先輩
「沙耶、あなたのことは林檎さんから聞きました。まさか! あんな汚い図書館で何年も暮らしていたなんて! ……あぁ、なんてかわいそうなんだ! なんで誰も助けてあげないんだ! こんな美しい沙耶を! ……でも、もう大丈夫。僕の家に来れば、今までの生活の何倍も快適に過ごせますよ! いや、僕が最高の生活にしてあげよう!」
大和田先生は腕を広げ、沙耶に向かって叫ぶようにしゃべり続ける。
「昨日の今日、林檎君にそのことを聞いた。だから私はさっそく図書館に行った! そしたら今日、本当にそこに沙耶がいるじゃないですか! 私は天にも昇るような気持ちだった! 沙耶、あなたをどれだけ捜したことか! 生徒に情報を聞き、黒衣に身を包んであなたが校門から出てくることをひたすら待ち続けた! それでも見つけられず、私が落ち込んでいると、林檎さんがあなたと付き合っているというじゃありませんか!」
リンは、大和田にどこまで話したのだろうか。というかどこまで知っていたのだろうか。
「図書館から急に飛び出したあなたを見て、私は不安になった。何か困ったことがあるのか、と。だから図書館の宿泊部屋にお邪魔しました。そしたら、ソファに置かれたイヤホンから、沙耶の演奏するピアノの音が聴こえた! それなのに……せっかく僕が沙耶の奏でる音楽を聴いていたのに、あなた達の声が聞こえてくるじゃありませんか! 僕は美紀君とあなたが、沙耶の前から消えるのを耳を凝らして聞きながら待っていたのですよ。そうしたら……」
大和田はこれでもかと頬をあげた笑顔を一瞬で消し、片手をコートのポケットにつっこみ、もう片方の手で龍ヶ崎を指差した。
「どうしてあなたが生きているのですか!」
「大悟、私は――」
「黙れ! 僕と沙耶の関係を引き裂いた、最悪の親父が!」
龍ヶ崎を親父と呼んだ……?
ということは――大和田先生も、龍ヶ崎校長の子なのか?
その時、またもや大きな音が扉の方から鼓膜に響いた。視線を向けると、そこには片方の扉を外し、横に倒れながらも必死に何かを伝えようとする勝山先輩がいた。
「止めろ……! そいつは今、何をするか分からない!」
勝山先輩は外されてた扉に寄りかかりながら、ゆっくりと部屋に入ろうとしていた。引きずった足からは、大量の血が流れていた。
「……! まさか!」
馨先輩はそれを見て、すぐに察知したようだった。
しかし、その僅かの間に、大和田先生はポケットに入れていた方の手を出した。
その手には、漆黒の拳銃が握られていた。
大和田先生が銃を構えて間もなく、再び銃声が聞こえた。
スローモーションのように時の進行が遅く見えた。
口を押さえながら目を剥いている沙耶。
大和田先生に向かって走りだす馨先輩。
右足の脛を押さえながら壁に寄りかかる勝山先輩。
胸に赤い染みがつき、電池が切れた機械人形のようにゆっくりと倒れる龍ヶ崎校長。
そんな姿を、ただ見つめることしか出来ない私。
そして――ドサリと、龍ヶ崎校長が床に倒れた瞬間、時は元の速さに戻った。
「お父さんっっっ!!!!」
沙耶がヒステリックな声を出して龍ヶ崎校長に駆け寄った。
馨先輩は大和田先生に思い切り体当たりした。その衝撃で大和田先生は壁にぶつかり、床に拳銃を落とした。
私は馨先輩を助けてあげたかったが、それよりも今一番傍にいて、重体の勝山先輩を支えることにした。勝山先輩の足元は、血で床が滲んできていた。
馨先輩は大和田先生を壁に抑えつけていたが、先生は負けじと馨先輩の胸倉を掴み、思い切り蹴り飛ばした。馨先輩は教壇に背中をぶつけて倒れた。にぶい音がした。しかしそれでも馨先輩はすぐに立ち上がり、落ちた拳銃を両手で拾ってそのままソファに倒れた。
「もう邪魔者はいない。拳銃も必要ない。僕には沙耶がいる! さぁ、沙耶、そんな、人ではなくなったただの人形なんてほっておいて、僕の胸に来なさい! 僕は誰よりもキミを愛している! そんな最悪な親父とは違う! 沙耶! 沙耶! 僕だけの沙耶! 僕の女神よ! 邪魔者が来る前に、さぁ早く!」
沙耶は、大和田先生の言葉を聞いてゆっくりと立ち上がった。彼を睨みつけるその眼差しは、悪しき心で満ち溢れているかのようだった。
沙耶は一歩一歩、間隔は狭いが彼に近付いていく。まさか――父を捨て、本当に彼の元に行こうとしているのか?
