雨闇の声 探偵奇談1
「先輩」
ふいに声をかけられる。ぼんやりしていたのでびくりと肩を震わせてしまった。
「俺を知ってる?」
雨を縫って届く声は、かぼそく不安げだった。まっすぐに見つめてくる瞳には戸惑いのような、困惑めいた色が浮かんでいる。
「どこで会った?俺は…忘れているみたいで」
「……」
同じ感覚を抱いていたというのか。では互いに本当に忘れているだけで、いつかどこかで出会っているというのか?
それにしてはこの感情の深さは何だろう。こんなにも懐かしく思う相手を忘れているというのは解せない。しかも互いに?
そして何よりも。
「さあ、人違いだろ」
伊吹自身は思い出すことを猛烈に恐れている。考えてはいけない。思い出してはいけないと、頭ではなく心がずっと警告しているのだ。伊吹はそれに従う。この再会は、あってはならないことではないのかと、そんな予感めいたものがはっきりと自分を恐れさせるから。
「人違い…そうかな?」
背を向けても、瑞の声は問いかけてくる。
「俺は絶対、間違えないと思うんだけど」
聞こえなかったふりをしてやり過ごす。まっすぐに目を見られない。思い出してしまいそうだから。
「お疲れ」
それだけ声をかけて、伊吹はその場を離れた。罪悪感のようなものに胸が痛むのは、気のせいだと言い聞かせながら。
作品名:雨闇の声 探偵奇談1 作家名:ひなた眞白