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あの純白なロサのように

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 ずるりと音を立てて、深々と刺さった剣が弟の胸から引き抜かれた。高々と鮮血があがり、剣を持つ白銀の騎士の鎧に弾かれて伝い落ちる。
 弟はにこりとひとつ笑って、崩れ落ちた。
 それを俺は抱き留めて、そのまま走る。再びあがった悲鳴と喧騒を、どこか遠くで聞いていた。
 走りながら弟の胸の穴を押さえたが全く意味が無く、俺は見る間に噴き上げる血で真っ赤に染まった。
 それはそうだ。この傷は心臓を一突きしている。駆ける馬上から小さい子供を狙ったと思えば見事な腕だ。弟はもう死んでいる。じゃあなんで俺は走っているんだ。なぜ。うおおと俺は吼えた。人は血だらけの俺を見て逃げ惑った。誰かが口々に何かを叫び、背に馬の迫る音がしていた気がしたが、都を抜けた頃には誰も追ってこなくなった。
 気がつけば俺は森の家に居た。
 何年も弟と二人で暮らし、馴染んだ我が家に。
 食器や椅子やテーブルなんてものが、見飽きるほど見慣れた配置で並んでいる。
 一瞬俺は、全てが夢だったように感じた。
 ああ、夕方だ。弟はどこで遊んでいるんだ、呼びにいかなくてはー…。
 しかし探すまでもなく弟は腕の中にいた。ぴくりとも動かない俺の弟。顔や服にこびり付いた血さえなければ、眠っているようだった。
 眠っている?いや、違う。死んでいるんだ。
 心が残酷な事実と、楽しかった過去を行ったり来たりする。夢を見ては、現実に絶望する。その軋轢で俺は涙を流す。
 俺は震える手で冷たくなった弟を寝台に降ろした。
 なぜ、なんで、こんなことになった。
 弟にはきつく言ってあった。パレードが来ても決してその道を塞ぐような真似をしてはいけない。特に王には近寄っただけで捕らえられ、苛烈な拷問の上四肢を砕かれ、馬に括り付けられて、都中を生きたまま肉が擦り切れるまで引きずり回される刑罰が下ると。それは例え女子供であっても容赦なく執行されるのだと。
 なぜだ!
 こんなことになるのだったら…昨日の夜興奮して寝付けない弟が俺の布団に潜り込もうとするのを、叱りつけるんじゃなかった。
 昔はずっと一緒に寝ていた。別々に寝るようになって、弟が寂しがっていたのも知っていた。だが、甘やかしてばかりは弟のためにならないと思って、あれもだめ、これもだめ、こうしろ、ああしろ、と、俺は、俺はー…。
 俺はいい兄ではなかった。そうだ、全くいい兄ではなかった。
 両親の顔すら覚えていないような弟が、寂しく思わなかったわけがあるだろうか。一緒に寝てやれば良かった。仕方の無い奴だと笑って、布団の端をめくるだけで良かった。たったそれだけで、弟の笑顔を見ることが出来た。どうして俺は、そんな簡単なことをしてやらなかったんだ。もう、どんなに願ってもその笑顔は二度と見れない。母親のぬくもりも知らない弟。その弟が言う我が儘など、全てがささやかで、叶えてやれぬものなどただのひとつもなかったのにー…。
 今となっては全てが遅い。両親を失った時に痛感したはずのその思いは、今また俺を嘖(さいな)むのか。俺は愚(うこ)だ。この上もなく。
 俺は弟の横で泣き咽せいだ。
 どれくらい泣いただろうか、陽も悲しみに顔を伏せ、死を司(つかさど)る夜が来て、俺はやっと顔を上げた。
 その頃には荒くれる感情も少しは整理できていた。
 まずは、弟を埋めてやらなればならない。父と母眠る場所へ。
 ずっとずっと、父に、母に、会いたがっていた弟。今は三人で仲良く、笑っているんだろうか…。
