先輩
第6章 終幕
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『禁断の四階』。その謎がついに解かれた。
この秘密を一般の生徒で知ったのは、恐らく私が初なのではないだろうか?
一般の生徒って言い方だと、馨先輩達が特殊と言っているようにも聴こえてしまうが……。
四階へ続く階段は、張り巡らされていたテープが跡形もなく解かれていて、簡単に上に昇ることが出来た。まだ階段に足を踏み出していない私を、何段か昇った位置に立つ馨先輩が振り向いて「おいで」と手を差し伸べる。沙耶はそれを無視するかのように馨先輩の横を通り過ぎて行く。
私は戸惑った。
馨先輩に自分の手を添えれば、私は馨先輩と共に『禁断の四階』に入ることが出来る。しかし――その先にあるものは、はたして私にとってどういう意味があるのだろうか……。
この中学校の秘密。
沙耶の秘密。
そして――馨先輩の秘密が、この先に待ち受けているのだ。
その全ての真実に、私の精神は耐えられれるのだろうか。
私にはリンがいないと……。
いけない。胸が締め付けられるように苦しくなってきた。もうリンに頼ろうとするのは辞めよう。
私は顔を上げて気を引き締め、馨先輩の手を握った。
すると馨先輩は私の耳元に口を寄せて、
「どうやら沙耶はね、二年前から音楽室に盗聴器をつけていたらしい。理由は定かじゃないけど、恐らく――」
「おい! 小僧、いつまで待たせるんだ! そんなところで突っ立ってないで早くこっちに来い!」
馨先輩の声を頭上から遮ったのは、勝山先輩の罵声だった。
勝山先輩がこの場にいるということは、ヤクザ関係の話でもあるのだろうか。それとも四階に強行突破するために、ここに呼ばれたのか。
「ごめん、また後で」
馨先輩は私の腕を引っ張り、階段を一段抜かしして昇っていった。
初めて目の前にする『禁断の四階』。そこは噂通り、階段を昇った先には大きな扉で進行を塞がれていた。
高さ二メートル、幅四メートルはあるだろうか。扉にガラスは嵌められていなく、銀色の分厚い鉄で出来ている。
噂と違ったのは、表面だけを見た限り厳重な鍵などは掛けられていなく、代わりに指紋認証をする装置が、扉の傍の右側の壁に設置されていた。
確かに、これでは四階に辿り着いたところで入れるわけがない。無理やり扉をこじ開けるにも、百キロ近そうな重厚な鉄の扉を壊すのは、中学生には不可能だ。
扉の前には、扉と負けないぐらい大きく立ち塞ぐ勝山先輩と、表情は無表情だが、どこか落ち着きのない沙耶が待っていた。
「あんたは確か……吹奏楽部の――りんごちゃんの友達よね?」
勝山先輩が私に向けて、多少声を和らげて聞く。
「はい。美紀です」
「美紀ちゃん、っていうのね。りんごちゃんは一緒じゃないのかい?」
「リンは……来ないと思います」
「……そうかい」
来ないのではない。来れないのだ。
親友を殺された割には、勝山先輩の質問に冷静な対処が出来たな、と自分で思った。いくらか落ち着きを取り戻してきたのかもしれない。
だけどそれは一時的に落ち着いているだけでしかなく、現実から目を逸らしているのかもしれない。
現実を直視すれば私の精神は崩壊する。意志というものがなくなり、自分の精神がコントロール不能に陥るだろう。だからといって暴れたり叫んだり泣いたりしたって、事態は何も変わらない。それならいっそのこと何も考えず、何もしない方がマシだ。そう考えた結果が今この状態なのである。
ただ、自己分析が出来るほどなんだから、リンの眠った姿を見た時よりは、明らかに落ち着いているのは確かなようだ。
リンは――本当に死んでしまったのだろうか。
未だに信じられない。
どうして、彼女はこの世から去ってしまったのだろう。
いや、違う。彼女は殺されたのだ。自ら死を選んだわけではない。沙耶という悪魔に魅入られ、あの世へと引きずり込まれたのだ。
自殺なら分かるが、殺人なら理由はない。
殺人は衝動的なものなのだ。
だから、計画的犯行において、殺害という行為は最終手段なんじゃないかと思う。人を殺める――ということは即ち、己を殺す、と同義だ。
人殺しをして前より気が晴れた、良い生活になった、幸せになったなんて聞いたことがない。殺した瞬間は開放感等も少なからずあるのだろうが、その先に明るい未来は絶対にない。法律で罰せられるから、牢獄に入れられるからといった問題ではなく、人一人を殺した責任が、殺人を行った本人を苦しめるはずだ。
殺人淫楽症というものを持った人間も中にはいるのだろうが、それも単なる言い訳に過ぎないのではないだろうか。罪の重さは変わらない。
だから――龍ヶ崎沙耶も、表向きはリンを殺し、「それの何が悪いの?」とでも言っているように振舞っているが、内面は思ってはいないはずだ。
ましてや、あんな罪の全くない子を殺したんだ。責任は、相当に重いはずだ。
そんな考えもあるから、近くにリンを殺した当の本人がいても、私自身は殺人の衝動に駆られないし、死ぬほど憎いと思わないのかもしれない。
リンは――私の心の中にも、沙耶の心の中にも、今も尚生きているのだ。
私が考えを巡らせていると、馨先輩が、
「では、勝山さん。東のビルから見つけ出したものを渡してください」
「ほらよ。受け取れ小僧。……それよりも、これ以上あたしをこき使ったらタダじゃおかねえぞ」
勝山先輩はカードのようなものを馨先輩に投げて渡した。
相変わらずの男勝りの体格に、風邪を引いて喉を痛めているようなだみ声が廊下に響いた。しかし、東のビルというと、やはりこの先は――。
「ご苦労。御礼にあなたの仇を討ちますよ。だから、ここで僕たちを見張っていてください」
ふん、と勝山先輩は鼻息を鳴らして背中を向け、階段を塞ぐように仁王立ちした。
「こんな時間にこんなとこへ誰が来るってんだか」
ぶつぶつ文句を言う勝山先輩を無視して、馨先輩はカードキーを指紋認証機に翳した。その瞬間、ピーと言う甲高い電子音が鳴り、ガチャンと何かが外れたような音が扉から聞こえた。
「――ひとつ、聞きたいことがあります」
馨先輩は奥にある階段の先を見ながら沙耶に聞いた。
「あなたが盗聴器をつけた本来の目的は、自分も吹奏楽部の活動をしているその場にいた感覚を味わいたかったから、なのではないでしょうか?」
「だって、私は部長ですもの……」
沙耶はそれ以上何も言わなかった。
彼女も普通の家庭に産まれれば、普通の学生と同じ生活を送れたのかもしれない。
馨先輩はドアノブに手を掛け、よし、と言って両手で扉を引っ張った。見ているだけでもわかるくらい重そうだ。徐々に開いた扉の隙間から光が見えてくる。
勝山先輩を除く私たち三人は、馨先輩を先頭に、『禁断の四階』の禁断を破って行った。