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幻燈館殺人事件  前篇

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 コン、コン、と控えめに扉を叩く音で花明は目を覚ました。重い目をこすりながら柱時計に目をやると、時刻は午前五時になろうかという所であった。こんな時間に何事かといぶかしがると同時に、暗がりの中でもはっきりと分かる見慣れぬ景色が、ここは自室ではなく幻燈館の客間であるという事を意識させ、寝惚けた頭を現実へと引き戻した。
 はだけた着衣を簡単に直した後、一つ呼吸を整えると花明はそっと扉を開けた。
「このような時刻に申し訳御座いません」
 扉が開くや否やそう告げたのは柏原であった。花明に対し一礼したあと、不安そうな眼を彼へと向ける。
「どうされました?」
 何かあったのであろうかと、花明も若干の不安を胸に抱きながら尋ね返すと、柏原は少々委縮しつつも口を開いた。
「……実は裏庭の方から何か物音がするのです。不審なものですから確かめたいのですが、私一人では少し恐ろしくて……」
 花明の住む安アパートならともかく、ここはかの幻燈館である。物取りの類かもしれぬし、そうなれば柏原一人では心細かろう。花明はそう判断すると、小さく頷いた。
「なるほど。分かりました、ご一緒しましょう」
「お客様にこのような事をお頼みして、本当に心苦しいのですが……」
「いえいえ、僕の事ならお気になさらず」
 花明はそう言って微笑むと、柏原の導くままに裏庭へと足を進めた。
「柏原さんはこのような時間からお仕事を?」
 道すがら柏原に話しかけるが、その声は時間帯を気にして自然と小声になった。
「はい。花明さまはこの館がなぜ幻燈館と呼ばれているかはご存知ですか?」
「そういえば……どうしてですか?」
「この館は夜になると光るのです」
「えぇ!?」
 思わず大きな声が出てしまい、慌てて花明は己の口を手で塞いだ。
「おっと……思わず大きな声が出てしまいました」
「ふふっ。そんなに驚かないでください」
 辺りを見回した花明を安心させるかのように、そっと見つめ返すと柏原は言葉を続ける。
「大それた事ではないのです。この館には無数のランタンや灯篭などがあるのです。それらを日が沈むと共に一斉に燈します。すると館全体がぼぅっと光を発しているかのように見えて、それがとても幻想的で……いつしかこの館は幻燈館と呼ばれるようになったとの事です」
「なるほど……。僕が昨日こちらに着いた時はまだ夕暮れどきでしたから。いや、是非見ておきたい光景ですね」
「ええ、是非。灯された明かりは夜明けともに全て消すんです。それも使用人の大切な仕事の一つなんですよ」
「それでこんな早朝に。なるほど、素晴らしい」
「物音くらいの事、本来なら花明さまを起こさずとも、他の使用人を起こせば良いのですけれど……。私たち使用人は別棟で暮らしているんです。当直として館で過ごすのは毎日二人なんです。今日は私と村上さんが当直でして」
「昨日は遅くまでお仕事でしたのに、尚且つ当直とは……大変でしょう」
「いえ、ちゃんと休めるところでは休んでいますので、大丈夫ですよ。お気遣い有難うございます。別棟への扉は当直の人間が管理していて、今は村上さんが持っているんです。村上さんを呼んで一緒に裏庭に行ければ良いのですが、それだともし急に旦那さまが用をお申し付けになった時に対応出来るものが誰もいなくなってしまうので……。花明さま、本当に」
「僕なら大丈夫ですよ。むしろ幻燈館の由来が聞けて幸運な位です」
 いかにも柔和な口調で花明がそう言うので、柏原もほっとしたように肩の力を僅かに抜いた。
 話している間にもやがて二人は玄関を抜け、表へと出ていく。冷たい空気に一瞬身震いした花明だが、柏原に気を使わせまいと背筋をすっと伸ばした。やがて二人は裏庭に辿り着いたが、不審な人影はおろか、足跡もなかった。念の為に屋敷を取り囲むようにぐるっと一周してみたが、やはり結果は同じであった。
「私の気のせいだったようです。花明さまにこのような事までさせてしまった挙句、本当に申し訳ございません!」
 そう言って柏原は深々と頭を下げるので、花明は恐縮した様子で大きく頭を振った。
「いえいえ、何事も無くて良かったですよ。どうか頭をお上げ下さい」
「そう言って頂けると救われる思いが致します」
「僕はただのしがない学生ですから。蝶子さんのご厚意でこちらにお招き頂いただけですし」
 そう言って笑った花明だったが、冷たい風に当てられ今度は大きく身震いした。
「いけない! お風邪でも召されたら大変です。中へ戻りましょう」
 慌てた様子で玄関へと戻る柏原の後を、花明も早足で追ったのだった。

 玄関の扉を開けると、温かい空気に体が包まれ冷えていた体が生き返るような思いに、花明は思わずほっと息を吐いた。
「ではお部屋までご案内します」
「助かります。このお屋敷は本当に広くて……実は一人では戻れる自信がなかったんですよ」
「ふふっ、こちらです」
 鮮やかな紫の絨毯の敷かれた廊下を進み、二階への階段を昇り切ると、二階の廊下の奥の方の部屋から出てくる人影が見えた。
「あれは……」
「花明さま、こちらへ」
 慌てた様子で花明を廊下の影へと促すと、柏原は静かにと口元に人差し指を当てて花明に示した。それに倣い、花明もそっと息を潜めていると、やがて柏原がそっと廊下の方へと身を乗り出し様子を確認した後、ほっとしたように胸を撫で下ろした。
「申し訳ありませんでした、花明さま。お客様にこのような事をさせてしまった所を見られては……」
「ああ、怒られてしまうかもしれないから、身を隠したんですね」
「そうです。重ね重ね――本当にもう私ったら」
「ははっ、何か子供の頃のかくれんぼを思い出して、少し楽しかった位です」
「お優しいんですね、花明さまは」
 秘密を共有した子供達のように、二人は顔を見合わせると小さく微笑み合った。少しの間の後、つと花明の顔が真顔になり「それにしても」と続けた。
「それにしてもさき程の人影は一体……」
「あの部屋は怜司さまの部屋ですから、代美さまが自室へとお戻りになったのでしょう」
「お二人は同じ部屋ではないのですか?」
「ご夫婦だからといって同じ部屋とは限りませんでしょう? それにこのお屋敷はこんなに広いのですから」
 そう言って悪戯っぽく柏原がえくぼを作るので、花明もつられて頬を緩めた。屋敷で眠る人々を起こさぬよう、また柏原が客人に見回りの同行を頼んだ事が公にならないように、息を潜めながら二人は廊下を進み、やがて客室の前へと辿り着いた。
「いやこのお屋敷は本当に広いですね。柏原さんのおかげで無事に戻って来られました」
「いえ、こちらこそ本当にお騒がせしました」
 柏原はそう言ってまたも深々と頭を下げる。使用人と言うのはとても気を使う仕事なのだな等と、花明は少し心配にすらなった。
「それでは私は仕事に戻ります」
「頑張って下さいね」
 笑顔で柏原を見送ると、花明は再びベッドへと入った。覚醒してしまった意識は中々睡魔を呼び寄せはしなかったが、それでも横になっていると、やがて自然に微睡んでいった。