先輩
それでも気になってしょうがなかった。この件もまた、絶対に何か秘密があるはずだと思った。式に出席できない理由が百歩譲って本当に多忙だったとしても、プリントに校長の名前まで書かないのは明らかにおかしい。
「なんで、わざわざそんな事するのかなぁ?」
「わかんな〜い。でもね、それだけじゃないの。実は謎はもういっこあるの」
「まだ……あるの?」
リンは話の進め方が上手い。これで続きは明日――なんて言われた気になって眠れなそうだ。
「吹奏楽部にもね、校長と似たような存在の人がいるの」
「うそっ! 誰!?」
私はだんだんと声の音量が上がってきていたみたいで、リンが、し〜っ、と口に人差し指を当てて合図した。
「まぁまぁ落ち着いてくださいな、みーさんよ。冷静に考えてみればすぐに誰か分かりますよ」
リンは変な口調でそう言い、ニヤニヤと笑った。いやらしい笑みである。
校長と似たような存在――つまりは不在という意味だろう。吹奏楽部に不在の部員がいるだろうか……。私は始業式なんてそっちのけで考えてみた。
まずリンではないだろう。名前も顔も知っている。というか幼馴染なんだから当たり前だ。もっと落ち着いて考えよう。
顔がわからないってことは、吹奏楽部にあまり参加していない――つまり、欠席している可能性が高い。誰が欠席しているか分かる時は、部活開始の出席を取るときと全体合奏の時だ。出席は毎日するし、全体合奏がある日は、風邪など、ちゃんとした理由がある生徒以外は基本的に全員出席なので一目瞭然だ。
いったい誰なのだろうか。実はリンは美術部だったとか……? いや、もしかして、私のことをみんな知らないのか……? みんなの目には見えていないとか……。
考えていく内にどんどんと変な方向へ思考がいってしまう。
「部長さんだよ」
リンは私が当てるのを待っていられなかったらしく、すぐに答えをしゃべってしまった。
「部長って、橘先輩でしょ? 先輩ならまず欠席しないし、今もそこにいるじゃない。みんなどんな人か知ってるし、見たことだってあるわ」
「橘先輩は部長じゃなくて、副部長だよ」
「去年副部長をやっていたからまだそう呼ばれているだけで、去年の三年生が引退した時点でもう部長なんでしょ?」
「リンゴもこないだまでそう思ってたんだけど……違うみたい。だって先生も『副部長の橘さん』って呼んでるし」
「先生もまだ部長って呼ぶのに慣れてなくて、間違って呼んでるとか?」
「それもあるかもしれないけど、それ以外に決定的な証拠があるのサ」
決定的な証拠って……、推理ドラマやサスペンスの種明かしじゃないんだから、と私は思いつつも、実際は気になってしょうがなかった。
その証拠って? と聞くと、リンは上目遣いで私を見ながら、
「実は、橘先輩が入部したばかりの頃――つまり先輩たちが一年生だった頃から、その部長は存在したらしいですのよ」
「……? 別に普通じゃない。先輩の代の三年生がやってたんでしょ?」
「チガう違う。部長をやっていた生徒は橘先輩の学年、つまり一年生なんだよ」
私は混乱した。一年生が部長を任されることなんてあるのだろうか。部員が少なすぎて先輩が一人もいない部活なら、まだありえない話ではない。しかし吹奏楽部は毎年少なくとも三十人近くの生徒が入部してくる部活だ。今と昔では違うんじゃないかとも思ったが、歴代の集合写真を見る限り、大幅に少ない年は見当たらなかった。
わからない。私より頭の悪い――ひどい言い方だが――リンに、ここまで悩ませられるのは、初めてかもしれない。結局、私は潔く諦めることにした。
リンの話によれば、こういうことらしい。
その生徒は入学して間もなく吹奏楽部に入部した。見学にも来なかった上に、パートすらも決めていなかったのにも関わらず、即決だったそうだ。
他の新入生達も入部し、部員がある程度揃ってきたころに、先生が全員の前で「その子が部長になります」と伝えたらしい。
それまで部長をやっていた先輩は副部長に降格した。理由も教えられないまま副部長にされたことに腹を立て、顧問の先生に何度も講義しに行ったという。当たり前だ。先生が部員に伝えたのはその子の名前だけで、彼女は入部してからまだ一度も部活に顔を出したことがなかったのだ。挙げ句の果てに降格され、代わりに部長の位置に立つのが一年生だと聞けば、誰だって納得がいかないだろう。
しかし、先生は話をうやむやにするか、謝るばかりで、理由をまったくしゃべらなかった。しばらくして気付いたそうなのだが、後輩が部長になったとは言っても、その後輩は一度も部活に来ていなかったため、肩書きは副部長になったといっても、その先輩は今まで通り吹奏楽部の部長としての仕事をこなしていたのだ。
結局その先輩は開き直ったと言うのか、あきらめたのか、副部長のまま部活を引退していったのだそうだ。
なんともかわいそうな先輩である。部長のままだったら、受験でも有利になっていただろうに。
私が入学した時にその先輩の代は卒業していってしまったから、リンに聞くまでこんなことがあったなんて、全く知らなかった。
「話はだいだい分かったわ。理由もね。きっとその人は、先生の知り合いの子とかなのよ」
「そうなのかなぁ?」
「きっとそうよ。それで、その知り合いがモンスターペアレンツとか」
「もんすたー、ぺあれんつ?」
「最近多いらしいよ。親が『うちの息子を叱らないでください!』とか、『授業中に娘の事ばかり指さないでください!』とか。過剰な親馬鹿っていうのかな」
なんじゃその過保護、と言いながら、リンはあからさまに嫌な顔をした。
「だからさ、その謎の部長の親もそういう人なんじゃない?『うちの娘は部長じゃなきゃ駄目です!』とか、『才能があるから一年生から部長であるのが当たり前です!』みたいなこと言ってきたからとか。そういう理由だと私は思うなぁ」
「それなら納得できるかもかも。……でも肝心のむすめさんが学校にきてませんよ? お父さんお母さん」
「それは……。あ! たとえば娘は家ではいい子のフリをしてるけど、外では不良少女で、スケバンやってるとか」
この場にいないからといって、言いたい放題である。言われている相手は一応先輩であり、部長なのに。
「ふむぅ。にゃるほどにゃ〜。なんだかそう考えると普通すぎて、あんまりおもしろくなくなってきちゃったにゃ〜」
にゃーにゃー言いながら、両手で握っている弓を上下に動かしているネコは、大きなあくびをしていた。
「あれ? いつの間にか教頭が閉式の言葉言ってるよ!?」
「にゃ!? ほんとだっ! いい暇つぶしになったねみーちゃん!」
吹奏楽部の座る席は、他の生徒と違ってちゃんと椅子に座れる上に、教師が立っている場所から離れているので、寝たり小声でしゃべっていても叱られる事はない。だから式や朝礼の時はいつもこうしてリンと話しているのである。
しかし今回の話は大変興味深かった。学校の都市伝説と言うところか。
不在のままの校長と吹奏楽部部長――。
とはいえ、私の考えが本当にその通りだったら、別に何の不思議も謎もない。