先輩
3
四月十七日。馨先輩と一緒に帰った次の日の朝、学校に着いて教室に入ると、いきなりともちゃんが早歩きで私に向かってきた。ぶすっとした機嫌の悪い顔をして、私をこれでもかというほどきつい目つきで睨みつけながら言った。
「あけみが昨日、入院したのよ」
朝から早々、不謹慎なニュースだ。いつも元気が取り柄のあのあけみが昨日休んだのだから、そんな大ニュースを開口一番に言いたくなる気持ちは分かる。だけど、ともちゃんは何故不機嫌な顔をしているのだろう。
「入院!? あの元気が取り柄の明美が? 何か病気にでも架かったの? 盲腸とか?」
「それが――原因不明なんだってさ。お医者さんもさっぱりわからないんだって」
「何それ? ……新種のウィルスとか?」
「違うわよ」
「じゃあ……何なの?」
「きっと原因は病気じゃないわ。原因は……カヲル君の呪いよ」
思わず笑いそうになったのを必死で堪えた。
馨先輩の呪いだって? そんなもの、あるわけがないじゃないか。
あるのだとしたら、それは呪いなんかではなく「恋の病」だ。……自分で自分の考えに恥ずかしくなってしまった。
もしも呪いなんてあったのなら、私なんて今頃とっくのとうにその謎の病原菌に全身が犯されているだろう。
「呪いだなんて、そんなもの――」
「医者だって原因がわからないのよ? それを呪いといわずになんていうの?」
私が呪いを否定しようとしたのを遮られて、ともちゃんが口早に言った。
それはいくらなんでも屁理屈ではないか。まだこの世には解明されていない病気なんていくらでもあるだろうし、あけみが診てもらった医師の腕の問題もある。
そんな事を言ったが、ともちゃんは睨みつけた表情を微塵も変えずに話を続けた。
「ちゃんとカオル君が呪いをかけたって証拠はあるのよ」
なによ証拠って、と私は負けじと強い口調で聞いた。
「私たちが図書館でまとまってカヲル君を見ていた中、あけみはあけみで別な行動をしてカヲル君に近付いていたのよ」
その言葉を聞いた途端、あけみに対する私の印象は、再び悪人へと戻った。あけみはやっぱりあのメールで私たちを操り、一人だけで馨先輩に近付こうとしていたのだ。
「そ、それで、あけみは先輩に近づけたの?」
ともちゃんがやっと表情を変え、いやらしい笑みを浮かべながら答える。
「知らない。少なくとも――付き合ってはいないでしょうね」
付き合ってはいない――。その言葉に私は反応した。不安なような、驚きのような気持ちの悪い気分になった。
「じゃあ、どこまで近付いたの?」
「だから知らないってば! 私も実際に見てないし。Aクラスの友達に聞いただけだから。その後どうなったかは、本人が学校に来ていないんだから聞こうにも聞けないのよ」
しかし、原因不明の病気と馨先輩の件が、どうして繋がるのだろうか。馨先輩というよりは、KLDを裏切って馨先輩に近付いたから罰が当たった、と言いたいのだろうか。もしそうだとしたら、私の方が先にその病気に架かっているはずだ。
そもそもそんなことで病気になるわけがない。別に馨先輩は何もしていないのだ。それなら馨先輩に悪気はない。単なる濡れ衣だ。
「それで――呪いがあるから、私になんだと言うの?」
お互いの声が鋭さを増していき、口喧嘩のようになっている。教室にいる他の生徒から視線が感じられた。
「気をつけましょうね、って事」
「気をつけるって、だから何をよ」
「軽い気持ちで先輩に近付いちゃいけません、って事よ。心配してあげてるのよ。感謝してくれてもいいんじゃない?」
余計なお世話だ。心配されなくたって、私は最初からそんな呪いを信じていない。呪いというものは呪いがあると信じた時点で既に呪いに掛かっている――とどこかで聞いたことがある。
「あ、それと――」
ともちゃんは自分の席に戻る前に再び私に向かって振り返って、
「私、今日カヲル君に告白するから」
と言って、再びくるっと向きを変えて席に戻ってしまった。
ともちゃんが、告白する……?
何故? さっきまで呪いがあるから注意しろとか、軽い気持ちで告白するな等と忠告していたのに。どういうつもりなのだろうか。ともちゃんにも私と同じぐらい馨先輩に対する強い気持ちがあるのか。
――いや違う。きっと、呪い自体も無いに決まっている。
これは私に告白させない罠だ。
誰でも呪いと聞けば、少しは気持ちが揺らぐだろう。現にその呪いの被害者もいるのだ。誰だって告白するのが怖くなるはずだ。それに告白したからといってかならずしも付き合えるわけではない。フラれたショックだけでなく、原因不明の病気になると聞いたら気持ちも冷めて、あきらめてしまうだろう。ともちゃんはそう思っているはずだ。私がすぐにあきらめると思っているんだろう。
だが――私の馨先輩に対する気持ちは、そんな生易しいものではない。
馨先輩は、私にとって最愛の人(まだ片思いに過ぎないが)であり、救世主であり、自分の命を捨ててでも愛したい存在なのだ。
……しかし、今まで好きという感情すらよく分からなかったはずなのに、どうして馨先輩に出会った途端、少女漫画の主人公のように恋する少女になってしまったのだろう。
――馨先輩がかっこいいから?
それだけではないだろう。かっこいい人なんて、TVや雑誌を見ればいくらでも見ることが出来る。
――馨先輩があの時、助けてくれたから?
それも確かにあるだろう。だからといってそれだけが理由ではない。優しい人だってこの世にはいくらでもいる。それに男子に助けてもらったことは、小学校の頃から何度もある。その時は別に助けてくれた相手のことを何とも感じていなかったのだ。
きっと、一目惚れに理由なんてものは、ないんだろう。元々誰かを好きになったことがなかったのだって、理由という理由は何もなかったのだ。
私にはまだ、恋愛がどういうものなのかさっぱり分からない。
恐らく、初めての恋愛は、皆こういうものなのだろう。少女漫画を読んでいるからと言って、恋愛のいろはが分かるわけではないはずだ。漫画の中のような、何もかも出来すぎている恋愛は実際にはあまりないはずだ。そんなにたくさんの少女漫画を読んではいないから分からないのだけれど。
ともちゃんは本当に告白する気なのだろうか。急に不安になってきた。
もしかしたら、あけみも馨先輩に告白したのかもしれない。
だけど、もし告白していて馨先輩と付き合えることになったら、たちまちクラスで噂になっておかしくない。
――大丈夫だ。ここで私があせって告白したってきっと断られてしまうし、真面目に勉強をしている馨先輩に迷惑を掛けてしまう。
他人の行動など気にせず、私は私の方法で馨先輩と仲良くなろう――と、心に決めた。