雨闇の声 探偵奇談1
「行きます。そこ、踏まないように入ってきてくださいね」
瑞はそう忠告し、静かに教室の扉を開けた。ざあ、と雨の音が大きく響いてくる。どろりとした暗闇が横たわっているのは、瑞の背中越しに見える。郁は酒を踏まないよう瑞のあとに続く。
教室に入った瞬間、そこがもう異界の様に変容しているのを身体が感じ取る。風景の輪郭が歪み、時間が止まってしまったかのような感覚。暗闇、だけどそこには確かに息づくものがいた。黒い影。頭から黒い袋でも被ったかのような不気味なシルエットが、窓際に所在なさげに佇んでいる。
「…!」
思わず瑞の腕を掴んだ。大丈夫、というようにその郁の手を軽く叩いてから、瑞は影に向き直る。どんな表情をしているのかは暗がりにわからないが、瑞が怖いくらいに落ち着いていて、いつもと何ら変わらない心持でいることが伺える。本当に怖くないの?と郁の心も徐々に静まっていく。
べちゃ、と濡れた音をたてて、影が動く。窓際をすべるようにして。郁にもそれがはっきり聞こえた。
「ごめん、もうここからは出られないんだよ」
瑞の声が静かに響き、濡れたような闇に温度を与える。穏やかな声は、得体のしれない影に向けられている。
「ここはだめだ。山に帰ろう」
話が通じる相手なのか、と驚く郁だが、瑞の言葉がわかっているかのように、影は動きをとめた。こちらをうかがっている様子がはっきりと伝わってくる。聞いている。影は、瑞の話を聞いているのだ。
作品名:雨闇の声 探偵奇談1 作家名:ひなた眞白