先輩
先生の名前を聞いてクラスのほとんどは「おぉ」と、小さな歓声を出していた。大和田大吾といえば、八年前にこのクラス制度を提案した、あの生徒会長だった人である。その話は学校の中ではかなり有名なようだ。
彼の姿が、私の想像していた姿と違っていて、正直ちょっと残念だった。もっと背が高く、痩せていて見るからに「優等生です」という雰囲気が漂っているような人だと思っていた。想像と同じだったのは眼鏡を掛けていることくらいだ。
大和田先生は最初の授業なので、社会の授業はせずにクラス分け制度について延々と語っていた。最初の何分かはみんな興味津々に聞いていたが、話している内容は既に噂で流れていることだし、その話だけを何度も繰り返してしゃべるから、時間が経つにつれてほとんどの人が話を聞かなくなった。
私もその一人で、途中からずっとリンと話していた。
ただ、私の勘違いかもしれないが、大和田先生は何故だか何度も私の方に眼をやった。別に私はそんな目立つような行動はしてないし、むしろ周りの生徒の方が大声でおしゃべりをしているのに、彼は私の方を頻りに気にしているようだった。単なる勘違いで、後ろの席の人や隣のリンを気にしていたかもしれないが。
それが気になってリンとは上手く話せなかった。大した話もしてなかったのだが。
結局彼はクラス分け制度の話を繰り返しただけで、授業終了のチャイムが鳴ってしまった。普段の授業もこんな風に進められていくのか、ちょっと心配になった。
午後の授業も無事終わり、今日の放課後から通常通りに部活が始まる。
リンと二人で音楽室に向かうと既に椅子は並んであって、部員も十人くらい来ていた。すると、トロンボーンパートのあけみが私たちの前に走ってきて、目を輝かせながら聞いてきた。
「ねぇ! 二人はカヲルくんと話したんでしょ!?」
「……へ? か、かおるくん?」
「話したことはあるといえばあるけど、ちょっとしか話さなかったヨ」
あけみが答える前、というより私が聞き返した直後にリンが答えた。
「何なに!? 何話したの!? ていうかどこのクラスか聞いた!?」
「ほんとにちょっとしか話さなかったけど。えっとね――」
「てか、いつ話したの!? チョー気になるんですけど!」
今時の若者でもそんな言い方するのか? と思うくらい「チョー」の言い方に違和感があった。せっかく続きを話そうとするリンの言葉も遮って、あけみは一人でどんどん興奮していっているのが、見ているだけで分かる。
「昨日練習しに音楽室向かってる時にね、階段からぴょっ、て出てきたの」
「ぴょっ……?」
「うん、そう。だから『さっきはありがとさんさんでした!』って御礼をいっといた! あと名前も聞かれたから「ももせ りんごです」って答えたら「リンゴちゃん……? かわいい名前だね」って言ってくれたの。うふっ」
リンの話の内容でだいたい分かった。どうやらあけみは私の一目惚れした馨先輩のことを聞いていたようだ。昨日練習する前に会ったというと、つまり私が正門で先輩と会う前か後に、リンも馨先輩に会っていたのか。
それを聞いて、なんだか胸のあたりが重たいような、不思議な感じになった。
「かわいい名前だね、だって……!」
キャーッ! 言われてみたい! とあけみは超音波のような奇声を発した。
「美紀はいつどこで何をはなしたの!? 美紀はちゃんと名前教えた!?」
5W1Hかっ、と突っ込みたくなるような聞き方だ。
「私は下校するときに正門で話したわ。あ、でも話したことはリンと同じで自分の名前を言ったくらい……」
「なんだぁ。やっぱり誰も知らないのね」
あけみは肩を落とす。私とリンはここでやっと自分のパートの席に座ることができた。あけみは自分の座っている椅子をずらして、私たちの席へと近づけてきた。
「カヲル先輩ってさ……何クラスなの? てか、なんでそれ聞かなかったの?」
「クラスは聞いてないわ。というか……自分の名前教えた後、よそ見している内に消えるように帰っちゃったの」
「何よ、消えるようにって。あ〜〜! 謎が深まるばかりだわ〜〜! カヲルく〜ん!」
「ねぇ、かえるくんかえるくんって、何でそんなに騒いでるの?」
「馬鹿! 先輩はゲロゲロ鳴かないわよ! カヲルくんよ、カ・ヲ・ルくん! そっくりなのよ渚クンの方と! リンリンはエヴァ知らないの!?」
「知らないぷー」
顔を知っているということは、どうやらあけみも馨先輩と会ったことがあるようだった。つまり、昨日馨先輩に会った人は、私とリンだけではなかったのである。もしくは、あけみは既に前々から知っていたのだろうか。
しかしあんな人形のような先輩が最初からいたら、とっくのとうに話題になっていたはずだ。だから転校などをしてきて、昨日初めてこの学校に入って来たのだろう。それだけは断言できた。それよりも、あけみも馨先輩のことを気にしているようだった。
「え……もしかして、美紀とリンリンが見たのって、始業式始まる前にお手洗い言ったとき?」
その声の主はともちゃんだった。
「ち、違うわよっ」
と私が否定すると、ともちゃんはどこか不満げに「ふーん」と答えて、そっぽを向いてしまった。その反応からすると、ともちゃんもまた馨先輩のことを気にしているのだろう。
まぁ、ともちゃんは小学校の中学年のときに知り合った頃からアイドルの大ファンだから、ミーハーな彼女ならこの話題に乗っても、さほどおかしいとは思わなかった。
「ちー、昨日美紀とかおる先輩が正門の前で話しているの、見かけたよ」
ぼそりと独り言のように呟いたのは、ちょっと変わった女の子、ちーちゃんだった。
「え〜〜! ちょっとなにそれ!? 正門の前って、それ今の時期桜満開で、最高のシチュエーションじゃない! もしかして美紀……元々何か仕組んでて、そこで話したの? きゃ〜〜!」
とりあえず、あけみはまず落ち着いて欲しい。
しかし、私以外にも馨先輩を知り、好き――かどうかはまだ分からないが――になってしまった子が何人もいる。そうなるとさっきの胸に感じた重みが、さらにずっしりと乗りかかってくる。なんだか胃が痛むようにムカムカもしてきた。別に悪口を言われているわけではないし、ストレスが溜まっているようなイライラとも違った。
「それで、あけみはカエル先輩の秘密とクラスを知ってどうしたいのかにゃ?」
「だから蛙じゃなくてカヲルだってば! 馬鹿リンリン! あたしたちは何でもいいからカヲル君の情報を、手っ取り早くもっともっとた〜くさん集めたいのよ! あたしたちが知らない情報も、二人なら聞きだしているはずだと思ってた期待してたのに……。それなのに! 自分の名前しか教えてないって言うし!」
「でも……カオル先輩の情報をどんなにたくさん集めたとしても、集めただけでは何も進展しないよね」
ずっと私の後ろで四人の様子を見ていたちーちゃんが、再びそう呟いた。
「情報が集まればそれだけカヲル君に近付けた、ってことになるじゃない! ちー子も分かってないわねぇ! まったく!」
「それって、なんだかストーカーみたいじゃないかにゃ?」