先輩
5
部活が終わって昇降口を出て裏門を抜けると、門の前には馨先輩が立っていた。
久しぶりに馨先輩と下校することに、初めて一緒に帰った日の時のように私の胸はときめいた。
部活でのことを話すと馨先輩は笑ってくれて、馨先輩もすっかり元気になったんだなぁと安心できた。ちーちゃんの話には、少し考え込むような素振りをしたが、特に追求はしてこなかった。
「話は変わるんですけど……、大和田先生は、どうして私に向かって『キミは生徒会長になれる』なんて言ってきたんでしょうか……?」
馨先輩は冷静な顔をしながら黙って考えた。笑っている姿も素敵だが、やっぱり冷静な顔をしている時の馨先輩はカッコイイ。
「大和田先生――いや、兄さんは……」
そうだ、大和田先生は馨先輩と沙耶の、兄にあたる人なのだ。
大和田と言う姓は、龍ヶ崎校長の元妻の姓らしい。先生は離婚した際にその女性に引き取られ、育てられたという。沙耶が龍ヶ崎姓なのは、父が引き取ったからであろう。
馨先輩も、自分が大和田先生とも異母兄弟だったとは、あの時まで知らなかったらしい。
「たぶん――言葉通りに、美紀さんには生徒会長になれる素質がある、と思ったんじゃないかな」
それ以外に理由はないはずだよ、と馨先輩は言いながら眼鏡の位置を正した。
あの時は恐怖でしかなかったけれど、馨先輩の言葉を聞いて、大和田先生に言われたとおり、今年から生徒会に立候補してみようかな、なんてことをふと考えてしまった。
そのまま今日学校であったことや、休校の間にしていたことを話しながら、帰り道を歩いていると、どこかから聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえてきた。
「お前ら! 何でじゃがいもはちゃんと買ってきてるのに、肝心のカレールーを買い忘れてるんだよ!」
怒鳴り声のする方向へ視線を向けると、そこには一人の体格の大きい女生徒がスーパーの袋を振り回しながら、背中を向けて逃げるスキンヘッドの男子生徒と太った男子生徒を追いかけていった。
「わざわざ狭いうちに、お前らみたいなアホにでかいやつらを住ましてやってんのに、なんて馬鹿なことしやがるんだ! お前らは使用人以下だ! 天井で残飯食ってるネズミより役にたたねえよ!」
「か、勝山さん、今晩はカレーを作るなんて一言も言ってなかったじゃないすか! 買い物メモにも書いてなかったし…」
「糞野郎! あたしの親父が『今日はご馳走』といえば、カレーに決まってるんだよ! そんなのも分からねえのかよカスどもが!」
そんなの知らないっすよ〜と男子生徒二人は泣くように言いながら、追いかけていく女生徒――勝山先輩から逃げていった。
よかった。勝山先輩の足もあの二人を追い掛け回せるくらいに回復したようだった。
三人の姿を見て、馨先輩がくすくすと笑っていた。
沙耶から受け取った、私に宛てて書かれたリンの手紙は、読まずに引き出しの奥へと大切にしまった。もちろん手紙を読めば、リンがどういう気持ちだったか、私のことをどう思っていてくれたか、どうして自殺してしまったのかがはっきりと分かるのかもしれない。
だけど、今の私にそれを知る必要はなかった。
リンは、今も私の心の中で生きている。
リンは、私の中の創造の世界の住人へと移動したのだ。
時々思い出して悲しくなることはあるだろうけれど、今の私はもう一人じゃない。優しい桜姉さんと私を支えてきてくれた家族も、一緒に遊んでくれるキキも、初恋の相手の馨先輩も、沙耶信者になったKLD改めSMDのあけみや、負けず嫌いで素直になりきれないけど私のことをちゃんと考えてくれているともちゃんに、ちょっと不思議だけど、陰ながら私の恋を応援してくれていたちーちゃん。
そして胸の中には、大親友のリンがいる。
もし私に妹が出来て、妹に辛いことが起きたなら、私は慰めてあげられる自信がある。
いつか好きな人と結婚して、子供が出来ても、しっかりとその子を育ててあげられるだろう。
もちろんこの先自分自身にも辛いことや、泣きたくなるくらい苦しいことが起きるかもしれないが、それでも立ち向かっていく勇気はある。
そして―精一杯生きて、お婆さんになったら孫をかわいがり、そのまま天国にいってしまったら――
生きていた中での様々な出来事を、リンへの土産話にしたいと思う。
家の前に着き、馨先輩は片手を挙げて「じゃあ、また明日!」と言って、背中を向けようとしていた。
「待ってください!」
そこまで離れてもいないのに、私は大声を出して馨先輩を呼び止めた。
「あの、えっと、その……。言葉では上手く言えないので、今までの感謝の気持ちを、私なりにプレゼントします!」
「プレゼント?」
私は馨先輩にぎりぎりまで近付いて、瞳を閉じ、
頬にキスをした。
「えっと……こういう時って、どういう反応をすればいいのかな……?」
「――大丈夫ですよ」
「そ、そう……? やっぱり、恋愛ってよく分からないなぁ……」
「心配しなくても大丈夫ですよ馨先輩。――そんな難しく考えなくても、恋愛ってものをちゃんと理解出来てるじゃないですか」
「え……?」
「だって――頬っぺたが真っ赤になってますもんっ」
私が笑顔でそう言うと、馨先輩の頬はさらに赤くなり、恥ずかしくなったのか下を向いてしまった。
夜空を見上げると、無数に輝く星空の中に、はっきりと浮かぶ三日月に、ひと際眩しいくらいに地球に光を送る星が、三つ輝いていた。
終