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あの純白なロサのように

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 俺が頼りにされるようになると、今まで氷の魔女に嫌々関わっていた人間はすっと潮が引くように誰もいなくなった。俺の仕事が見る間に山積みになるにつれ、氷の魔女はどんどん孤立していった。
 俺が、彼女の居場所を奪っているー…いや、これでいいのだ、と俺は言い聞かせながら、毎日忙しく走り回っていた。氷の魔女を気に掛けながらも、俺は彼女に意図的に避けられているようで、擦れ違うことなど一切無かった。
 大臣の話を聞き、書類の判をつき、王に面会をし、兵の指導をしているその少しの合間も、俺は彼女の姿を探した。
 彼女が、誰も知らぬところでひとり泣いてはいないかと、そのことだけが気がかりだった。
 そんなある日、俺は人払いした王に呼ばれた。
 密命でもあるのかと、俺は幾分緊張して行った。
「太陽の騎士、そう畏まってくれるな。床ばかり見詰めさせているのは忍びない」
「勿体ない御言葉でございます…」
 これは顔を上げろと言うことだと理解して、俺は気安く声を掛ける王を見た。王はそれでいいと満足そうに頷く。
 この国の王は、豊かな金の髪に青い瞳の青年だった。まだ十八歳だと言うが、忙しさのあまり妻を迎える暇もなく来ていると聞く。氷の魔女とはまた違った意味で、その若い肩にこの国の全てがのしかかっていると思えば、威風堂々とした姿さえ哀れみを覚えるほどだった。
 王はその日も上機嫌だった。
「巷でそなたは黒の騎士と呼ばれていると聞く。まさか、かの『黒の騎士』と、他人のそら似ではあるまいな?」
「畏れながら。父が、かつてそう呼ばれておりました」
「やはり、そうか…」
 王は感慨深げに頷いた。俺が黒の騎士の息子だというのは公然の事実だとして広まっていると思ったが、下々の噂は王の耳にまでは届いていなかったらしい。
「黒の騎士にはわたしも世話になった。よく見れば顔も瓜二つではないか。こうして息子であるそなたと相まみえて嬉しく思う」
「光栄な御言葉、父も喜ぶでしょう」
「うむ。ところで、今日そなたにわざわざ時間を空けさせたのは他でもない。…ちゃんと褒美を取らせていなかったと思ってな」
 俺は一瞬耳を疑った。褒美?人払いまでして、それだけのために?
 一気に肩の力が抜けた俺を他所に、王はにこにこと言う。
「何が欲しい?金か、それとも品がいいか、何でも言え」
「そんな…褒美を頂く理由などございません。わたしは何もしていないのですから」
「謙遜するでない。わたしは、本当にそなたには感謝しているのだ。快く受け取って欲しい」
 そう言ってくれる王には悪いが、俺は金も、物も、地位でさえ、本当は何もいらない。
 弟がいなくなって…突然の嵐に呑み込まれたように、俺は空っぽになった。
 黒く荒くれた嵐の中で、ひとり大海原に投げ出されたように、自分で自分の未来がわからなかった。これからどうなるのか。どこへ辿り着くのかさえも、全く見えなくて。
 ただ自堕落に繰り返される俺の朝も、昼も、常に光の射さない暗闇だった。
 俺は多分…生きる意味を欲しがっているのだ。そう思う。
 目印がなければ流れに任せて漂うままだ。それは嫌だ。生きていくのなら理由が欲しい。嵐の渦中へまっすぐ飛び込んでいけるほどの、熱く命を燃やす理由が欲しい…。
 きっとそれが、今の俺には、あの女の眩い笑顔なのだ。
「では、申し上げます」
 俺は、心を決めて王を見上げた。
「わたしの望みは…月の騎士を、その地位から追うこと…です」
 王の笑顔がすっと消えた。
 それを見た時、しまった…と思ったが、最早一度口から出た言葉は取り消せはしない。
 早まった…もしくは言い方が悪かったか?どちらにしても、あとはもう王の出方を見るしかない…。
 王は長い間、表情を消して俺を見ていた。顎のあたりを撫でながら、じっと何かを深く考えるように俺を眺めていた。
 俺はこの王が賢帝と呼ばれていることを、ふいに思い出した。
「…太陽の騎士よ」
 それは、喉の奥が粘つくほど長い時間だった、と思う。少なくとも体感的には途方もなく長く感じた。
「は」
 俺の絞り出す返事ですら、王には聞こえたか聞こえていないかの大きさだったに違いない。
 しかし王はそれには頓着せず、言葉を続けた。
「本音で話をしよう」
「は、い?」
 俺は王の言っている意図がつかめず、聞き返してしまった。
「わたしとそなたはまだ出会ったばかりの王と騎士であるが、わたしはそなたを信頼しているし、そなたもわたしに忠誠を誓ってくれていると思っている。信頼なくしてわたしたちの関係は成り立たない。違うか?」
「いいえ。おっしゃるとおりです」
 王はひとつ頷き、俺の目を見ながら言った。
「言葉とは難しいものだ。わたしは、そなたをわたしの想像だけで疑いたくはない。何故、そのようなことを望むのか、申してみよ。嘘偽りなく」
 俺は、このとき本当の意味で、王への見方が変わった。
 この王は、素晴らしい王だ。王という名が持つ意味を、権力の残酷さを、よくわかっておられる。
 自らの何気ない言葉ひとつで、ひとの命を簡単に握りつぶしてしまえることをよくよく理解して、臣下を大切に思い、民の気持ちに心を添わせ、この国をよき道に導こうとしておられる方だ…。
 この王は間違いなく、俺と本気で話してくださっている。ならば、俺もそれに上辺で答えるべきではない。
「王は、氷の魔女をご存じでしょうか」
 俺は、覚悟を決めて口を開いた。
「ご存じとは…どういう意味でだ?月の騎士は、わたしの騎士だ。知らぬ訳があるまい」
「言い方を変えましょう。王は、この国の運命を、ひとりのか弱い少女一人に負わせることを良しと思われますか」
 王は、俺が言わんとする意味を理解されたようだった。
 ううむ、と唸って椅子に深く座り直された。
「これも運命か…」
 王は小さい声で言った。独り言のようだった。
「太陽の騎士よ。そなたのような者が太陽の騎士となり、この城に来てくれたことを、わたしは神に感謝せねばなるまい」
「それは…」
「そなたの誠意に、わたしも真心でもって答えよう。わたしが今日、そなたを呼んだのは本当はそのためでもあったのだ。まさかそなたに先に言われるとは思っても見なかったが…。くだらぬ昔話を、聞いてほしい。が、その前に決して他言せぬと誓ってくれ」
「他言しません。わたしの名を冠する太陽に誓って」
「ありがとう。友よ」
 王は笑った。この国を統べる者から友と呼ばれたことに、俺は驚きで声も出せなかった。
 王は俺の様子に構わず、ゆっくりと話し始めた。