先輩
式が終わり、まわりがざわざわしてきた所でこの話には歯止めを掛け、私は楽器を抱えて体育館から出て行った。
連絡通路を歩いていると、
「りんごちゃーーーんっ!!!」
と、大きくて張りのある声が後ろから聞こえてきた。
「あ! アッ子先輩! 久しぶり〜」
声の主は、リンが仲良くなったと言っていた、Dクラスの勝山先輩だった。
私はその巨体に驚いて一歩退いてしまった。
「やだぁ、あたしゃあんなにでかくないてっの」
リンはアッ子先輩と呼んでいたが、和田アキ子に似ているからそう呼んでいるのだろうか。確かに、でかくて声に張りがあって下手な男より男らしいところは、本物のアッ子さんにそっくりかもしれない。
「それより先輩、Dクラスは今日学校休みじゃないんですか?」
「ん? あぁ、あっちの集会ね。確かにDクラスの生徒はあっちに出席しないとやばいことになるわねぇ」
「アッ子やばいよ!急がなきゃ」
リンは小さな体でコントラバスを持ちながら、おろおろしている。
「ううん、大丈夫。あのね、あたし今年からDクラスじゃなくなったのよ」
「え? じゃあEクラス?」
「そんなのないって。あんなやつらより馬鹿がいたらクラスが成り立たねぇよ」
リンもヤクザ相手――かどうかはわからないが、見た目でそう言ってるのも同然だ――によく言うと思う。いや、単に怖いもの知らずなだけなのか。
「あたしね、こんなあたしが? って思うかもしれないけど……実は、Aクラスに移ったんよ」
「え!? Aェっ!?」
黙って二人の話を聞いていた私も、驚きのあまりリンと同時に叫んでしまった。
「やっぱりそれくらい驚くわよねぇ。まぁ今までのあたし見てたら無理ねぇか。がはは」
あははと笑っていたんだろうが、腹の底から声が出ているため、私にはがははと聞こえた。
「DからAってすごいよ先輩! 前代未聞かもよ? ……でもなんでいきなり?」
私もそれが気になってしょうがなかった。失礼だが、彼女のような「誰がどう見てもDクラス」のような人が、Aクラスの教室にいたら何かの冗談かと思える。
「それがさぁ、あたしんちの親父が元々そっち系の人なんよ。私はそんなの全然興味ねぇから、いざというときにへろへろしてる親父の替わりに暴れてただけでさ。だから実際のところあたしはDクラスでも組自体には入ってなかったんよ。簡単に言えば緊急時の親父のお手伝いさんって感じ」
お手伝いさんというより、ボディーガードと言った方が分かりやすい。さっきから私の心の声は、言いたい放題である。
「んなこと言っても、あたしもこれでも女だから流石に男よりは力がないんよ。年齢の差もあるわけだしねぇ。だから私も散々やられた時があったんよ。こてんぱんに。そんでその後に親父はあたしに向かって『お前はもうやめろ。俺から離れるんだ』とか言ったんだよ。親父一人じゃなんもできねぇってのにねぇ。それから当たり前だけど親父はどんどん格が下がっていって、結局下っぱ同然になったんよ。馬鹿だねぇ。でも実際にそうなった時、正直、あたしはどうすればいいかわからなっちまってねぇ」
どこの地方かはわからないが、独特のなまりがあって聞き取るのになかなか苦労した。
「それでも、お父さんの言うことをちゃんと守ってたの?」
リンが聞いた。眉毛がひん曲がっていて今にも泣きそうな顔をしている。
「そうねぇ。何度も助けに行こうと思ったんだけど、一度負けたのがトラウマで戦えねぇで、助けに言ったところであたしはただのでくの棒みてぇになってたわぁ。ほんと馬鹿げた話でしょう?」
きっとこの学校のすぐ近くで起こっていた話なのに、なんだかどこか別世界の話のようである。その別世界の人間が私たちの世界にやってきて、それぞれの世界での出来事を語っているようである。
「そんで、去年の九月に親父はくたばっちまってよ。死因はなんだと思う? 薬中だよ。そんなもんに手を出しちまうなんて、下っ端でいるのがそんなにやだったのかねぇ」
薬物というのは想像がつかなかったが、世界が違っても死ぬことは同じなのだ。どんな人間でも、原因は様々だが死ぬときは死ぬ。死は平等という言葉が少し分かった気がする。
リンの姿を見ると、ちょうど一滴の涙が頬を伝っていた。
「ヤクチューってなに……? 痛いの?」
「ん〜、まぁりんごちゃんは知らないほうがいいわねぇ。親父が死んでからあたしはショックでショックで。あんな役に立たない馬鹿親父だったのにねぇ。クラスの連中相手に暴れまくったわ。タチの悪い単なる八つ当たりなんだけどさ。でもすぐに気付いたのよ。こんなことしたって親父は喜ばねぇって。
だからあたしは考えて思ったのよ。普通の暮らしがしたいって。そのためには馬鹿じゃいけねぇと思って、その日からを境に勉強を始めたんよ。勉強なんてしたことなかったからかなり大変だったんだけど、親父のためと思ってあきらめずにやってみたわけよぉ。そうしてなんとかAクラス入れたってわけ」
これだけでも映画に出来そうなくらいよく出来た――と言ったら失礼だが――感動的な話だ。
もし私が勝山先輩の立場だったら、きっと私も薬物に手を出してしまい、先輩の父と同じように死んでしまうか、どうしようもなくなってしまうだろう。そんな状況で一から勉強を始めた勝山先輩の精神力と、Aクラスに無事入れた努力に感動して、私も涙が出そうになった。リンは既にぼろぼろ泣いていた。
「あぁ! ごめんねりんごちゃん。美紀ちゃんもそんな悲しい顔しないで。あたしが暗い話しちゃったからよね。……じゃあ明るい話に切り替えるか!」
勝山先輩はそう言って無理やり笑顔に戻った。勝山先輩の瞳も水分を多く含んでいた。実際はそんなことなかったのかもしれないが、私にはなんだかそう見えた。
「りんごちゃん、また演奏上手くなったんじゃなーい?」
先輩がそう言うと、リンはぐじゅぐじゅになった顔をあげて、
「アッ子さん、聴いててくれたの!?」
声が震えている所為か、変なところにアクセントがついていた。
「もちろん聴いてたわよ〜。しかもかなり近くで。りんごちゃんの音は低くてかっこいいわ〜。美紀ちゃんも、オーボエ上手だわねぇ」
私の担当している楽器はオーボエではなく、ファゴットである。
「えへへ。練習の成果が出てるんだね。いつかリンゴもおっきくなって、アッ子さんみたいになるんだから!」
「りんごちゃんがこんな怪物みたいにでかくなっちゃったらだめよぉ。大きいと色々不便だしねぇ。りんごちゃんは小さいからかわいいのよ」
確かに勝山先輩の言う通りだ。和田アキ子並みに大きいリンなんて想像するだけで笑ってしまう。
「あ! みーちゃん、今おっきくなったリンゴの姿想像して笑ったでしょ!」
リンは私の方を向いて頬を膨らましていた。本当に表情がコロコロ変わる。
「ふふふ、ごめんごめん。でも勝山先輩の言う通り、今のままのりんごがいいし、もし大きくなっちゃったら今使ってるコントラバスとおさらばして、準備室の隅に置いてある古い楽器を使わなきゃいけなくなっちゃうよ?」
それはやだよぅ!、と言ってリンは体を左右に揺らした。小さいとはいえ、楽器を抱えているので危ない。