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優しい嘘~奪われた6月の花嫁~

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 紗理奈は深い息を吐くと、電話を持ってリビングのソファに座る。広島の高校を卒業後、この関西の中規模どころの都市の短大に通うために親許を離れ、もう十年近くになる。盆や暮れには帰省するけれど、普段は寄りつきもしない娘に両親が嘆いているのは判っていた。帰る度に母が知人に頼んで紹介して貰ったという見合い相手の釣書と見合い写真が山のように待っている。
 柿沼とのことはもちろん、親は知らない。社長と同様に何よりも不名誉・道に外れた行いを嫌う父が知れば、紗理奈は勘当どころか殴り倒されるかもしれない。
 実家の電話番号を押すと、ほどなく父が出た。
―もしもし、山本ですが。
―お父さん、私よ。
―紗理奈か? どうした、突然。
―お母さんから電話があったみたいだから。
―そうか、今、代わる。
 ほどなく母の声になった。
―紗理奈、何をしようるんで、電話しても出た試しはないし、留守電にかけ直してな言うても、いっこもかけてこんし。心配しとったんよ。
 紗理奈は小さく息を吸い込んだ。
―平日の昼の日中にかけたって、私が出られんことはお母さんもよう知っとるじゃろ。
―それでも、夜には、かけられるじゃろうに。
 母は不満そうだ。紗理奈は会社での疲れがドッと出た気がした。母には申し訳ないが、今は母と長話できるほど心に余裕がない。
―何かあったん?
―内田さんところのりっちゃんがお嫁に行くんじゃって。でな、あんたに式と披露宴に来て欲しいいうて、りっちゃんもお母さんも思うとるらしいんじゃけど、招待状送っても、ええかなって家の方に電話があったんよ。
 紗理奈は溜息をついた。
―何でわざわざ、そんな面倒臭いことをするかな。呼びたいんなら、直接こっちに招待状送ってくれたらええし。
 母が少し躊躇う気配がした。
―何かな、向こうが言うには、紗理奈ちゃんはまだ独身じゃし、付き合うとる人もおらんようじゃから、招待状を送って、かえって気を悪うしたら困るかと気を遣うたらしいよ。
―なに、それ。
 紗理奈は不愉極まりなかった。りっちゃんというのは、小学校からの幼友達だが、いまは行き来はまったくなく、年賀状のやりとりくらいのものだ。その内田律子が近々結婚するという。紗理奈にしたら、式どころか披露宴に呼ばれるだけでも、そこまで親しくないのにと愕きだが、余計な気を回して実家に妙なことを訊ねるなんて失礼もはなはだしい。
―失礼な話ね。私はまだ二十七よ。そこまで気を遣われるほどの嫁き遅れじゃないのに。
 母が苦笑する。
―まあ、そう言われな。向こうにしたら、ええと思うて気を遣うてくれたんじゃろ。
―私、忙しいし、式も披露宴も行けんから。招待状なんか要らん言うといて。また、広島のあっちの家にお祝いでも現金書留で送っとくわ。
 それには母も頷いた。
―そうじゃな、あんたが気が進まんなら無理して行くこともなかろう。じゃけど、一遍休みにでも帰ってこられえ。倉敷の叔母さんに頼んどった見合いの話が二つ三つ来とるんよ。お母さん、写真と釣書を見たけど、皆、良さそうな男(ひと)じゃわ。何なら、そっちに送ろうか?
 冗談、と、紗理奈は呻いた。
―お母さん、ごめん。今、ちょっと疲れとるんよ。この後、会社の友達にも電話をかけんといけんし、今は切るわ。
―紗理奈、良い加減、広島に帰ってこられえ。私もお父さんも短大を出たら、こっちに帰ってくるいうて信じとったのに、向こうで就職までしてしもうて。うちはあんた一人しかおらんから、あんたに家を継いで欲しいんよ。百歩譲って嫁に出すにしても、嫁いだ先とうちの両方の仏さまの世話をして仏壇を守ってくれる男の人じゃないと―。
 延々と続く母の繰り言に、紗理奈はつい感情的になった。
―もう、切るわ。
 そのまま受話器を戻し、その場にくずおれた。仏さまの世話、か。聞いて呆れる。生きている紗理奈自身でさえ、自分の身を持て余しているというのに、顔も見たことのないご先祖さまのことまで考えて結婚相手を決めろだなんて、馬鹿みたい。
 続いて、柿沼の番号にかけた。しばらく呼び出し音が続き、しばらくぶりの声が受話器の向こうから聞こえてくる。
―もしもし。
―私。
 それだけで通じるのは、やはり五年間、親密な関係を続けてきた二人ならではであった。
 柿沼は自分からかけてきたにも拘わらず、何故か一瞬、押し黙った。
―何か用だった?
 会話が続かない。それでも、紗理奈は何気ないふりを装った。しばらくして柿沼が気まずい沈黙を破った。
―一度逢えないかな? 近い中が良いんだ。
 今度は紗理奈が口を閉じた。しばらく経ってから、逃げ口上にも聞こえる短い科白を返す。
―最近、忙しくて。
 長い間、音信不通だった男が性急に逢いたがるその理由は? 応えその一、急に逢いたくなったから、その二、別れ話を切り出したい。
 応えは恐らく後者の方だ。互いに夢中になって絶頂期にある恋のときはその一かもしれないが、柿沼から連絡が途絶えて、もう二ヶ月以上なのだ、急に逢いたいと急ぐ理由に希望的観測は何も浮かばない。
―時間ができたら、また連絡するわ。
 紗理奈はそのまま相手の話も聞かずに電話を切った。出なかった重い溜息が塊となって疲れと共に身体の奥底に沈んでいくようだ。
 ベッドルームに行き、いつもの習慣でパソコンを立ち上げる。
「どうせ誰も読んでないのに」
 ぼやきつつ通勤着からペールブルーのスウェットの上下に着替えた。家にいるときはいつも楽なこの格好だ。シニヨンにしていた背中までの長い髪を下ろして無造作にシュシュで纏める。
 その間に、パソコンは起動が終わっていた。これもいつもの癖でメールチェックをする。ダイレクトメールの山また山に舌打ちして、電源を切ろうとした時、またブログ運営局からのコメント通知が来ているのに気付いた。
 慌ててパソコンに飛びついて、コメントのついた記事をクリックする。今日のも何と昨日、舞い込んだコメントの送信者からだった。記事は同じで、紗理奈が書いた返信の後に更に返信という形で来ている。

―返信、嬉しくなっちゃって、またコメントしてしまいました。迷惑じゃなければ良いのですが。ラナンさんが教えてくれた紀行番組を近くのレンタル屋で借りて見ました。面白かったです。あんな綺麗な海を夢で見られたなんて、ラッキーですね。テレビで見ている中に、私も本当に行ってみたくなりました。
             KOCCO

 送信時間は今日に日付が変わってすぐになっていた。紗理奈が返信したのが午後十時くらいだったから、あれから割と早くに相手は返信を見て返してくれたのだ。
 まさかまた反応があるとは思ってみなかっただけに、紗理奈もまた嬉しくなった。

―私もまさかお返事がいただけるとは思ってなくて、とても嬉しいです。今日は会社でも帰ってきても色々とあって、何だか気持ちがどんよりとしてるところにコッコさんからのコメントが来てたから、癒されました。コッコさんは、どんな一日でしたか? それでは、今日はおやすみさない。
ラナン
    
流石にもうこれ以上のやりとりはないだろと思いつつ、その日、紗理奈はパソコンを閉じた。