先輩
そう考えていくと、この学校は四つのアジトの中心に立つ、Dクラスの生徒が組員の、龍ヶ崎総組長ただ一人のための五つ目のアジトということになる。
つまり私達一般の生徒も、ヤクザの領地で平然と学校生活を過ごしていたのだ。今まで知らなかったから何も気にならなかったが、今考えてみると、結構恐ろしい話である。
「あなたは南のビルの組に所属していた。それなりに地位も高く、当初は財産も余るくらいに持っていた。しかし、あなたは当時既婚していたのにも関わらず、別な女性――僕の母との交際を始めた。そして関係を深めていくうちに子供が出来てしまい、結果的に奥さんとは離婚してしまった。それだけではない。さらに母が子供を産んだ後も、あなたは母に会いにお店に通い続け、それが原因で多額の借金が出来てしまった。借金取りは毎日のように家に上がりこみ、借金の取立てと言って散々な目にあった。それは姉さんもご存知でしょう?」
「ええ……。そのような理由だったというのは、知らなかったけれど……。殴られたり蹴られたりするお父さんの姿が、かわいそうで仕方なかった。その頃まだ幼かった私には何も出来なかったし、そんな無力な自分も嫌だった」
「沙耶……」
未だにこの三人が親子であるという事実が信じられない。確かに三人とも人形のように美しいが――何かが違うのだ。馨先輩だけ、善良で心まで蒼白に美しく見えるのだ。私の勝手な思い込みかもしれないが、沙耶と龍ヶ崎校長からは、悪意や憎悪で汚れているように見える。
「まぁ女の子であり、幼かった姉さんが父を救うのはまず不可能だったでしょう。それはどう思っていてもしょうがないことです。姉さんが気にすることではありません。問題は――その後です。龍ヶ崎総組長、あなたは借金を全額返済し、同時に地位を獲得する方法を、ある人から提案された」
「やめろ! それを……沙耶の前で言うんじゃないっ!」
龍ヶ崎校長は再び叫んだ。
「ちゃんと聞いてください。 あなたと姉さんは――お互いに勘違いをされてるんです!」
「勘違い……?」
いったい龍ヶ崎校長は娘に何をしたというのか? 聞いていいのか分からなかったが、私は思わず口に出して聞いてしまった。
「河井さん……。まだ僕や姉さんと同じ中学生である河井さんには、少し刺激が強い話かもしれない……。実際、この話を聞いた時は僕だって、しばらくは現実というものが何なのか分からなくなってしまった。それでも――桃瀬さんを死へと導いた彼女の過去を知るために、彼女の気持ちを理解するために、どうか聞いて欲しい。決して、殺したことを許してやってくれ、と言っているんじゃない。桃瀬さんを殺した彼女の気持ちを知ることも、亡くなった桃瀬さんへの慰めになると僕は思うんだ」
「……分かりました」
リンは、沙耶のことが好きだったのだ。それがどういう意味での好きなのかは分からなかったが、学校を休んで二人で出掛けたりもしていたのだし、親友である私よりも彼女を選んだのだから、相当に想いを寄せていたはずだ。
……そう思うと、なんだか悔しかった。リンは何年間も一緒だった私よりも、出会ってほんの何日しか経っていない沙耶を選んだのだろうか。
まぁ、それも今考えたって仕方がないことだろう。
窓の外はすっかり闇に覆われた。その闇に包まれているかのように、窓の前に立つもうひとりの銀髪の男性――龍ヶ崎校長。実の父親と教壇とソファを挟んで対峙するのは、彼の遺伝子を受け継いだ銀髪の青年――馨先輩。そしてそれをそれぞれの傍で見つめる沙耶と私。まるでそれは、自分の花嫁を守るために、決闘をしようとしている二人の騎士のようだ。
外の暗さから考えるとだいぶ時間も遅くなってきているだろうし、そろそろ母から電話が掛かってきているかもしれない。だからと言って母にこの状況を説明は出来ないし、そもそも電話なんてしている場合ではない。そんな心配をすることが出来るのも、それだけ心に余裕があるくらい、私の精神はさらに安定してきていることでもあった。
「遠まわしに言っても分かりにくくなるだけだ。この際、はっきりと言いましょう。彼女――沙耶は、小学校高学年、ちょうど初潮がきて大人の女性へとなり始めた時に、父の命令により、各組員の幹部と夜を共にしたんだ」
はっきり言うとはいっても、夜を共にする、という言葉は比喩であり、つまりは男女の肉体的交際という意味なのだろう。
俄かには信じられない。私の場合、小学校高学年の時点ではまだそういったこと等何も知らないし、そもそも初潮が来ていなかった。リンの家でいつも気楽に遊んでいた気がする。
「一人二人だけじゃない。彼女は父の借金がなくなるまで、最高の地位を手に入れるまで男に抱かれ続けたのです」
「もう止めてくれ!」
嗄れた声で叫んだのは沙耶ではなく、龍ヶ崎校長だった。
「私が悪かったんだ! 男たちは皆、家に上がりこむと沙耶に惚れた。無理もない。沙耶はこの美貌だ。どんな男だって惚れてしまう。それをある男――私の旧友だった男に相談したとき、奴は私に言ってきたんだ!」
――あなたが今、何よりも手に入れたいものは、お金でしょう?
――散々暴力を振るう組の連中を許せないでしょう?
――幸いにも、あなたにはこんなに美しい娘さんがいる。
――この世はね、男なんて一銭にもならないが、女はお金になるんですよ。
――美しければ美しいほど、幼ければ幼いほど、高値がつく。
――別に目玉や内臓を抜き取るわけじゃない。この国ではそんなものは売れない。
――彼女は、ただ横になって寝ていればいいんです。
――彼女が一晩男と寝るだけで、あなたは金も地位も、両方手に入るのです。
――我々の、頂点に立てるのです。
旧友の男は、龍ヶ崎校長にそう言い寄ってきたという。
「あなたは元々上に立つことを何よりも望む人だった。学生の時も試験では常に学年一位を保ち、容姿も偏見を言われたことがなかった。そんなあなたにとって、その時の暮らしは死んでいるのも同然だった。だから、旧友である山田組長は、救世主に見えたんですね?」
「……あいつ本人から聞いたのか」
「ええ。聞いた直後に自ら命を絶たれましたが」
馨先輩は、他の組長にもこうやって話を聞きに行っていたのか。ここまでくると無茶というか、馨先輩はそれほどまでに事の真実を知りたかったのだろう。いったいその真実とは、どこまで明かされるのか。これ以上にひどい事実が、まだ眠っているというのだろうか。
私はただ突っ立って、呆然と話を聞いていることしか出来なかった。
「姉さんは、毎晩のように組員の男に抱かれていた。それについて姉さん本人からの意見を聞きたい」
もしも私が、沙耶の立場だったのなら……。そういう経験をしたことがないのでわからないが、言葉では表せない辛さがあるんじゃないだろうか。それこそ生きてはいけないくらいの辛さだろう。