先輩
「君たち、ここにいるお二人は三年生ではないし、悪いことは何一つしていない。君たちみたいな乱暴な人に追いかけられて、さぞかし怖い思いをしたはずだ。今すぐ謝りなさい!」
「あぁ? なんだ、二年だったのか。俺たちにはこのぐれーの女の歳の区別なんかつかねぇや。――お嬢ちゃん二人とも、悪いことして済まなかった。えーと……じゃあお詫びに今度誰かいじめるやつがいたら俺たちに言ってくれ。このガキ以外だったら俺たちがボコボコにしてやっからよ」
と素直に謝ってくれた。Dクラスとかヤクザとかいっても、関係のない人には優しいんだなぁ、と思った。しかも私たちを守ってくれると約束してくれた。根は正義感の強い、良い人達なんだろう。少し見直した。
二人組はとぼとぼと三年校舎の方に向かって歩いて行った。一人はずっと腕を肩にかけて担いでもらいながら、よろよろと歩いていた。馨先輩の背負い投げはそれほど協力だったのだ。ドアに体当たりしていたダメージも少なからずあるのだろうが。
「それじゃ、これでちゃんと始業式も始められるだろうから。君たちは早く体育館に戻って!」
馨先輩はそのまま走って階段を下りていった。
私とリンは、五分くらい誰もいなくなった廊下に視線を置きながら、ずっと固まっていた。
馨先輩とあの二人組のやりとりでほとんど理由は分かったのだが、三年生の緊急学年集会というのは嘘で、実際には、三年生の生徒は二三年のDクラスの生徒によって教室に閉じ込められていたのだという。だから体育館には行こうにも行けなかったのだ。
何故そうなったかというのも、先ほど馨先輩が言っていたように、三年生の誰かが四つのアジトそれぞれに、「○○(生徒の名前が書いてあるらしい)という人を捜しています。ここにいませんか? 三年生より」とだけ書いた手紙を、それぞれのアジトのポストに入れたのだそうだ。それを組員が手に取って読んだ途端にアジト中が騒ぎ、中からDクラスの生徒が飛び出してきて、次々と三年校舎に向かって来た。
そして「教室を閉鎖する!」といきなり言い出し、生徒はDクラス相手では誰も反論できず、ただ黙々と指示にしたがうしかなかったのだという。 Dクラスの生徒たちは、閉じ込めるだけではなく、手紙のことについて生徒ひとりずつに聞きまわったそうだ。
三年生の各教室には五人のグループで構成されて、二人が出入り口を、もう二人が窓の前をそれぞれの位置にたって塞ぎ、残る一人は生徒に手紙の件を尋ねる係といった風に分かれていた。教室に配置されていないDクラスの生徒は、三年生の教室以外の場所に配置され、三年校舎の下駄箱付近を調べていたのが――あの二人だったのである。
彼らは手紙の差出人の性別や人数等、詳しいことは聞かされていなかったので、私達のことを三年生だと勘違いした上に、手紙の差出人とまで思ったらしい。さらには私の逃げ足の速さを見て、ほぼ確信したと言っていた。足が速いのも得なんだか損なんだか、である。
私とリンが音楽準備室に隠れているのが見つかってしまい、つかまりそうになったその時、突如音楽室から馨先輩が現れて、漫画で見るような過激なアクションで二人を追い返し、なんとか無事に三年生は解放された――。話を聞くだけでは、馨先輩がまるで救世主のように思えるが――いや、実際私たちにとっては本当に救世主だったのだが――、手紙を差し出したのは彼なのであって、結局は馨先輩の自作自演だったのである。そう考えると特に大きな問題は起きていないのだ。
何故、馨先輩は音楽室から突然現れたのか。
何故、彼の言うとおり、一通の手紙程度でDクラス全員があそこまで動いたのか。
私が最初に見た、人形のような女生徒は……。
たった何十分かの出来事の間に、いくつもの謎が出来てしまった。よくある学校の七不思議や怪談のようなものだろうか。いや……違うだろう。これらはそんな簡単にまとめてはいけない。トイレの花子さん等の噂程度で納まる話ではないはずだ。
人形のような彼女は……。あれは職人によって丹念に作り込まれた西洋の人形のように、整った麗しい顔をしていたが、間違いなく生きている人間だった。同じ人形のような顔といっても、馨先輩とは違う。この世のモノとは思えないような透けるほどに色白で、あれを見たら誰もが西洋の人形のようだった――、と答えるだろう。
さらにあの人形のような女生徒は、生きている証拠に笑ったのだ。
私をあざ笑うかのように、唇をほんの少しだけ歪ませて。
人形のような二人が音楽室にいた理由。かならず何か意味があるはずなのだ。
もしかしたら馨先輩が音楽室にいたのは、手紙の内容のとおり、誰かを捜しているのかもしれない。
――僕はほとんど知っているから殴るなり殺すなりなんなりしても結構です。
馨先輩はそう言っていた。ほとんど知っている……? 彼は何を知っているのだろうか。謎はひとつや二つではないのだろうか。彼のその言葉を聞いて二人組がひるんだということは、Dクラスも関わっていることなのか。
――僕はほとんど知っているから。
ならば、もう一度馨先輩に会って話を聞くしかない。
先輩に話せば――。
先輩の顔を見つめながら――、
先輩と目を合わせながら――、
先輩を……。
ハッ、と現実に戻ったことに驚いてしまい、ファゴットから変な音が出てしまった。
先生と周りの部員が、ジロっと睨むようにこちらへ視線を向けた。私は慌てて体勢を整えて気持ちを落ち着かせようとした。リンはまだ校歌の演奏は続いているのに弾くのを止めてしまい、ずっと私の方をじっと見ていた。
なんとか演奏は終了し、楽器スタンドにファゴットを立てて、ふぅとため息を漏らした。
「どうしたの? みーちゃん。今日調子悪くなかった?」
「あぁ、最初はよかったんだけどねー、途中でさっきの出来事思い返してたら、ちょっとそっちに頭がいっちゃって……」
「みーちゃんらしくないなぁ。というか今日のみーちゃんが変なのかも。……まぁ確かにさっきはすごかったもんね。リンゴも何小節か間違っちゃったもん。てへ」
やっぱりリンも、さっきの出来事は気にしているようだ。無理もない。今でもあの時だけ、夢を見ていたんじゃないかと思える。
「それよりみーちゃん、この学校について、不思議に思ったことない?」
「え……?」
不思議なことは今日一日だけで既に三つも出来てしまった。リンもそのことを言っているのだろうか。
「少なくともリンゴたちの学年の入学式のときからそうなんだけど……この学校の校長って、式に出たことが一回もないの」
「あ! 確かにいつも教頭先生が代わりに挨拶してるね。校長先生はご都合により欠席……とか、大変お忙しいので代わりに――とか」
「そうなのそうなの。しかもね、大事なお知らせのプリントとかにも、教頭先生の名前しか書いてないの」
それは気付かなかった。リンの言うことが本当ならば、私は自分の通っている中学校の校長に会ったこともなければ、顔も名前も知らないのだ。別に知らないと卒業できないとか、そういうことはないなだろうから、気にしなければ学校生活を続ける上では何も問題はないのだが……。