反骨のアパシー
「えー、この施設では開園以来、三十年以上に亘って入所している利用者もございますが、当施設はあくまで通過施設として位置づけられております。つまりはここを退所し、次のしかるべき所に移って頂く。それは在宅かもしれないですし、グループホームかもしれない。あるいは他の民間施設ということも考えられるでしょう。ただ、現実を率直に申し上げますと、長期に亘って入所されている方がほとんどでございます」
(つまりは回転率が悪いということか……)
栄太郎は心の中で呟いた。
栄太郎は実はこの野菊園に煮え湯を飲まされたことがある。それはまだ、栄太郎が福祉事務所で生活保護の地区担当員をしていた時のことだ。
浅原鉄男と浅原良太の親子をめぐる処遇で、この野菊園とトラブルになったのだ。浅原鉄男は障害判定こそ受けていないものの、知的障害とのボーダーであった。息子の良太は療育手帳B2の軽度の知的障害の判定を受けていた。母親はとっくの昔に死亡していた。そんな浅原親子の暮らしは生活保護に頼っているとは言え、日常的な支援が必要だった。だが、次第に鉄男の認知症が進み、鉄夫が精神病院に入院することになったのだ。そうなると良太一人で在宅生活を営むのは困難であった。そこで栄太郎は障害福祉課を通じて、良太の野菊園入所を打診した。しかし、返ってきた答えは「障害程度が軽いため、野菊園の入所対象ではない。野菊園は重度障害者のための施設だ」という答えだった。栄太郎はそれでも野菊園に食らいついた。
「短期や一時利用でもダメなんですか。今日、これからの生活が良太さんにはかかっているんですよ」
しかし結局のところ、野菊園は受け入れをしてくれなかった。栄太郎は苦労して良太をひとまず精神病院に入院させたのだ。そこが良太にとって良い環境とは思えなかった。しかし、その他に方策がなかったのである。他の民間施設も満床であると断られていた。
栄太郎には緊急性が高く、どこも引き受け手のない良太のようなケースこそ、公立である野菊園が引き受けるべきだと考えていた。しかし、野菊園は「重度障害者のための施設」という理念を譲らず、引き受けてはくれなかったのである。その野菊園の運営方針への疑問は、今でも栄太郎の心の中に燻っていた。
(重度の知的障害者か……)