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幻燈館殺人事件  前篇

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 ざわざわと屋敷全体がざわめく様な騒がしさで、花明はそっと目を覚ました。明け方にもそうした様に目をこすりながら柱時計に目をやると、時刻は午前八時を少し回った所であった。
 何事かあったのかと、急いで着替えを済ませると花明は廊下へと続く扉を、ガチャリと音を立てながら開け放つ。扉から半身を出し左右を見回してみたのだが、誰もいない。しかし廊下のずっと奥の方からどよめきが聞こえるので、その音を追うようにして花明が歩みを進めると、やがて一つの部屋の前で人だかりが出来ているのが見て取れた。何事かと首を傾げていると、その部屋から怜司が荒々しい足取りで出てくるのが見えた。
「一体誰がこんな事を!」
 花明は怜司に声を掛けようとしたが、怒り心頭に達した様子で目の前を通り過ぎていくので、声を掛ける時機を逃してしまった。その開きかけた口だけが、為す術なくぽかんと開いたままになってしまったが、運よく近くに柏原の姿を見つけられたので、彼女の名前を大きく呼んだ。
「あ、花明さま!」
 花明の呼びかけに気付くと、柏原は急ぎ足で彼の元へと向かってくる。
「一体何事ですか? 随分騒がしいようですが」
 明け方までの柏原なら花明のこの問いに対し、まずはお騒がせして申し訳ございませんなどと頭を下げた所だろうが、しかし今回は違った。青ざめた顔に震える手を胸の前で組み、瞳に涙すら浮かべながら息も切れ切れに、言葉を紡ぐ。
「それが……代美さまが……代美さまが……!」
 その様子にただ事ではないと判断した花明は、扉付近に集まった使用人達をかき分けて室内へと足を踏み入れた。
「お姉さま! ああ! お姉さま!」
 部屋の中は蝶子の声が響き渡っていた。蝶子はベッドの横に崩れるようにして膝をついている。そのベッドには部屋の主である代美が横たわっていた。が、何か異質なものを感じた花明が、ベッドへと一歩一歩近づいていくと、やがてその違和感の正体が分かった。
 ベッドで仰向けに横たわる代美は、昨夜会話した時と同じ真っ赤なドレスを着、長い髪も後頭部へと流すように綺麗に結いあがったままだった。瞼を閉じたその姿は、飲み疲れた婦人がただ眠っているだけのように見える。
 しかし眠っているわけでは無い事は誰の目にも明らかだった。真っ赤なドレスの胸の部分には、深く濃い黒のような赤が広がっている。そしてそこからは一本のナイフが生えていた。
「これは……!」
 息を飲み、やっとそれだけを花明が言葉にすると、その声にはっとしたように蝶子が花明の方へと顔を上げた。
「ああ、花明さま!」
 花明と視線を合わせた蝶子の瞳は泣き濡れていて、ただでさえ白いその顔は陶器のように白く蒼褪め、血の気と言うものが完全に引いてしまっているのが見て取れた。
「一体これはどうした事です?」
 蝶子をこれ以上不安にさせてはいけないと、内心の動揺をひた隠し、努めて冷静な声を花明が出すと、蝶子もそれに応えるように、一つ大きく息を吐いた後、昨日のような凛とした態度を取り戻した。
「お見苦しい所をお見せしました」
「いえ、僕の事ならどうかお気になさらずに。大丈夫なのですか?」
「はい、私ならもう……大丈夫ですわ」
 背筋を伸ばしそう答えた蝶子の事を、強い人なのだなと驚嘆した花明のその視線は、蝶子と代美の間で彷徨ってしまう。
「代美さまは何者かに殺されたようです」
 動揺し先程までは姉と呼んでいたその人を、九条家の次期当主の妻として扱うその様子に、蝶子はもう自分を取り戻せたのだなと、驚くと同時に花明は少しだけ安堵した。
「最初に代美さまの異常に気付いたのは狭山なのです」
 名前の挙がった使用人は部屋の隅で硬直していたが、蝶子が手招きをするとおずおずと花明の前へと歩みよって来た。昨日、食堂でも見た使用人である。ただでさえ神経質そうなその表情は昨夜見たものより、より厳しい印象を花明に与えた。
「狭山、花明さまにお話して」
「は、はい」
 怯えたような視線を花明に向けると、狭山は震える唇に音を乗せた。
「いつもの通り代美さまのお部屋へ、ご朝食をお持ちするかどうかを確認しに来たのです。代美さまはいつもご朝食は自室で取られますので……。それで何度か扉の前でお名前をお呼びしたのですが、返事を頂けず……。昨夜の事もありましたので、まだ眠っていらっしゃるのかとは思いつつも、以前そう思い朝食を運ばなかったときに酷く怒られた事がありましたので、失礼かとは思いましたが念のため室内を確認させて頂いたんです。そしたら……」
 そこまで言うと狭山が両手で口元を覆ったので、花明はみなまで言わずとも分かったとばかりに大きく頷いて見せた。
「そうでしたか……。しかし一体」
 花明が尚も言葉を続けようとしたその時、遠くから何か低い叫び声と硝子が割れるような大きな音がしたので、思わず言葉を切るとそのまま身を固くする。
「何事ですか!?」
 言うなり叫び声のした方へと花明は向かおうとしたが、その腕を蝶子の細い手が引き、その場に留まれと意思表示された。
「蝶子さん?」
「あれは大河さまです。代美さまの死を悲しむあまり、少し錯乱しておいでなのです……。代美さまの事を知ってから、あの様に部屋中の物に当たり、叫んでいらっしゃるようで……。おいたわしい事ですが、今はそっとして差し上げて下さい。まだ暫くは部屋から出られる事も叶わないと思いますわ」
 大河にとっては代美は義理とはいえ娘だ。それも時期当主となる男児を産むはずの大切な娘だったのだ。その悲しみはいかばかりか――花明には計り知れぬものを感じ取り、ぐっと両の拳を握り締めた。その時――
「お母さま?」
 扉の方から天使のような澄んだ声が、既にいない部屋の主を呼んだ。
「ち、千代さま!」
 千代が今にも部屋の中へと入ろうとしているのを見つけると、すぐさま蝶子は少女の元へと駆け寄った。
「蝶子、なにがあったの? おじいさまはどうして? お母さまは?」
「千代さま……」
 蝶子は跪くと室内の様子が千代に見えないよう、少女をぐっと抱き締めた。
「蝶子、離して。お母さまのお部屋になにがあるというの?」
「いけません千代さま。見てはなりません」
「どうして? 私のお母さまの事よ!」
 はっきりとした物が見えずとも、大人たちの雰囲気で何かただ事ではない事が起きているという事は千代にも分かっていた。分かっているのに何も教えてくれない蝶子を恨むように、抱きしめられたその腕の中で身をよじる。
「蝶子、離して!」
「出来ません。千代さま、今日の事はいつか、いつか必ず私の口からお伝え致します。ですから、ですから今はどうか……」
「いや!」
 思い切り首を振ると蝶子の中で千代が暴れ回る。蝶子は眉間に深い皺を寄せると「村上!」と若い執事の名を呼んだ。
「はい」
 他の使用人同様、扉付近で控えていた村上はすぐに返事をすると蝶子の傍へ参じる。
「千代さまをお部屋へお連れして」
「畏まりました」
 返すなり村上は千代をひょいと抱き上げた。
「いや! 離しなさい!」
「お許し下さい、千代さま」