反骨のアパシー
そのうち職員の間でも、一寸木が稲田に暴力を振るっているのではないかとの噂が広まった。オムツ交換の時に、一寸木が乱暴に稲田を扱い、「おら、オムツ交換してやっているのに、少しは協力しろ」と恫喝している場面が目撃されていたし、稲田の痣はその辺にぶつけて出来たような痣ではなかったのである。それはあたかも殴られたような痣だった。
「一寸木さんをこれ以上、雇うとそのうち事故や事件に繋がりますよ」
栄太郎はそう松田寮長に進言した。しかし、松田寮長の返答は「彼にも生活があるし、雇用期間は契約で決まっているからなぁ」と気のない返事しか返ってこなかった。
一寸木は稲田への暴力は否定していた。夜勤中でのことなので、現認者がいないのだ。だが、職員間での噂が広まるにつれ、稲田が痣を作ることは少なくなっていった。それでも一寸木は何食わぬ顔で出勤していた。
栄太郎は別に元担当だからといって、稲田が可愛いわけでもなかった。ただ虐待のような人権侵害がまかり通る施設の気風が気に食わなかったのだ。そして、臭いものには蓋をする。
栄太郎はもう、これ以上何を言っても無駄であることを悟った。それはアパシーの状態に近いものがあったかもしれない。
そうこうしているうちに、六ヶ月が過ぎ、一寸木は雇用の契約期間が終了となった。そして中島が復職してきたのである。中島は「ご迷惑をお掛けしました」と菓子折りを持ってはきたが、悪びれた様子もなく、「遊ぶ女が減っちゃったよ」などと軽口を叩いていた。どうやら中島は、セクハラ事件を反省していないようである。そんな中島の態度を見ているだけで、栄太郎は反吐が出そうだった。無論、栄太郎は中島と会話することはなかった。
その日の寮会議では利用者の支援プログラムの見直しが議題の中心となっていた。今日は栄太郎の担当する、横内の支援プログラムの見直しだった。
「横内さんに関しましては、体重の減少も見られるので、スクワットや腹筋、園周ジョギングを中止にしたいと思います」
栄太郎は胸を張ってそう述べた。だが、すぐに異論を唱えたのは中島だった。
「横内さんの体重維持のためにも、今までのプログラムは必要ッスよ。それに自閉的傾向が強いから、プログラムを変えるのはいかがなものでしょうかねぇ」