先輩
三戸が借金に追われ、身体が限界に達しようとしていたとき、龍ヶ崎は新型の麻薬を完成させた。その情報は三戸の耳にも入り、三戸はすぐにその成分と作用を調べ上げた。簡単に調べられた理由は、どうやら資料は案外簡単に手に入ったからだそうだ。既に組内でその麻薬を使用した者がいたかららしい。
そして、その薬で人を簡単に殺せることを三戸は知ってしまった。
三戸は、龍ヶ崎に近寄ってこう言ったそうだ。
――お前が作ったのは麻薬なんかじゃない、毒薬だ。
――そんなもの警察に知れればすぐに捕まる。なんたって、お前が作りだしたのは『麻薬の王者を超える毒薬』なのだからな。いや、それだけじゃない。今まで麻薬を研究していたことだってばれたら御仕舞いだ。
――生憎、俺はお前のその二つの命を握っている。
――首を切られたくなければ、俺の言う事を聞け。
――お前の娘、沙耶を抱いた男を、その薬で全員殺せ。
もちろんそんな事を言われて、すぐに返事を出せるわけがなかった。
沙耶の件も、本来なら今の時点で法律で罰せられるが、人は一人も死んでいない。いくらヤクザと言っても、人殺しが許されるわけはないのだ。
龍ヶ崎はとりあえず山田に相談した。
しかし山田は、三戸の誘いに乗れとすぐに答えたそうだ。
「お前の麻薬の件に関して知っている人間は、三戸だけじゃない。三戸はその契約をすれば口外しないだろうが、他の連中は分からない。お前の昔の女も知っているはずだ。そうなると――お前がいつ、この地位を降りることになるか、分からなくなってくる」
どっちにしろ、龍ヶ崎は罪人になる運命なのだ。
だから龍ヶ崎は三戸の話には乗らず、そのまま警察に出頭しようとした。しかし、山田はそれを否定した。
「お前がいなくなったら今の組はどうなる。それこそただのならずものの集団になってしまう。……そもそも、三戸は自分でその方法を考えだしたんじゃない。最初に考えだしたのは――この私だ」
「……なんだって?」
龍ヶ崎は戸惑った。
「お前は地位も金も手に入れられてよかっただろう。しかし、私や三戸は何の得もしていない。もちろん話を勧めたのは私だ。けれど、お前だけを幸せにするような馬鹿なことはしない」
「……今の私なら、お前を殺すこともできるのだぞ」
「ふん。恩知らずな男だ。私を殺したって何も変わらないよ。お前が変わらないのはかまわないが、肝心なのはお前の娘――沙耶だろう?」
それを聞いて、龍ヶ崎の考えは変わったという。
地位も財産も手に入った龍ヶ崎にとって、唯一嫌だったことは、娘と夜を共にし、それでもまだ近寄ろうとする男達だった。
彼らは一度や二度沙耶と夜を共にしただけでは気が済まなかったらしく、総組長が父であると分かっているのにも関わらず、しつこく娘に付きまとったという。その所為で沙耶が出歩く時には、常に数人のガードマンがつけられた。
確かに沙耶を抱かせたのは、龍ヶ崎自身だ。それに、龍ヶ崎にとってはその男達は自分に地位と金を譲ってくれた者たちなのだ。
それでも――沙耶に近付く男達に湧いた殺意は、既にブレーキが利かない状態になっていた。
龍ヶ崎はその新型麻薬を大量に作り上げ、沙耶を抱いた幹部の人間を一人残らず滅ぼしていった。その幹部の中に、勝山先輩の父も含まれていた。
幸い――というには不謹慎だが、龍ヶ崎は薬をただ作るだけで、一度も自らの手で人を殺めることはなかった。作った麻薬を山田が受け取り、それを部下に任して殺害させたという。そして幹部を殺した後に、山田が自らその手で部下も全員殺していったという。
その犯行は、ここ――四階の校長室で全て行われた。
一般人はここに入室できないため、何が行われているのか分かるわけがない。そこで人が殺されていたのなら、そのまま放置して腐敗しない限り誰も気付かないだろう。
もちろん、彼らがそんなミスをするわけはなかったのだが。
馨先輩の母を殺したのは――山田組長だった。
龍ヶ崎、山田、三戸の三人の組長がこのような非道極まりない殺人を実行していたとき、それに反発した人物がいた。
それは、西の組長――佐貫(さぬき)と呼ばれる男だった。
彼――佐貫はヤクザなど関係なく、各店舗を仕切るオーナーとして西のビルにいたため、そんな大量殺人を実行したって彼には何の得もないし、自分の仲間が彼らの手によって殺されようとしていることに強く反発した。
彼の反対意見を直接聞いたのは山田だった。そして山田の判断はというと――。
「お前も、お前の婚約者も――邪魔だ」
山田はその場で佐貫組長を殺した。そしてその後すぐに、彼の婚約者であった女性も毒殺された。
その殺された女性というのが――馨先輩を産んだ母親だったのだ。
山田の犯行はそれだけでは済まなかった。
四つの組に属する組員たちを、彼が今後も役に立つと判断した人間以外は、ほとんど殺していったのだ。それによって、四つのビルの組員は半数以上減ってしまったという。
「確かに龍ヶ崎校長も、何人もの組の幹部を殺してしまった。しかし、それ以上に大量殺人を行い、組を破滅へと向かわせたのは、この計画の提案者である、山田組長だったのです」
「山田組長は、今はどこへ……? ここにくるはずじゃなかったの?」
沙耶がようやく口を開く。恐怖か怒りかで、声が震えていた。
「山田組長は――、昨日、自ら龍ヶ崎組長が作った麻薬を飲み、他界されました……」
だが、そんなに何十人もの人が殺されているのに、何故警察は動かなかったのか?
「実はですね……ひどいことに、殺された人たちはまだ生きていることになっているんです」
そう。三戸は死んだ幹部の資産を奪い取った金だけでは気が済まず、さらに金を稼ごうと計画をたてたのだ。
死んだはずの組員を破棄せず、入院中としてあたかも生きているように北の病院に運び入れ、その組員の家族や親族から医療代と偽ってさらに金を取っていたのだ。面会を希望する者がいても、まだ症状がはっきりと分からない病気のため、感染する可能性もある、等と適当に言ってことごとく拒んでいったという。
完全に金に目が眩んだ三戸を、山田は許さなかった。死体は北の病院にずっと放置されたままなのだ。
「お前は狂っている。何十もの死体と一緒に寝ていて、なんとも思わないのか?」
山田は三戸に言った。しかしそれでも三戸は止めようとしなかった。
「あんたの行いも充分ひどいと思うね。それより――あんた、そんな身体のままじゃ、今すぐ治療しないとやばいことになるよ」
三戸が言った時には遅かった。山田はそのとき既に重病に掛かってしまっていたのだ。
「心配しなくても大丈夫だ。俺が治療して絶対に治してやるよ」
しかし、そのまま山田の病気が治ることはなく、彼はこの世を去ってしまった。
定かではないが――山田の病状が良くならなかったのは、三戸がわざと病気が悪化するように、山田の身体を痛めつけていたからだとういう説もあった。
「私が、私があの時警察に自主さえしていれば…山田も死なず、三戸もあんな風に狂わなかった。元はといえば私が悪いのだ。私は取り返しのつかないことを、二度もしてしまったのだ……」