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先輩

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「四月上旬頃から、この学校である生徒が原因不明の病気で入院している。しかし、その原因は、僕が調べたものによると、何者かの手によって、もしくは自らの手で体に薬物を投与したことによるものと判明。その急性薬物中毒による重症者は――鈴木明美さんと原朋子さんの二人です」
「薬物中毒!?」
 私は思わず声を出して驚いた。
 あけみとともちゃんも、薬物による被害にあっていたのだ。
 だったら、あの時、ともちゃんが消えたのはもしかすると――。
「二人は現在も入院中で、犯人と思わしき人物は現在も逃走中。特徴は黒いコートにフードを被り、顔にはマスクとサングラス、もしくは仮面をつけているとのこと。尚、この人物は学校周辺で不審な行動を取っているある人物、一般的に言うとストーカー行為をしている者と同一人物である可能性が高い――とのことです」
 馨先輩は目を閉じ、自分を落ち着かせるようにして息を吐いて、沙耶に言った。
「毒薬を二人に投与した犯人、及びストーカーの正体は――、あなたですね? 沙耶さん」
 まさか、女生徒の後をつけまわし、あけみを入院させ、ともちゃんをあの場から連れ去り、私に襲いかかろうとしていたのが彼女だというのか!?
「……それがどうかしたのですか?」
 否定しない。事実なのだろう。あけみやともちゃんは、ストーカーの被害にあっていたのだ。やっぱり馨先輩の呪いなんて存在しなかったのだ。
「それでも毒薬を使用した二人を殺すつもりはなかったようですね。情けとでもいうべきでしょうか? 二人はまだ入院中ですが、他の人たちと違ってほぼ健康な状態で過ごしています。僕が本人達を直接見に行ったので間違いありません」
 いつの間に馨先輩はそんな行動をしていたのだろうか。というよりも、感染の可能性もあるから見舞いには行ってはいけないと、先生から伝えられていたのに、平気だったのだろうか。
 馨先輩はさらに沙耶へ一歩近づき、話を続ける。まるで沙耶の考えていることを全て分かりきっているかのように。ちーちゃんは、扉の前に立ったまま静かに馨先輩を、いや音楽室全体を見渡している。
「お二人が健康でいるのなら、私も嬉しい限りですわ」
 沙耶は馨先輩に向かって目を細めて笑った。
「あなたの行いはそれだけに過ぎませんよ」
 馨先輩は懐から何かを出した。
 鉄の棒の先に、何か丸い物がついている。ダウジングだろうか?
 馨先輩はそれを天井に向かって垂直にあげ、くるくると先の部分を回した。するとたちまちもう片方の手に持った小さな箱から、超音波のような音が流れてきた。
 音が鳴った瞬間、馨先輩は棒を回すのを止め、音のする方角へとゆっくりと近づいていく。次第に音は超音波から奇妙な音に変わっていき、窓の上に立て掛けてあるバッハの肖像画に棒を向けた所で、音量は頂点に達した。聞きなれない音に私は両手で耳を塞いだ。
「この音楽室には、盗聴器が仕掛けられているようですね」
 そう言いながら馨先輩は背を伸ばして肖像画を壁から外して手に取り、絵の裏から何かを引きちぎった。
「この場所以外にもつけられてるんだろうが……一つあれば充分証拠になるだろう。あなたはこれで吹奏楽部の部員の声と演奏を、全部聞いていたわけだ」
 わざわざ盗聴器なんてものを使って、吹奏楽部の生徒の声を聞いたところで、それがいったいどうなると言うのだろう。全く繋がりが見えない。
 沙耶は黙って馨先輩を見つめている。たじろぐことなく冷静さを保っているかのようだ。
 ――まだ隠していることがあるというのか。
「では、ここで突然ですが、音当てクイズをしましょう!」
 馨先輩はいきなり明るい声を出し、額や鉄の棒をポイと床に投げて、早足でピアノに向かった。
「せ、先輩、何を言っているんですか? 今はそんなことしてる場合じゃ……」
 私の発言が終わる前に、先輩は人差し指で、鍵盤を叩いた。
 ピアノから、耳にちょうどいい高さの音が音楽室中に鳴り響いた。
「さぁ、じゃあまずドアの前に立ってるちいさん、この音は何?」
「……B、オクターブ上のB,F,そのまたオクターブ上のB、D、F、G♯、さらにオクターブ上のB,C,D……」
「それは倍音だね。答えるのは実音だけでいい。じゃあ、河井さんは?」
 馨先輩はもう一度同じ音を鳴らした。
「えっと、B{ベー}、シ♭ですっ」
「正解。吹奏楽の基準の音だからこれは簡単だね。よし、じゃあ、次!」
 馨先輩は何を考えてこんなことをしているんだ。これも沙耶を犯人と結びつける証拠にでもなるというのか。
 すると、いきなりいくもの音が無造作に重なった不協和音が、耳に鳴り響いた。
 馨先輩は両手の全ての指を使って、めちゃくちゃに鍵盤を押している。
「はい、河井さん。これらは何の音? 全部答えて」
「え、ええっと――ド、ミ♭……そんな、全部なんてわかりません!」
 分かるわけがない。私は幼い頃に少しの間だけ音楽教室に通っていたが、そこまで耳は良くない。
「それが普通だよ。じゃあ――沙耶さん」
 沙耶は、冷静に一つ一つの音を答えて言った。考えたり迷ったりする素振りも見せずに、一つ一つの音を答えていく。まさか……。
「河井さん、このまま鍵盤を押さえてるから、こっちに来て沙耶さんの答えがあってるか確かめてみてくれるかい?」
 私は床を跳ねるようにして馨先輩が弾いている、というより音を出しているピアノの横に立ち、馨先輩の細い指によって押さえられた鍵盤を見た。
「沙耶さん、もう一回一音ずつ答えて」
 沙耶はまた当たり前のように音を一つずつ答えていった。
 その音は一つも間違えることなく、馨先輩が今押さえている鍵盤の音と全てが一致した!
「すごい……! どうして……?」
「美紀君、沙耶さんは耳が特別良いんだ。一般的に言う、絶対音感ってものを持っている。だから、この世にある全ての音が、どの音に当てはまるか瞬時に分かるんだ」
 絶対音感――。私にはないからどういうものかはよく分からないが、それはピアノ等楽器の出す音はもちろん、本をめくる些細な音や、足音までもが、どの音なのか判断できるものらしい。
 昔、テレビの特集で絶対音感をもった小学生が紹介されていた。その子が言うには、音楽の分野においては相当役に立つらしいが、その能力は人にもよるが意識せずとも常に発動しているものであるらしく、そのため授業中の私語や先生が黒板に書く時のチョークの音でさえもが気になって授業に集中出来ないのが難点だ、と語っていた。
「絶対音感がなくても、音を聞き分けることは、訓練をすればある程度なら誰にでも出来る。河井さんはその部類だね。
 では、絶対音感を持った人との違いは何かというと、河井さんのような音楽をやってく内に音を聞き分けられるようになった人は、耳に入った音を脳で分析してどの音に当て嵌まるかを判断し、答える。それに対して絶対音感を持った人は、音が耳に入ってきた瞬間に、何の音か既に分かっているんだ。だから、考える必要なく、無意識でも答えることが出来る」
「つまり、聞き分ける速さの違い、ってことですか?」
作品名:先輩 作家名:みこと