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優しい嘘~奪われた6月の花嫁~

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 すぐに返信して、話は決まった。金曜の夜、九時にJR大阪駅で新快速を降りたその場所で待ち合わせることに決め、メールは終わった。その日は風邪薬の力を借りなくても眠れそうだと、紗理奈は心ばかりか身体まで軽くなった心地で、バスルームに向かった。
 この時点で、実体のないメル友のことは既に紗理奈の頭には欠片ほどもなくなっていた。

 三日後の木曜、その日は定時で帰れた。途中から入ってきた同じ歳の後輩黒田曜子は融通はきかないが、使える人材だ。飲み込みも早いし、同じミスは二度と繰り返さない。これで少しは後進指導も気が抜けそうだと安心している。
 マンションの最寄り駅は私鉄のY駅なので、いつもそこで降りる。途中で乗り換えるM駅は地下街も賑やかで色々な店が揃っているが、Y駅の方は小さな無人駅で、駅から続く商店街も昔ながらの個人店ばかりで、しかもその半分以上はシャッターが降りて営業していない。
 その中で店を開けている数少ないのが、いつも腰の曲がった老婦人がやっている小さな花屋だった。その日は老婦人の姿は見えず、高校生くらいのお下げ髪の少女が店番をしていた。面差しがどことなく老婦人に似ているので、孫なのかもしれない。
 いつものように色とりどりの花を横目に見ながら通り過ぎようとしたその時、店先のアルミ缶にラナンキュラスが一杯に入っているのが見えた。
「これは」
 脚を止めて思わず呟くと、店から女の子が出てきた。小さな構えなので、奥から表が見えるのだろう。
「残ったもので、半額にして表に出しています」
 女の子はまだ十六歳くらいだろうか、お下げ髪といい、鼻の上のそばかすが赤毛のアンを連想させる。薄手のTシャツとジーンズが彼女の気さくな雰囲気によく合っていた。
 ラナンキュラスは七本あった。ピンク、白、紫、黄色と色も揃っている。
「買うわ。全部お願い」
 半額なので、すべて買っても格安だ。後はと店内を見回して季節の紫陽花とかすみ草も添えてブーケにして貰った。ラッピングは有料らしいが、
「ラナンキュラスを全部買ってくれたから」
 と、これも無料にしてくれた。ピンクが多いので、全体の雰囲気に合わせて淡いピンクの薄様紙と透明なセロファンと二重にして包み、根本を淡いピンクのリボンで結ぶ。
「はい、お待たせしました」
「ありがとう、可愛いわ」
 紗理奈は礼を言ってブーケを受け取って代金を支払った。ピンク色のブーケを抱えているだけで、心まで同じ色に染まりそうなほど弾んでいる。
 マンションに帰っても、その軽やかな気分はまだ続いていた。ピンク色は愛情運、ブルーの紫陽花は仕事運、白いかすみ草は全体運、これでも風水に少しは興味があるので、リビングに飾る花は縁起の良いとされる色の花を選んだつもりだ。
 紗理奈を見て、大抵の人は?美人?だと言う。自分ではまったくその自覚はないけれど、綺麗で羨ましいと同性からもよく羨ましがられる。だが、紗理奈自身は地味な性格で内へ閉じこもりがちな自分をけして派手やかな花ではないと思っていた。
 例えるなら、地味なかすみ草のような花、それが自分だと思っている。でも、かすみ草はけして主役ではないが、存在感のある花だ。いつもブーケでは主役の大輪花を引き立て、なくてはならない存在である。そういう地味でありながらも凜とした存在感を持ち主役を引き立てられる人でありたい、紗理奈はそんな風に理想の自分を思い描いている。
 マンションに帰ると、いつもどおり、チーズが出迎えてくれる。
「ただ今、チーズ」
 常なら全然反応を返さない犬に落胆してしまうのに、その日は陶器の犬の頭を撫で、ご機嫌でリビングから寝室に入った。通勤用のスーツから普段着に着替えようとしたその時、バッグの中の携帯が鳴り出した。聞き慣れたエグザイルの曲に耳を傾けてから、点滅する携帯を手にしてベッドに座った。
 新着メールが表示されている。クリックすると、英悟からだった。明日、彼とは大阪で逢うことになっている。彼が大阪に出向になって以来だから、実に三ヶ月ぶりのデートだ。
 華やいだ気持ちのままメールを開いた紗理奈の顔が強ばった。

―ごめん、明日は急な予定が入って、行けなくなった。悪いが、また次回に。
                 英悟

 たった二行のこれだけのメールで、明日の約束はご破算になった。一体、月曜に約束してから今日まで愉しみにしてきた私の気持ちは、どうなるのだろう? 断るにしても、もう少し丁寧な謝罪文が書けないのだろうか。つまりは、英悟にとっては所詮、自分はそれだけの存在でしかないのだと突きつけられているようで、紗理奈は堪らず携帯をフローリングの床に投げつけた。
 携帯は転がって蓋が開いた。もしかしたら、壊れたかもしれないが、構いやしない。こんな男からのメールなんて、もう要らない。
 紗理奈はその夜、泣きながらテレビのチャンネルを当てもなく変えていた。生憎と六月もあと数日で終わるということで、テレビでやっているのは六月の花嫁を主役にした幸せな恋愛ドラマだったり、六月に入籍した芸能人特集だとか、結婚を扱ったものばかりだ。
 女の子ばかりのアイドルグループを卒業した直後、人気作詞家と電撃結婚したという女子タレントが満面の笑みを湛えて大写しになっている。相手の作詞家はタキシードで、女性タレント自身は純白のウェディングドレス姿だ。デコルテを大胆に出したデザインで、華奢な首元には大粒のダイヤの首飾りが燦然と輝いている。二人は金屏風の前での公式記者会見でお揃いの指輪をこれ見よがしにかざして披露している。
 買ってきたばかりのラナンキュラスが急に萎れたように見える。あれほど鮮やかに輝いていた色彩が俄に色褪せた。
 三ヶ月も放置されていたのに、男から連絡が来て逢おうと言われただけで浮ついて花まで買った自分が馬鹿に思えた。
 長らく放っておかれたことを咎めもせず、ほいほいと逢う約束をした紗理奈は柿沼にはどのように見えたのか。餌を与えられる犬よろしく尻尾を振っているように見えたことだろう。
 紗理奈のベッドにはピンクのワンピースが無造作にひろげられている。これは一昨日、乗り換え駅地下街のブティックで買ったワンピースだった。シンプルなAラインで膝丈だが、丸く空いた襟元に細かなスワロフスキーエレメンツとパ―ルが派手すぎないほどに散りばめられている。そのせいか、かなりの値段で買うのを躊躇ったほどだ。が、店員が勧め上手であったのと、久しぶりに逢う男に見せたくて無理して買ったのだ。
「馬鹿みたい」
 紗理奈は呟き、傍らのチューハイ缶を煽った。
「向こうは素っ気ないメール一つで断れるような女だと思ってるのに、一人でその気になって浮かれてさ」
 涙が溢れ、頬をつたった。
「ホント、私って最低、馬鹿」
 テレビ画面では入籍発表会見に集まった記者たちの質問が飛び、女性タレントが笑顔で応えている。
―楠本さんのどこにいちばん惹かれましたか?
 これは新婦への質問である。女性タレントは傍らの新郎と視線を合わせてから、恥ずかしそうに微笑んだ。
―頼もしいところ、頼り甲斐のある―ところですか?
 と、最後は夫となったばかりの男性に話を振り、今度は別の記者からの質問が新郎に飛んだ。