小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

幻燈館殺人事件  前篇

INDEX|9ページ/42ページ|

次のページ前のページ
 

 早熟な娘に対し、大人に接するかのように答えるその父の姿は、どこか滑稽にすら見えたが、花明はそんな事は億尾にも出すわけにはいかなかったので「使用人の皆さんは長くは勤めないのですか?」と疑問に思った事を大河に訊ねた。尤も当の千代と怜司もそんな花明の疑問は無視したまま、尚も愛や恋の期間というような不毛な会話を続けていたのだが。そんな息子と孫の会話には一切気をやらずに、大河は客人を真っ直ぐ見据えると、厳めしささえ滲ませながら、重い口を開いた。
「君は他人を信用出来るかね? 九条には守らねばならぬものが多くある。長くここに勤めた者に対し、気が緩む事もあるだろう。事件と言うものは、往々にしてそう言った気の緩みから生まれるものだよ」
「ここには高価な宝石や美術品も多いですから」
 大河の言葉を補うように蝶子が続く。
「そう、ですか……」
 と返事をした花明の内心を汲み取ったかのように、代美が眉を顰めながら口元に手をやると「嫌な話ですこと」と、溜息交じりにそう言った。
 そんな会話が為されている間も、使用人たちは黙々と料理を運び、皿を運び、酒を用意している。この幻燈館に於いて使用人の感情などは誰も気にしない。使用人が何を聞き、どう思おうが九条の名を傷つけさえしなければ、どうでもいい事なのだ。
 そんな‘嫌な話’が暫く続いた後、千代の質問攻撃から解放された次期当主である怜司は、ふいに押し黙った。
「どうかされましたか?」
 察した花明が声をかけると、怜司は眉間に深く皺を寄せた。
「ああ、どうもいけないな。今日は朝から気分が優れなくてね」
「あなた、せっかくのお客様ですのに、そのような事を」
「朝から頭痛がするのだ。本来であれば今宵は自室で休んでいたであろう所を、こうして出てきたんだ」
 もう充分だろうとでも言いたげな怜司を前に、花明は思わず中座しかけた。
「こ、これはお気遣いを……」
「いや、客人の所為ではない。申し訳ないが俺はこの辺りで失敬する」
 立ち上がりかけた花明を手で制すると、料理には殆ど手を付けないまま怜司はそう宣言し、すっと立ち上がった。
「あなたったら」
「佳い。行け」
 代美の非難の声を大河が不機嫌そうに制したが、それに対して礼を言うでもなく黙ったまま軽く一礼をした後、怜司は食堂を去っていった。
「怜司さまは、時々あのように痛みを訴えるのです」
 蝶子がそう補足したので、花明はやや心配そうな表情を浮かべた。
「お医者様にはお見せになったのですか?」
「えぇ……けれど原因不明だそうですわ。もう何年も苦しんでいらっしゃいますの」
「そうでしたか」
「お父さまはね、千代と遊んでいてもああやって途中でいなくなってしまう事があるのよ」
 千代は両頬を膨らませて不満を露わにする。
「それは仕方がありませんわ、千代さま。お父さまはご病気なんですもの」
 言い聞かせるように蝶子が告げると、見かねた代美がぱんと一つ手を打った。
「もうあの人の事はいいじゃありませんの。それより花明さん、どうぞもっとお飲みになって」
「いえ、もう十分頂いております」
「あら、まだまだですわ」
 ほほほ、と笑いながら自ら花明の杯へとワインを注ぐ代美の姿は、心の底から今宵の宴を楽しんでいる事が見て取れる。彼女にとっては夫の慢性的な頭痛の事など、取るに足らない問題である事は、誰の目にも明らかであった。
「代美も楽しんでいるようだ。客人、付き合ってやってくれ」
「は、はぁ……では」
 大河にも促され、花明も酒には弱い方ではないので、注がれればまたそれを乾す。
「あーあ、大人はすぐにこれだもの。千代ももう部屋に戻るわ。お母さま、どうぞお楽しみ遊ばせ」
「ほほほ、言われなくても。では蝶子、千代の面倒を見てやって頂戴ね」
「はい。それでは花明さま、少し離席させて頂きます」
「僕にはどうぞお気づかいなく」
「有難うございます。では……。千代さま、さぁ」
 花明に頭を下げた後、蝶子が目で合図をすると村上が千代の椅子を引いた。千代は子供らしくぴょんと跳ね降りると、花明に向かって二度手を振った。大人びて見えてもふとした瞬間に見せる言動が、やはり子供のものであり、それは見るもの全てに妙な安心感を与える。
「早く行きましょ」と言うと千代は蝶子の手を引いて、足早に食堂を立ち去った。
「ふぅ、ごめんなさいね、花明さん」
「いえいえ、それより宜しかったのですか?」
 花明が千代の消えていった扉の方へと視線を向けるので、代美は軽く頭を振った。
「お気になさらないで下さいな。千代の事は殆ど蝶子に任せてありますのよ。だって千代の教育係ですもの。千代だってね、私より――もしかすると蝶子の方に懐いているかもしれませんわ」
 自嘲気味にそう笑うと、代美はワインを飲み乾した。
「儂としては男児の顔が早くみたいところだがな」
「ふふ、お父さまったら。分かっておりますわ」
 身に纏ったドレスと同じ真紅の代美の唇が、黒曜のような瞳と共にぬらりと光る。その所作が何とも艶めかしいので、花明は反射的にごくりと固唾を飲んだ。
「さぁ、飲みましょう。花明さん、もっと帝都のお話が聞きたいわ」
「僕でお答えできる事でしたら、どのような事でも……」
 花明は内心の緊張を悟られないように、努めて穏やかな声音を作った。
 その後も歓談は続き、一時間程すると千代を寝かしつけた蝶子も再び席に着いた。花明は美味しい食事に舌鼓を打ちながら、代美が望むままに帝都の話に花を咲かせた。やがて日付が変わろうとした頃、時間も時間と言う事でお開きになり、花明はあてがわれた客室へと戻った。緊張感から解放され、また彼にしては多くの酒を飲んでいた為、ベッドに入るなり花明はすぐに眠りについたのだった。