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幻燈館殺人事件  前篇

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「馬鹿な事かも知れませんが、その身が潔白であるならもう少しお付き合い下さい。いいですか? 逆に不倫相手がやはり大河さんであったとしましょう。この場合はどうでしょうか。愛人関係の清算を代美さんから持ちかけられて殺害した? いえいえこれはあり得ません。なぜならば昨夜もまだ蝶子さんは代役を務めているからです。これにより代美さんから愛人関係の終了を持ちかけてはいなかったとなります。では大河さんから持ちかけて揉めた? これも難しいように思われます。なぜなら代美さんが殺害されてからの大河さんの悲しみようは、それはそれは深いものだからです。もし大河さんと代美さんが真に不倫をしていたというのならば、この件については大河さんは被害者とすら言えるでしょう」
「しかし……それは……」
どちらにも転べぬ状況を、ただの書生風情と見縊っていた花明により作り上げられ、大河の歯切れは悪くなり、やがて沈黙した。その様子を見ていた蝶子は最早これまでといった風で、一度深く眼を閉じ呼吸を整えると、静かに口を開いた。
「花明さま、よくお見抜きになられましたね。そうです、代美さまは不倫をしていました。相手は花明さまの予想通り大河さまです」
「やはり……」
 自分の推測が正しかったのを確信し、花明は小さく息を吐く。そんな花明を気遣うでもなく、蝶子は発言を続けた。
「花明さまにはっきりと申し上げます。これは幻燈館の秘で御座います。それをこうして白日のもとに晒した以上、真犯人は捕まえられませんでした――では済まされません。九条の名誉に傷が入った以上、それ相応の対価を。つまり犯人を言及して頂かねば、こちらももう引く事は叶わないのです」
 蝶子が厳しい口調でそう言うと、花明は強く頷いた。
「犯人の目星は……ついています」
「ほう。それは誰かね」
 小野田警部が興味津津といった様子で前のめりに姿勢を崩したが、花明はそれを小さく手で制した。
「順を追って行きましょう。蝶子さん、明け方怜司さんの部屋から出てきたのはあなたで間違いありませんね」
「ありません。私はこの館に代美さまと千代さまと残る為、代美さまの不倫に協力していました。怜司さまは……その、私と代美さまを判別する事は出来ないと分かっていましたから」
 蝶子に目の前でそう言われ、怜司は思わず息を飲んだ。明らかに動揺する怜司を横目に確認しつつ、花明は疑問をぶつけた。
「分かっていた、とは?」
 花明の視線を受け止めると、蝶子はぐっと背筋を伸ばした。その雰囲気は何かを覚悟した人のそれであった。
「正直に申し上げましょう。怜司さまは、人相で人を判別できないのです」
「蝶子!」
 蝶子から驚くべき真実が語られると、怜司は蝶子に向ってその名を呼び、続きを語る事を止めようとした。だが蝶子はそれに対し、憐みを含んだ視線で応えると、そっとほほ笑んだ。
「お芝居はもう終わりです」
 蝶子と怜司の間に陰りのある空気が漂ったが、小野田警部に挟まれた「どういうことか、説明していただけますか?」という疑問で、その空気が長く続くことはなかった。
「怜司さまは、相貌失認症という人相から人を判別できなくなる奇病を患っています。そこの名探偵さまの仰る通りです」
「相貌失認症」と鸚鵡返しに口にしながら手帳を広げる警部を尻目に、蝶子は怜司の元へと近づいた。
「私があなたに接する機会を少なくしていたのも、いつも不機嫌そうにしていたのも、全て――全て姉と大河さまの事があったからなのです」
「それじゃあ、俺は……」
「あなたには同情しています。代美のせいで……こんな……」
 蝶子にそう言われると怜司は顔をそらし、喉の奥で「ぐっ」とだけ呻いた。その顔には明らかな怒りと同時に絶望が見て取れる。
 まさか怜司がそのような病を患っていたなどとは思いもしなかったか花明は、思わず怜司に問いかける。
「怜司さん、蝶子さんの話は本当なのですか?」
「……もはや隠しても仕方がないな。本当だよ、俺は人の顔の区別がつかない。あんたは俺に母の写真はないかと聞いてきたよな。俺はもう母の顔など写真を見ても分からないんだ。だから手元には残さなかった。母だぞ? 俺を産んでくれた母の顔が分らないんだ! 名ばかりの妻の顔など分かるはずもないだろう。俺には誰の顔も分からない。服装で判断するのが関の山でな……」
「そう、だったのですね……ではこの事は大河さんもご存知ですね?」
 花明の問いに怜司は黙って頷いた。
「目が悪いわけではなかったのですね……。ですがこれで犯人は確定しました」
 憐れむように怜司に目線を飛ばした後、しかしこの表情すら分かってもらえないのかもしれないなどと、一人思いを馳せた花明が全員に向って凛とした声を上げた。一同は固唾をのんで花明を見守る。
「眠っている人の顔など絶対に判別が出来ない――これにより入れ替わりが証明されました。やはり代美さんは昨夜、怜司さんの部屋には行っていないのです。これにより代美さんの死亡推定時刻が大きく変わります。明け方から早朝の間ではなく、会食終了後から早朝までに広がるのです」
大河は既にぐったりとしていた。自身の不倫だけでなく、次期当主となる息子の奇病まで明るみになってしまったのだから無理もない。すっかり憔悴しきった様子の大河を見て、花明はもはや嘘は言わないであろうと判断し、大河に向かって言葉を投げた。
「大河さん、証言をお願いしてもよろしいですか?」
「……貴様の言う通りだ。昨夜は代美が儂の部屋に来る予定だったんだ。だが彼女は現れなかった。相当に酔っていたし眠ってしまったのだろうと、儂も床についた」
「有難うございます。代美さんは怜司さんの部屋にも行かず、大河さんの部屋にも行っていない。代美さんは会食後自室でずっと眠っていたという事になります。怜司さんには先ほども言いましたが、眠っている相手を特定する方法がありません。またそもそも殺害に至るまでの十分な動機もありません。では大河さんと蝶子さんはどうでしょうか? お二人は二つの秘密を共有しています。一つは大河さんと代美さんの愛人関係。そしてもう一つは代美さんと蝶子さんの入れ替わりです。この二つは今回の事件において重要な秘密です」
 朗々とまるであらかじめ用意されていた台本を読み上げるかのように、状況を語り上げる花明を制する事はもはや誰にも出来ない。皆一様にかの青年の推理に耳を傾けている。
「大河さんが蝶子さんが怜司さんの部屋に行っている間に代美さんを殺害したとしましょうか。怜司さんは代美さんが自分の部屋に来たと思いこんでいますから、我々が最初に思ったように犯行時刻が変えられます。それはつまり大河さんがアリバイを用意出来るという事に繋がります。一方蝶子さんの場合はというと、怜司さんの部屋を訪れる前に代美さんを殺害したとすれば、やはり犯行時刻はズレこみ、蝶子さんはアリバイを用意出来るのです。しかしこれはあくまで大河さんと蝶子さんが示し合わせて初めて成立すること。一人が偽の証明を用意したとしても、秘密を共有しているもう片方には簡単に見破られてしまうのです。つまりお二人は共犯、もしくはお二人とも無実となります」
「私は……」