慟哭の箱 10
「帰っておいで、一弥、」
清瀬が、傷のないほうの手で一弥を抱き込んだ。強い力だった。痛い。温かい。動けない。声が出ない。どうしていいか、わからない。
「うちに帰っておいで」
魔法のように、胸の奥の痛みや苦しみが消えていく。
「おまえはなんにも悪くないんだから」
優しい声。ずっと聞きたかった言葉。身体の中に重く淀んでいた澱がとけだして、指先から流れ落ちていくような感覚。
「痛かっただろ。怖かっただろ。つらかったろ…あのとき、助けにいってやれなくて、ごめんな」
いつかの夜に、一弥は清瀬を責めた。どうして助けに来なかったのと。それは清瀬のせいではない。誰にも、どうしようもなかったことなのだ。それなのに、怒りにまかせて飛び出した一弥の言葉を、清瀬は真正面から受け止めてくれていたのだ。
「今度こそ、助けに来たぞ」
「…お、俺は…殺さないと、あいつ、あいつを…!」
抱き込まれる力が強くなる。息ができないくらいに、強い力。清瀬の心臓の音が、聞こえる。もうしゃべるな、と言われている気がした。
「だめ。おまえはこの先もう、一つだって罪を重ねちゃいけない…幸せになるために。そのためなら…俺は何度だって切っ先を握って止めてやる」
何度でもだ。念を押すように言う清瀬。身体を離され見上げると、いつもみたいに呑気に笑っているのが見えた。
「清瀬さーん?どうしましたー?」
「何もない。今行くよ」
ハンカチで手をぐるぐるまきにしながら、清瀬は外から響く沢木に答える。そして内緒だというように、人差し指をたてて笑った。