「一つ聞いていい?」と美香が口を開いた。
「何だ?」
「これから会う人、本当にお父さんなの?」
「くどいな」
「オジサンって、嘘をつくのが下手でしょ?」
「急に何を言い出す」
「これから会う人は本当のお父さんじゃない。騙すつもりでしょ?」
「君が言うように、本当のお父さんかどうか分からない。でも、騙すつもりはない。これから会う人が、『君を娘だ』と言うから、それを信じているだけだ」
「本当に親友なの?」
「兄弟みたいなものさ。一緒にいろんなことをやった。遠い昔だ。君が生まれる前の話さ。お喋りはもう終わりだ」
 
 皆川に美香を合わせた。美香の顔は強張っている。
「名前は何ていう?」
「美香」
「どんな字を書く」
「『美しい香』と書いて、美香」
「良い名前だ」 急に皆川が咳き込んだ。
「ずいぶん苦労してきたと聞いている。悪かった」
 神妙な顔をした美香は何の反応も示さない。
「俺はもう長くない。お前に……と皆川が話している途中で、美香が、「本当にお父さんなの?」と強い口調で尋ねた。
 予想外の展開に皆川は今にも泣きだしそうな顔をして、こっちを見る。
作品名:生きてきたという痕跡 作家名:楡井英夫