大和田先生は、「沙耶、沙耶」と連呼しながら満面の笑みを浮かべている。その表情を、私はこれ以上直視することは出来なかった。
「やめろ、姉さん! これ以上罪を増やしたら、取り返しがつかなくなる!」
馨先輩は拳銃を片手に持ち、逆の腕でもたれ掛っているソファから、必死に立ち上がろうとする。
「おい、そこのお前……何を言ってるんだ? 沙耶に罪なんてあるわけないじゃないか。沙耶は女神なんだ! 悪いことなんてするわけがない! 濡れ衣を被せるな! 正義のヒーローごっこは一人でやってるがいい! ――さぁ、沙耶、そんなにおどおどしないで大丈夫。お兄ちゃんは昔から変わってないよ! ずっと沙耶だけのお兄ちゃんのままだよ!」
沙耶と大和田先生の距離が一メートルに達した瞬間、
沙耶は電光石火の如く大和田先生に近付き、懐に入れた手からきらりと光が反射し、
ドン、という強い音がした。
大和田先生は笑顔のままだったが、途端にその表情は歪み、沙耶から離れていくように後ずさりをして、床に倒れた。
大和田先生の腹には、赤く染まったナイフが刺さっていた。
沙耶の両手は真っ赤に染まっていた。
「沙耶……あれ? なん……で? どう、して……」
「地獄に落ちろ、妹好きの変態野郎」
沙耶はそう言い放つと、大和田先生のお腹からナイフを引き抜き、彼の胴体にまたがって、再び赤黒く染まった刃で彼の腹や胸を何度も刺した。
部屋は、いたるところに飛び散った血で赤く染まった。
それを見ていた私は吐き気がして、空いている片手で口を押さえた。喉にまで込み上げてくる胃の中の物を、必死に押さえた。
大和田が完全に動かなくなった後、沙耶は屋上へと続く階段を昇っていった。
「やめろ! やめるんだ!」
馨先輩はそう叫びながら立ち上がり、全速力で沙耶を追った。
「あたしはいいから、あんたもさっさと追え!」
勝山先輩は私の背中をドンと押し、床に倒れこんだ。
「勝山先輩っ! でも、このままじゃ先輩が……!」
「あたしはいいって言ってんだろ! それよりもあの二人をさっさと追え!」
勝山先輩はかすれた声でそう言って、出血している部分を両手で押さえた。
私は、赤く染まった床を蹴り、屋上へと昇った。
そこには――沙耶と馨先輩が対峙していた。
外は真っ暗で、二人の表情が読み取れない。
風が、沙耶の長い黒髪と、馨先輩の銀髪をなびかせる。
「姉さん、せめてあなただけは……」
「それ以上こっちに近づいたら――」
沙耶はスカートのポケットから拳銃を取り出し、銃口を自分の頭につけた。
「やめろ!!! 僕はこんな結果など望んでいない!」
「嘘つきね。あなたこそ、最初からこういう結果になることを、分かってやってらしたんでしょう?」