先輩
4
放課後になって、私はかなり久しぶりに部活に出席した。
三階に昇ったところで、四階があれからどうなったのか気になったので、少し覗いてみた。
もう階段はテープで塞がれていなかったので、恐る恐る昇ってみると、そこには扉がなくなった、ただ広い一つの空間しかなかった。どうやらあの事件の後、全て撤去してしまったようだった。だからといって校長室そのものをなくしてしまうのはどうかと思う。
後に聞いた話によれば、校長室は、そのまま教頭先生の部屋に移動し、元々校長同然だった教頭先生が、無事校長先生に就任したらしい。ううむ、ややこしい。
階段を下りて音楽室に入った。そこに人形のような生徒の姿はなく、いつもの部員が楽器の準備をしていた。
原因不明の病気で入院していたあけみとともちゃんも無事退院していて、何を言われるのかと思いきや、
「みーちゃん! カヲルくんと付き合ってんだって!?」
と言ってきたのはあけみだった。
「いや〜、まさかみーちゃんを選ぶとはねえ。カヲルくん……人は見かけによらないねぇ」
納得しているかのようにあけみはうんうんと頷いた。
これは、演技なのだろか? まるでKLDという団体がなかったかのように彼女は話す。
もしかして、KLDの記憶がなくなっているのか……?
しかしその不安も、あけみの次の言葉によってあっさりと解消された。
「KLDはこれにて活動終了! 私はね、カヲル君を超える存在の生徒を発見したの! みーちゃん知ってる? 吹奏楽部の部長は、龍ヶ崎沙耶という人形みたいに綺麗な人だったのよ! 私は、今後は沙耶様のように綺麗な人になるのと、沙耶様みたいな部長になるのを目指す新たな同盟を作って活動することにしたわ! 名づけて、『沙耶様を目指そう同盟』、略してSMD!」
「さ、沙耶様? SMD?」
あけみは、沙耶に襲われたんじゃないのか……?
「そう。沙耶様は今は別な世界へ旅立ってしまったけれど……私にひと時の幸せを与えてくれた、女神的存在なのよ……!」
「幸せ、って……」
そういえば、馨先輩があの時言っていた。
――ヘロインを摂取すると、まずこの上ない多幸感が得られる、と。
それが理由かは分からないが、どうやらあけみはすっかり沙耶の追っかけ、というよりむしろ信者と言ったほうがいいかもしれないぐらい、彼女のことを慕う子になってしまったのだ。
それでも、ショックを受けている様子はないから、これはこれで結果オーライなのかもしれない。
「みーちゃんももちろん入るわよね?」と誘われたが、彼女の期待には乗らず、あっさり断っておいた。
そして、あいかわらず彼女のネーミングセンスのなさには脱帽した。
部活が始まり、自主練を始める前に、私はともちゃんに尋ねてみた。
「ねぇ、ともちゃん。ともちゃんが入院する前――団地の前にいたときのこと、覚えてる?」
「……なんとなくなら」
相変わらず不機嫌そうな顔をしながら、ともちゃんは横目で私を見ながら答えた。
「あのときさ、なんであそこにいたの? ほんとに馨先輩に告白しようと――」
「む、昔のことなんて、どうだっていいでしょ!」
ともちゃんは怒っているというより、思い出したくないというような口調で言った。
「ごめん……」
「なんで、美紀が謝るのよ……」
「だって、聞いちゃいけないこと聞いちゃったから…」
「だれが聞くな、なんていったの? あたしはどうだっていいっていっただけで、別に言わないだなんて、一言も言ってないわよ」
ともちゃんは楽譜をかばんから出しながら、予想もしなかったことを言った。
「あたしはあの時……美紀を待っていたの」
「……え?」
「それだけ! もうそれ以上は聞かないで! 聞いたら怒るからね!」
ともちゃんは怒鳴るように言いながら自主練の準備をしてしまった。
「……これからは、リンリンに負けないぐらい、美紀ちゃんと仲良しになるから」
「ん? なんていったの?」
「何も言ってない!」
ともちゃんはそれっきり、その日はもう何も答えてくれなくなってしまった。
ともちゃんは常に私をライバル視し、対抗意識を持っていて、一見嫌な子と思ってしまいそうだが、素直になれないだけで、本当はとってもいい子なんだと思う。
私は、彼女がいつか素直になってくれたらいいなと祈りながら、ファゴットを手に持った。
今日は自主練しかない曜日で、部活の終わりが近づくにつれ練習にも飽きてくる。私が楽器を吹かずに無駄に手入れをしていると、ちーちゃんが私の近くに椅子を持ってきて、小声で聞いてきた。
「馨さんと仲良くなれて、よかったね」
「……ちーちゃんは、最初から馨先輩のこと好きじゃなかったの?」
「うん。そうだよ。ちーが馨さんに近づいたのは、沙耶さんをあの人も探していたからなの」
ちーちゃんがKLDに入り、図書館で私とともちゃんとの三人で後姿を見ていたのも、沙耶の情報を馨先輩から聞きたかったからだったのか。
「それとね、馨さんはひとつだけ、勘違いをしているの」
勘違い? あんな完璧な馨先輩でも、どこか見落としていた部分があるのだろうか。
「ちーのお父さん――山田組長は自ら麻薬を飲んで死んだんじゃないの。本当は……ちーが普通の病気を治す薬と麻薬を入れ替えたの」
「えぇっ!?」
私はちーちゃんの衝撃発言に驚き、思わず大声を出してしまった。ちーちゃんがこちらを睨み付けていた。
「元々龍ヶ崎組長も、ちーのお父さんも、最終的にはヤクザをこの地域からいなくさせることを目的にしてたらしいの。だからまだ組員が残っているのにお父さんが自殺するわけはないの。でもね、ちーも勘違いしてたの。ちーが入れ替えたときは、お母さんにばれて、元の薬に戻されちゃったみたい。――だったら誰が入れ替えたのかというと……はっきりとは分からないけど、もしかしら沙耶さんだったのかもしれないらしいの。ちーは信じないけどね」
ちーちゃんはそう言い終わるとすぐに離れてしまい、そのまま自主練を再開してしまった。
部活が終わって楽器をしまい、私が席に座って部員全員が楽器準備室から戻ってくるのを待っていると、ともちゃんが黙って何かを渡してきた。
それは小さな封筒で、その中には林檎の種が入っていた。
林檎の種。ともちゃんがこれをくれたのは、リンが他界して私がショックを受けているから、その慰めとしてなのかもしれない。
この種を庭に植えて頑張って育てあげれば、いつか林檎の木が生え、実がなるだろう。その頃には、私の年齢も、リンがいった「みー婆さん」のようになっているのかもしれない。
私は両手で林檎の種が入った袋を大事に包み込み、ともちゃんにありがとうと言った。