先輩
なんだか、ドラマでよくある最後のシーンみたいだ。お互いの友情を確かめ合い、共にこれからも生きていくことを誓った後に、大事件に巻き込まれたり、二人は離れ離れになってしまったり……といった展開になる。まぁ、私たちも既にこの状況は普通ではない。大とまでは付かなくても事件には巻き込まれているのだ。
「……ハヤトも好きだけどネ」
ハヤトとは、リンの大好きな「純情宣言!」という少女漫画に出てくる男子のことだ。私もその漫画を少し読ませてもらったことがあるが、私が見て思ったそのハヤト君は、古臭いキザ野郎にしか見えなかった。
「あの漫画って、恵(主人公)の思い通りに話が進みすぎだよね」
私はリンに喧嘩を売るように批判した。しかしリンはひるむことなく、
「そこが少女漫画の良いところじゃない」
さすがリン。乙女である。
二人でクスクスと笑い合った。ここに着いたばかりの時とは打って変わって、呑気なものである。
そう思った傍から、ドン、という強い音が階段の方で鳴った。私とリンはお互い驚いた顔をして向き合っていた。
「あのすばしっこいメス猫共が、どこに隠れやがった!」
追いかけてきていたヤクザ生徒二人の内の一人の声である。どっちがどっちの声かは区別出来なかったが。
「お前は音楽室の方調べろ!」
まずい。見つかる。
ドタドタと床を踏み鳴らす足音が近づくにつれ大きくなっていき、一番大きな音が扉越しに鳴ったところで止まった。
きっと今、ドアの目の前にはあいつらが立っているのだろう。私達とあいつらとは、もう五メートルも離れていない。私とリンは音をたてないように端の方へと移動した。しかし、リンが楽器のケースに足を躓かせてしまい、ガタンとはっきり物音をたててしまった。
「ん? 今なんか音がしたよな?」
ガッ、とドアノブが音をたてた。もちろん鍵が掛かっているため開くことはない。だからといって安心は出来ない。
チッ、と舌打ちをたててまた足音がしたかと思うと、ドカン、と大きな音が鳴り、ドアの隙間から入る光の模様が、一瞬縦長に伸びた。
相手はドアに思い切り体当たりをしたのである。
心臓が飛び出るくらい驚いた。リンも同じぐらい驚いていた。小さな口が丸く開いていて、大きな目がこれでもかというぐらい見開いている。
あいつらは鍵が掛かっているからといってあきらめるような連中じゃない。鍵が掛かっていたら、鍵をこじ開けるか、無理やり壊すのである。ドア自体を壊す、という方法もあるだろう。
つまり、彼らにとって鍵は単なる時間稼ぎにしかならない。指紋認証やカードキーロックなら、しばらく時間は稼げそうだが――、ここは古い学校にあるただの音楽準備室である。そんなハイテクな物をここにつけるのなら、校舎自体を建て直してしまった方がよっぽどいい。
再びドカン、と大砲を撃つような音が鳴り響き、ドアが少し盛り上がった。
それから体当たりは四五回続いた。回数を重ねるごとにドアの盛り上がりは増していき、隙間から覗く光は大きくなっていく。
私とリンは磁石のように、ひっぱってもなかなか離れないぐらい体を寄せ合っていた。二人とも小刻みな震えが止まらなかった。
「みーちゃん……」
「リン……」
リンは既にぼろぼろ泣いていた。私も恐怖で泣きそうになったが、二人で泣いてしまったらどうしようもなくなってしまうため、なんとか我慢した。
そして、ドアの向こうにいる二人組みのどちらかは、ふぅ、と息を吐き、気合を入れ直して再び体当たりをしてきた。バキっと鍵の壊れた音と、バン、とドアが思い切り壁に当たった音が順に鳴り、廊下に響いた。
相手は光を浴びながら聳え立っていた。
「へへへ、やっと見つけたぜ。お嬢ちゃんたちよぅ……」
彼は私たちを睨みつけながら、ドアにぶつけていたであろう腕をさすっている。
「よくもまぁ、あの警戒態勢の教室から逃げられたな。その勇気と左の姉ちゃんの足の速さは認めてやろう」
両手を組んで指の骨をぼきぼきと鳴らしながら、彼は不気味な笑みを浮かべて、私たちに一歩一歩ゆっくりと近付いて来た。しかし、ダン、という衝撃音とともに、彼の足は止まった。そして新たな光が扉の向こうから伸びた。
「誰だっ!」
男は私たちに背を向け、急いで廊下の方へ戻った。
「君たちは、僕を……知らないのですか?」
Dクラス二人の発する、壊れたテープレコーダーのようなだみ声ではなかった。雑音の少ない、澄んだチェロの音のように低くて美しい――。
「は? 馬鹿か。お前みたいな小僧なんて知るわけねぇだろ」
その音色は、すぐに壊れたテープ音によって掻き消された。もう一人のDクラスの生徒が遠くでバタバタと近づいてくる音も聞こえた。
「おいっ! そいつはたぶん、俺らが捜してたガキだぞ!」
もうひとつの壊れたテープ音が言った。こっちの方がまだ修理すれば直りそうな音だ。
しかし、彼の言った「捜していたガキ」とは、どういう意味だろう。彼らは人を捜していたのだろうか。
「なんだと! じゃあ……てめぇが堂々と組に喧嘩売ってきたってのかオイ!」
私とリンは恐る恐る足を踏み出し、光の集合体――ドアの横に近寄り、廊下で起こっている現場を目でも確かめた。
「その通り。僕があの手紙を書いてアジトに置いていった、第三学年の生徒である――守屋 馨(もりや かおる)です」
その声の発信源は――、
「てめぇっ!」
グレーのような、銀色のような透き通った色の短い髪の毛を生やした、
「腑抜けたこと言ってっと――」
すらっとした長身に比例するぐらい長い足に、
「殺すぞごらぁっ!」
ふち無しの眼鏡を掛けて笑っている――、
人形であった。
だけど、さっき私が見た人形とは違う。表情がちゃんと生きている。そして何より、どんな女性でも一目惚れしてしまいそうな――、
美少年だった。
私は本気で誰かを好きになったことがなかった。
ついさっきまではそうだった。
それが今この瞬間から――、
言えなくなってしまった。
私の心臓は、プレストのテンポで拍を刻み始めた。
私の耳が、突如現れた彼の声を延々と繰り返していた。
私の眼の奥に、彼の笑顔が一気に覆うように広がった。
そう。私は――、
彼――守屋 馨に、一目惚れしてしまった。