幻燈館殺人事件 前篇
「なぜ代役などを立てる必要がある? 二人が不倫をしていたわけでもないのだろう」
「怜司さんと蝶子さんは不倫をしていません。ですが代美さんはどうでしょうか。逆に代美さんが不倫をしていたとしたら? 怜司さんどうしますか」
「願ってもいないな。勿論この九条からご退場願うさ」
花明からの不躾な質問にも怜司は嫌な顔をせず、寧ろうっすらと笑みすら浮かべた。
「しかし現実は代美さんは自室に居た。つまり怜司さんは代美さんの不倫を知らず、また知られれば追放される事から代美さんも決して怜司さんに知られるわけにはいかなかった」
「ほほほ。見事ですわね、花明さま。しかしそれもあくまで仮説の話。そもそも代美さまは不倫などしていなかったかもしれませんわ」
「蝶子さんの言われる通りです。しかしもう少しだけお付き合い下さい、代美さんが不倫をしていたという仮説に。代美さんが不倫をしていた場合、蝶子さんはその不倫を隠蔽する手伝いをしていたのではないでしょうか。いえ、させられていたのかもしれません。昨夜は代美さんが不倫相手と逢瀬の日でしたが、彼女はそこに向かう事無く酔って眠ってしまった。しかしその事実を知らない蝶子さんは、予定通り怜司さんの部屋へと向かったのです。これならば代美さんが会食時の服装のまま殺されてしまった事にも説明がつきます。蝶子さんがそのような行為などしていないとするならば、会食時の服装のまま殺された事について、きっちりと解明して頂きたいのです。その上で私が犯人であった場合は逮捕して下さい。はっきり申し上げますが、私は自分が誤認逮捕されるのを防ぎたいのであって、事件の解決や犯人の正体そのものになど興味はないのですから」
花明が確固たる意志をもってそう言うと、それに反論する者は誰もいなかった。あの大河ですら口を真一文字に引き結び、押し黙っている。
「この代美さんの代役を蝶子さんがしていたという仮説が事実だった場合、昨夜怜司さんが蝶子さんを代美さんと認識していたという仮説も事実となります。となると会食時の服装のままであった理由は、代美さんは会食後そのまま眠りについたからであり、また私が見た人影の正体は蝶子さんとなるのです。同時にそれは蝶子さんと過ごしていた怜司さんは犯人ではない、という事になります。同じ理由で蝶子さんも犯人ではない――としたい所ですが、怜司さんの部屋から出た後、再び代美さんに会いに行ったとも言えなくもありません。無実を証明する証拠がありませんので」
花明に犯人の可能性があると示唆されても、蝶子は動じなかった。寧ろ不敵とも言えるほどに凛とした態度で、花明の推理を聞いている。その様子を目の当たりにしながらも、花明も言葉を慎むことはしなかった。
「そもそも代美さんはなぜ殺されなければならなかったのでしょう? 事実として怜司さんは代美さんの不倫を知りませんでした。もし知っていたとしても、怜司さんにしてみれば願っても無い事ですから、それが殺害の動機にはなりません。では蝶子さんの場合はどうでしょうか? 姉である代美さんの不倫が発覚すれば、代美さん共々この幻燈館にはいられなくなります。また隠蔽協力を強制させられていたかもしれません。ではその協力体制を終わらせる為に殺したのでしょうか? いえ、それだけならば何も殺す必要はありません。もっと単純な事で解決するのです。そう、怜司さんの部屋へ向かうのを止めてしまえば、やがて不倫は暴かれるでしょう。それともう一つ、既に殺すことを決意していたとしたのならば、その日は何も代役を務めに行く必要はありません……」
自身も考えを整理しながら発言していた花明だったが、ここで一つの考えが脳裏を掠めた。顎に手をやり、目を見開くとそれまでの朗々とした喋りとは打って変わって、呟くように唇を震わせる。
「……いや、ちょっと待って下さい。私は今、ある一つの事に気が付きました」
明らかに態度の変わった花明に、全員が注視する。
「怜司さんの部屋にいたのが蝶子さんであったなら、根底から覆る事になりませんか? つまり蝶子さんが怜司さんの部屋で過ごしていた時間のうちに、すでに代美さんは亡くなられていたという可能性です。犯行時刻となる明け方から早朝までの証明さえ用意すれば、容疑者から外れる事が出来るのです。実際に代美さんが襲われたのは真夜中であったとしても、です」
「それで、その時刻の私のアリバイがあるとでも?」
蝶子がすっと目を細め、花明はしばし考えを巡らしたが「……ありません、ね」と言うと、肩を少しだけ落とした。蝶子はそれ以上は何も言わず、嘆息を吐いたに留まった。
その様子を見届けた後、花明はもう一度自分を奮い立たせるように、拳を握り締めると大河へと向く。
「大河さんにお聞きします。あなたには代美さんを殺害するだけの動機がありますか?」
「何を馬鹿な事を。戯言は相手を見て言うのだな」
尊大な態度で花明を見下した大河であったが、その眼が少しだけ泳いだように感じられ、花明はここぞとばかりに大河を捕える。
「では相手を見て戯言をもう一つ。代美さんの不倫相手はあなたですね」
「はっはっは! これはまた随分と突飛な事だな」
「突飛な事ではありません。使用人の皆さんの証言から、九条家の人々は外泊などは滅多になさらないという事を存じています。となると不倫相手はこの屋敷の中にいると考えていいでしょう。となれば相手はただ一人、あなたしかおられないのです、大河さん」
「そのような事、ただの推測にすぎん。私が代美の相手であるというのなら、動かぬ証拠というものを出せ」
「ありません」
花明の答えに「それ見た事か!」と猛々しく吐き捨てると、大河は忌々しそうに花明を睨みつける。しかし花明はそれに負けはしなかった。
「では僕からも言わせて頂きましょう。僕が代美さんを殺害したという動かぬ証拠と言うものを、そろそろ出しては頂けませんか?」
「何を……」
「それがないのであれば、僕は今すぐこの館を出ます。しがない学生ですが、僕にだって人権というものはあるのですよ」
「ご当主、いかがですかな?」
膠着しそうな二人を察して、小野田警部が大河に確認をとる。しばし黙っていた大河だが、やがて諦めたように口を開いた。
「……代美の不倫と代美の殺害の動機に、どんな関係があるというのだ」
「簡単な話です。不倫相手は大河さんではなかったとしましょうか。その場合、次の証言が生きてきます。つまり使用人の皆さんの『旦那様は自分の娘のように代美さまを可愛がっておられた』『旦那様は若旦那さまよりも若奥様も可愛がっていらした』というような証言です。そんなにも愛していた代美さんに、大河さんが肉体関係を迫ったとしましょうか。そして代美さんはそれを拒否。怒りにまかせて代美さんを殺害した」
「何を馬鹿な!」
作品名:幻燈館殺人事件 前篇 作家名:有馬音文