 それには花も居る。花…ロサの花がいい。寂しくないように、沢山…。弟は「お姉さん」がとても好きだったから…。
 俺の足は自然とロサの泉に向けられた。
 「お姉さん」、か…。
 不意に満面の笑みで弟を迎える女の笑顔が浮かんだ。
 悲しいことを、俺はあの女にも伝えなければならない。弟が死んだと。…死んだ?俺ですらまだ実感できていないというのに。ましてあの女は、唐突すぎる話にきっと嘆き涙するだろう…。悲しませてしまうのは忍びないが、隠していても仕方が無い。俺では弟の代わりは務まらないのだから。
 そういえばパレードに走り出した弟は何を勘違いしたのだか「お姉さん」と言って居た。弟がお姉さんと呼ぶのは唯(ただ)一人だけだ。王族しか連なれないあのパレードに、「お姉さん」が居たとでも言うのか?そんな馬鹿な…。
 それにしても、弟を躊躇なく斬り殺した白銀の甲冑を着た騎士…。改めて考えると沸々と沸き立つ怒りで体が震えた。奴にしたら、王を守るという当然の役割を果たしただけだとわかっている。でも、分別のつかない子供にまで剣を向けることが果たして正義なのか?何が騎士だ!王が何様だ!
 …殺してやろうか。
 物騒な考えが頭を過ぎる。
 白銀の騎士は相当な腕だったが、俺の方が上な自信があった。
 俺の父は生涯無敗で通したほどの強い人間だった。その父に鍛えられていた俺が、牙を抜かれた王宮の騎士などに負ける訳がない。
 考えれば考えるほど仄暗い泥沼に嵌まっていくようで、弟の居ない今、俺は一体どうすればいいのか、この先のことが全く見えなかった。
 じりりと靴の下で白い花を磨り潰して、やっと俺はロサの泉に辿り着いたと気がついた。
 考え事をしながら歩いていたから全くわからなかったが、確かに耳は清純な泉の音も拾っていた。気持ちを切り替えようと、鬱蒼とした思いを振り切り顔を上げた俺は、衝撃で息が止まった。
 目の前には、女が居た。
 そう、月明かりにプラチナブロンドの髪を染めて、いつかのように真っ青なドロワを着て、光溢れるロサの中に座り込んでいた。
 違うのは、女がはじめからこちらを向いていたことと、いつになく至近距離に居る俺にも気がつかないぐらい激しく泣いていたことだった。
 涙は頬を伝う間すら惜しいというように、光となって散っていた。
「ごめんなさい…!」
 女はひたすら何かに向かって謝っていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
 噛みしめて真っ赤になったくちびるを震わせ、地を叩き、髪を振り乱して女は泣いていた。
 女の鬼気迫る様子に、俺はひとつも声を掛けることが出来なかった。
 ただ呆然と、泣き狂う女を見ていた。
 気づけば花一本摘まず、俺の足はロサの泉から遠ざかっていた。しかし我に返る。こんな夜中に女一人…危険だ。送っていった方が良い。そう思ってもう一度戻ったが、既に女はそこに居なかった。幻かと思うほど綺麗に消えていた。俺は、女がいたところまで歩みを進めた。
 白い白い大輪のロサが、競い合うように咲いている。その中に、きらりと光るものがあった。ロサの花弁の上にそっと乗っている雫…女の涙だ、と思った。
 俺はその雫の乗っているロサを摘み取った。弟のための涙だ。この花は、弟にあげるべきだ。
 そう、俺が教えるまでもなかった。女はどうしてか知っているのだ。弟が死んだことを。
 それであんなにも嘆き悲しんでいた…。
 何を女が謝っていたのかはわからないが、その姿には胸打たれた。もしかして自分がパレードのことを話してしまったから、弟が死んだと思っているのかもしれない。
 それは違うと、慰めてやれば良かった。謝らなくて良いと言いたかった。