雨闇の声 探偵奇談1
「…須丸瑞です。今日からよろしくお願いします」
「すまる、みず…」
入部届を受け取る。外見に似合わず、教師が書くような美しい字だった。瑞。みず。なんだろう、すごくひっかかる気がする。じっと字を見つめるが、この名前の何が自分の記憶を刺激するのかはまったくわからないのだった。
「あのう、神末先輩…?」
訝し気な郁の声に、慌てて顔をあげた。
「あ、うん。練習は毎日放課後。仮入部?」
「いえ」
「じゃあ今日の放課後から、さっそく来てもらっていいから」
はい、と生真面目な返事が返ってくる。しかしその瞳は、探るように伊吹の瞳をとらえていて、こちらの言葉など聞いていないように感じられた。まるで、見えない何かを探そうとするかのような強い視線だった。
(…なんだこいつは)
耐えられない。目を逸らして郁を見た。彼女はきょとんとしている。
「もしかして知り合いですか?」
「いや、知らない」
即座に否定するが、それも自分の意思ではないように感じる。自分の中の誰かが否定したがっているような。伊吹はわけのわからない状況に恐怖すら感じていた。
「じゃあ行こう、須丸くん」
「…うん」
うん、というのに、視線が伊吹から外れない。それに気づかないふりをして、伊吹は二人に背を向けた。失礼します、という郁の声とともに、足音が遠ざかっていく。
「やっぱ知り合い?」
「…いや違う、うーん、おかしいなあ…」
そんな会話を背に聞きながら、伊吹は立ち尽くすしかなかった。
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作品名:雨闇の声 探偵奇談1 作家名:ひなた眞白