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幻燈館殺人事件  前篇

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 来た時と同じ廊下を辿り一階へ行く道すがらも、花明は辺りを興味深く観察していた。廊下の中央付近には、これまたアールヌーボー調の卓が設えられていて、その上には真っ赤な薔薇が活けられた大きな花瓶が載せられている。さり気なく置いてあるが、あの花瓶も相当な価値のある物なのだろうな――などと花明が思っていると「何かございましたか?」と、蝶子が前を向いたまま声を掛けた。
「いや不躾ですみません。余りにも見事な調度品ばかりな物ですから、つい」
 問われ自分の視線を恥じた花明だったが、蝶子はそんな事自体にはまるで気にも留めていない様で、寧ろ申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「一つ一つご案内出来たら良いのですけれど……」
「いえいえ、こうして拝見出来るだけで、僕のようなしがない書生には夢のような世界です」
 そう返すと花明は、それでもやはり周囲を観察することを止める事が出来なかった。クリスタルガラス製のシャンデリアからの光が、紫色の廊下に優しい光を与えている。その光を受けた廊下に彩りを添えるかのように、壁にはいくつもの風景画が掛かっていた。
「見事な風景画ですね……」
 花明がため息とともにそう漏らすと、蝶子は視線だけを画に馳せた後、粛然とした姿勢は崩さないままに口を開いた。
「代美さまが廊下に何も無いのでは殺風景でつまらない、と仰いまして。何人もの高名な画家の先生に頼まれたのです。ここにある風景は全て代美さまの望む景色との事です」
「なるほど……」
 そう言われて改めて見てみると、どれもまた趣が違って見えた。鬱蒼とした深い森や、きらきらとした光の反射する海辺、星空の美しい片田舎から、見慣れた帝都の画まであった。これら全てが代美という一人の女性の望みによって描かれたというのだから、九条家というのはやはり凄いものだなと、花明は内心舌を巻いた。
 そんな風に絵画や調度品に、きょろきょろと落ち着きなく目を配りながら歩いていると、やがて一枚の大きな両開きの扉の前へと辿り着いた。
「こちらが食堂になります。中で皆さまがお待ちです。どうぞ」
 花明を促すと同時に、蝶子が扉に手を掛けると目の前の扉はぎぃという重低音とともに左右対称に開いた。
 扉が開くとそこは圧巻というに相応しい光景が広がっていた。大きなシャンデリアに深紫の絨毯。やはりここもアールヌーボー調で統一された家具や調度品。長い食事テーブルの最も上席には、着物を着た初老の男が座っている。次席には白い洋服を着たどこか影を帯びた印象の三十前後の男が座っていて、その対面には蝶子に顔立ちの似た女性が、真っ赤なドレスに身を包んで艶やかに微笑んでいる。その横にいるのは千代。行儀よく背筋を伸ばし、椅子に浅く腰かけていた。
 上席の初老の男が九条家当主である事は想像に難くなかった。となると白い洋服の男はその息子で、その対面の女性が蝶子の姉なのであろう。二人の顔立ちはなるほどよく似ていたが、その雰囲気は対照的であった。赤いドレスを着た代美は太陽のように輝かしく華やかな印象を花明に与えた。一目見て誰もが彼女の事を美しいと讃えるに違いない。対して妹の蝶子は月のように静かに、だがしかし凛然とした印象を花明に持たせた。青いドレスも蝶子らしいと、花明は心ひそかに得心した。
「ほう、来たか」
 室内に入るなりその場で固まるかのように立ったままの花明を視界に捕らえると、上席に座った威厳ある男が呟くかのように零す。その視線の鋭さに花明は一瞬ぎくりと身を硬くした。
「皆さまにご紹介致します。先ほどお話した花明栄助さまです」
「花明です。帝国大学で民俗学を専攻しています」
 蝶子に促された形で花明は自分の身分を明かすと、皆に向って一礼した。それを受けて蝶子が再び口を開く。
「あちらが幻燈館当主、九条大河さまです」
 上席の男性の方へと手を伸ばし、蝶子がそう紹介すると花明は再び一礼をした。
「この度は蝶子さんのお言葉に甘えて、このような会食の席にのこのこと現われてしまいまして、申し訳ありません」
「面をあげられよ。何もそう硬くなる事はない」
「は、有難うございます」
 言われて花明は頭をあげた。帝都ではこの九条家と同等、いやそれ以上の名家も珍しくはない。花明も澤元教授に連れられて、そう言った方々と対面した事がないではなかった。しかしこの九条大河という人間の持つ独特の威圧感は、花明の背筋を嫌がおうにも伸ばした。
「そしてこちらが御当主のご子息であられます九条怜司さまと、その妻の代美さまです」
「ふふっ、この館に御客人なんて珍しいこと。ましてそれが蝶子の連れてきた方と言うんですもの」
 怜司の方は蝶子の紹介を受けても、ちらりと花明の方へ視線を向けただけだったが、対して代美の方はいかにも花明に興味ありげな様子で、うっすらとした笑みをその顔に張り付けている。大河に怜司に代美と紹介され、自分の予測が外れていなかったことに、花明が安堵にも似た気持ちを抱えていると、鈴を鳴らしたような愛らしい声が「お母さま」と代美を制した。
「お母さま、蝶子だけが連れてきたわけじゃないわ」
 そう言って小さな体を伸ばしたのは、先ほど湖畔で出会った千代である。
「そうだったわね、千代のリボンの為に労を取って下さったのですものね」
 千代にそう言葉を返した代美は、いかにも意味ありげに蝶子の方へと視線を向けた。その視線に何か侮蔑的な物を感じ、花明は少しばかり戸惑いを覚えた。
「千代が世話になったというのならば歓迎しないわけにはいかぬ。今宵はどうぞ楽しまれよ」
 大河のその言葉を切っ掛けとし、室内に二人の男と柏原と同じ使用人服を着た二人の女が入ってきた。蝶子はまず男達の方に近付き、再び花明の方へと顔を向ける。
「こちらは料理長の吾妻、そして執事の村上です」
 吾妻と紹介された年配の男は恰幅の良いいかにも料理長といった風采であった。対して村上の方はまだ若く、ひょろりとしたその体躯と同じようにその顔立ちもどこか怯えたかのような印象を与えた。二人を紹介し終えた蝶子は、次いで女達の元へと進む。
「使用人の斎藤と狭山です」
 紹介された二人は丁寧に頭を下げた。斎藤は三十代前半といった所だろうか、少しふくよかだが柔和そうな微笑みを顔に張り付けていて、それが花明に穏やかな印象を与えた。狭山の方は柏原と同じくらいの年齢だろうか。華奢な体つきをした二十代半ばのやや神経質そうな女性である。
「そして先ほど紹介した柏原。以上がこの幻燈館に住まう者の全てです」
 蝶子の言葉を受け、大河が口を開く。
「これで御客人の事を知らぬ者はこの館には誰もおらぬ。使用人共には気兼ねなく命じられよ」
 大河の言葉を聞き終わると使用人たちは再び花明に向って一礼をしたので、花明は心底恐縮してしまった。
「さ、花明さまどうぞあちらへ」
 そんな花明の内心の緊張を知ってか知らずか、蝶子が花明に席を進めると村上がサッと椅子を引いた。
「有難うございます」
 礼を言い、花明が席に着くとそれを待っていたかのように大河が声を張った。
「さ、晩餐を始めよう」
 その言葉を合図に吾妻達が料理を運び入れる。卵と茄子を使った前菜が運ばれると代美が口を開いた。