先輩
つい声が漏れてしまった。小声だったから馨先輩本人や自習をしている生徒たちには聞こえないだろうが、すぐ隣にいる女生徒二人には間違いなく聞こえてしまったはずだ。
私は恥ずかしくなって、せっかく見つけた馨先輩から目を逸らして下を向いた。すると――、
「あれ? もしかして……」
隣の生徒がこちらに向かって声を発したようなので、私は冷や汗をかいた頭を上げて、百科事典の方に目を向けると、
「やっぱり! 美紀じゃない!」
と声がしたのと同時に、隣に立っていた生徒が、ともちゃんとちーちゃんだったことをその時初めて知った。
結局――、この二人もあのメールの約束を破っていたのだ。昨日一人であれだけ悩んだのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。
とりあえず、あけみとリンにはないしょね、と三人で約束して――約束を破ったことを約束するのも、なんだかおかしな話だが――、二人はその後もまだ馨先輩を遠くから見続けていたが、私は恥ずかさ、それよりも後ろめたさに耐えられないので、すぐに一階へ降りてしまった。
降りた一番手前にあるテーブルには、足をプラプラ揺らして椅子に座っているリンがいた。
声を掛けると、リンは「純情宣言!」というタイトルに、線の細いタッチで描かれた美少女と美少年が表紙の小説を読んでいた。原作が漫画でも、小説版なら図書館にも置いてあるのか……。
「ん? どーしたの?」
「私の用はもう済んだんだけど、リンはどうする? まだここにいる?」
「ん〜……じゃあリンゴも行く! これ借りてくからちょっと待ってて!」
リンは静かな空間でバタバタと小さな足で大きな足音を響かせて、受付に走っていった。
なんとか約束を破った罪は、共犯者がいたことによって軽くなった。道ずれにさせようとしてしまったリンには、お詫びとして今日出された英語の宿題の答えを明日見せてあげて、それで許してもらおう。
約束を破ったことは悪いと思うが、それでもあけみの教えてくれた通り、馨先輩が本当に図書館にいることが確認できた。
なにより、後姿だけでもまた見ることが出来てよかった。見た瞬間、一昨日会った時ほどではないが、急速に心拍数が上がってしまった。
それから金曜日までの三日間、私はお昼になると懲りずに毎日図書館へ馨先輩を見に行ったのだ。
初めて見に行った火曜日はリンと一緒だったが、馨先輩に興味がないリンを毎日図書館に連れて行くのはかわいそうなので、次の日からはKLDの二人――あけみを除くともちゃんとちーちゃんと三人で見に行った。馨先輩はいつも同じ席に座って分厚い本を読んでいた。
私たちは馨先輩が席から立つまで、じっと見続けていた。馨先輩が椅子から立ち上がると同時に足音をたてないように小走りで図書館を出て行くのだ。
……そんなことをずっと繰り返しているのも、なんだかストーカーと変わらない気がする。
だからといって馨先輩に話しかける勇気はない。私にもっと勇気があれば、こんな覗きまがいなこともしなくて済むし、約束を破ってまで図書館に行く必要がなくなるのだ。休み時間に三年生の教室に行き、馨先輩と話せばいいだけなのだ。
恋愛とは、こんなに勇気がいるものなのか。
確かにドラマや恋愛小説では、告白シーンなんて、見てるこっちがどきどきしてしまうぐらい緊張するシーンだ。そんなシチュエーションが現実に、自分に起こったとしたら、緊張で心臓が張り裂けそうだ。いくら演技やお芝居だとはいっても、好きな気持ちを本人の前で直接伝えられる勇気があるのは、かなり尊敬する。
金曜日まで図書館に行って分かったのは、私の中では悪人だったあけみは、結局一度も図書館には姿を表さなかったことだ。つまり、あけみはしっかり約束を守っていたのだ。
なんだか最初はあけみのことを悪く思っていたが、結局一番悪いのは私達の方だったのだ。今となっては申し訳ないとも思える。
それなのに――あけみには何も言わないで、毎日図書館へと足を進める私こそが悪人だと、自己嫌悪してしまう。
だからといって、そんなことを今更思っても仕方ないし、考えてもしょうがない。それに、私一人であけみに謝りにいったところで、約束を破っていることをばらすのと同時に、ともちゃんとちーちゃんとの約束も破ることになり、私は完全なる裏切り者になってしまう。
結局そう考えていくと、図書館に行かないようにするのが一番良策なのである。
それぐらい考えなくても分かってるのだ。なのに――今の私にはそれが出来ない。
私は友達のことを考えているようで、最終的には自分のことだけしか考えていないのだ。友達を捨ててでも、馨先輩に近付きたいと思い、それでも友達みんなに嫌われるのは嫌――。
これが、私の本当の気持ちなのである。