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幻燈館殺人事件  前篇

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「花明さんは食前酒はどうなさいます? 日本男児ですもの、まさか飲めないわけではないでしょう?」
「酒は飲めますが、詳しいわけではありませんので……。何をどう望めば良いのか分からないのです」
「まぁ、可愛らしい事を仰るのね」
 代美はさも満足そうに微笑んだ。
「それじゃあ食前酒なんて飛ばして、一緒にワインを飲みましょうよ。この館にはワインを飲むのは私しかいなくて、いつも一人でボトルを空けるんですのよ。偶には誰かとご一緒したいわ。村上、今日は白よ。花明さんにもお注ぎして」
「畏まりました」
 村上はワイングラスを用意すると花明と代美の前にグラスを置いた。
「本日のワインは仏蘭西産のシャルドネ種となります」
「いや、僕はワインといっても赤玉ポートワインしか飲んだ事がないような口でして」
「だったら尚更ですわ。白も美味しいものですのよ」
 代美がそう言っている間にも、花明のグラスにはやや黄味がかった透明な液体が注がれている。大河の前には切子の冷酒グラスが置かれ、蝶子と千代には水の入った美しいクリスタル製のグラスが用意されていた。
「今日はブランデーで頼む」
 怜司がそう言うと、怜司の前にはブランデーグラスが用意された。
「さ、揃ったわね。乾杯しましょうよ。お義父さま、お願いします」
 代美が媚びるようにそう言うと、大河は満足そうに頷いた。
「では珍しい御客人との出会いに、乾杯」
 合図に合わせてグラスを持ち上げると、それぞれが望んだ液体に口をつける。
「美味い」
 思わずそうこぼした花明の声を、代美は聞き逃さなかった。嬉しそうに目を輝かせると「そうでしょう? さ、遠慮なんてなさらないで。ね、どんどんお飲みになって」などと勧めはじめる。
「失礼致します」
 代美が煽るようにワインを飲んでいると、柏原が入室した。洗濯は無事に済んだのであろう、うっすらと額に汗を滲ませていたが、その表情は実に穏やかである。
「スープの用意を」
 吾妻がそう言うと、柏原達使用人が支度をする。この日に出されたのは仏蘭西風のコース料理であり、花明には馴染みの薄い物ではあったが、澤元教授のお付きとして場数だけは踏んでいたので、花明が恥をかくような場面はなかった。
「さすが帝都の方は違いますわね。お若いのにマナーもしっかりしてらして」
 そつ無くこなす花明に対し、ますます興味を持ったかのように代美が花明をじっと見つめた。
「いえ僕などはまだまだです」
「ふふ、謙遜する事なんてありませんのよ」
「お母さまったらはしゃぎすぎよ」
 困り顔の花明を見かねたかのように、千代が横から口を挟んだ。その言葉使いは四歳の娘にしては随分と大人びていたが、不思議と千代の雰囲気にはよく合っていた。
「だってこの館にお客様が来る事なんて珍しいんだもの。外の話が聞きたいわ」
「このような立派な館なのに客人が少ないのですか?」
 思わずそう聞き返してしまった花明だったが、それに対して代美が答えようとしなかったので、失言だったと軽く眉をしかめた。
「私の妻が生きていた頃には、ここを訪れる者も多かったのだがな」
 間を埋めるように大河が重厚な声を室内に響かせる。
「奥様がお亡くなりに……。これは辛いことを思い出させてしまいました。申し訳ございません」
「いや、気になされるな。妻は実に社交的な人間であったが、私はどうも人づきあいと言うものが苦手でね」
「おじいさま、千代がそのうちまた沢山のお客様を迎えられるような、立派なレディになってみせますわ」
「ははは、これは可愛い事を言う」
 孫娘の気遣いに満ちた言葉に、大河は思わず頬を緩めた。
「吉乃さまが亡くなられてから五年……早いものですね」
 ぼそりと蝶子が口にすると、怜司が悲しそうに目を伏せる。
「吉乃は良き母であり、よき妻であった。今でもこうして皆の話題にのぼる事は、供養の一つとなるであろうな」
 大河の言葉に花明は自分の失言が救われた気がして、ほっと胸を撫で下ろした。そんな家人達の様子を蝶子だけは、まるでそこに存在しないかのように冷めた視線で見つめていたが、誰かにそれを悟られまいとするかのように、すぐにその表情を和らげた。
「あら、湿っぽくなってしまったわ。花明さん、もっとワインはいかが? この館では嗜好品の類に困る事はありませんのよ。地下の貯蔵庫にいくらでも用意してありますから、思う存分お楽しみ遊ばせ」
 空気を明るくするかのように調子を跳ね上げた代美の声が食堂内を支配した。やはり代美はこの屋敷において太陽といえる存在のようで、その一声で場の雰囲気はがらりと変わった。
「代美さま、少しはしゃぎすぎなのでは?」
 蝶子は嗜めるように言ったが、代美は全く気にも留めない様子で、豊かな長い髪をかきあげると、赤い紅を差した美しい唇を蠱惑的に開く。
「あら蝶子、だってお客様なのよ? 私はね、外の話をもっと色々聞きたいの。私が知っているのは、この館の周辺と故郷の記憶が精々なのよ。帝都の話をもっと聞きたいわ。ねぇ、花明さん帝都では今何が流行っているの?」
「そうですねぇ、女性は美星堂に新しく出来た美髪科に夢中なようですよ」
「いいわねぇ、話だけは聞いているのよ。髪だけじゃなくて美顔とか美爪なんかも手掛けているっていうじゃないの。ここにはそんな施設は無くって。ああ、もう本当に退屈なんだから!」
 代美がそう言って顔を顰めると、それに対し大河が重く口を開く。
「お前はここの生活に不満があるのか?」
「いえ、そういう訳ではないんですのよ、お義父さま。ただの憧れ、ですわ」
 大河の問いにしまったとでも言いたそうな様子で、代美は慌てて取り繕うと「もっと料理を持って来て頂戴! さ、花明さんももっとお飲みになって」などと声を張り上げる。
 余りにも明るい調子で代美が勧めてくるので、花明も注がれるままに杯を飲み干した。
「いや、本当に美味しいです」
「そうでしょう? これは仏蘭西の中でも」
「ねぇ、ワインのお話なんてつまらないわ! もっと別の話をしましょうよ」
 盛り上がりかけた大人の話に水を差したのは、まだ小さな千代である。
「あら、そう? じゃあ千代はどんな話なら満足がいくのかしら?」
「そうねぇ……」
 千代は可愛らしく唇に人差し指をあて、何かを考えるような仕草を見せると、すぐに跳ねるように笑った。
「うふふ、千代はね、蝶子の恋人の話が聞きたいわ!」
「そのような者はおりません」
 ころころと笑いながら無邪気に声を上げた千代に、蝶子は眉根一つ動かさずにそう答えた。
「あら、本当かしら? だってそこの使用人とよく仲良く話しているじゃない?」
 千代が向けた視線の先には村上がいた。村上は千代の発言に、緊張からか思わず身を固めた。
「それはただの指示です。雑務上の話にすぎません」
「そうかしら?」
「いくら蝶子といえど、使用人の相手などしまいよ、第一うちの使用人はすぐに変わるんだからな、一々恋慕していては身が持たない」
 やや棘のある言い方で千代の疑問に答えたのは怜司だ。
「あら、短くたって恋は出来るんじゃなくって?」
「人を愛するって言うのはそんなに楽な事じゃないんだよ」