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優しい嘘~奪われた6月の花嫁~

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 そんな【コッコ】をいつしか紗理奈は特別な存在として意識し、大切なものと思うようになっていた。だからこそ、柿沼から手酷い形で別れを告げられ死にたいと思った時、紗理奈は【コッコ】をいちばんに思い出した。
 そして男と女として対面したその瞬間、二人の繋がりは異性間の関係に発展した。それはくすぶっていた燠火が一挙に烈しく燃え上がったのにも似ているかもしれない。普通の恋愛からはかけ離れたプロセスであったが、愛という形の基本、一人の人間が一人の人間を心底から欲し必要とすることに変わりはなかった。
 少し歩いたところで、紗理奈が立ち止まった。名残惜しげに振り向いた先を香が視線で追う。紗理奈の視線の先には、二人が初めて結ばれた蒼色のホテルがあった。
「いつかまた来ような」
 香が優しい声音で言い、紗理奈の髪を撫でた。紗理奈が頷きクスンと洟を啜ると、彼が笑いながら紗理奈を引き寄せた。
「紗理奈って、こんなに泣き虫だったんだ? ホテルの中でもさんざん泣いたし」
「あれは違うわよ! 大体、香君の責任でしょ。私がもう止めてって幾ら頼んでも止めてくれないから」
 女性を抱くのは初めてだなんて言うから、どうなることかと心配していたのに、現実はベッドの中では紗理奈の方が翻弄されまくりだ。香の女体に対する興味は尽きないようで、かえって別の意味でこれからは心配しなければならなくなりそうである。
 紗理奈が口を尖らせて抗議すると、香が意地悪そうに笑う。
「だって、紗理奈の身体って抱き心地最高だもん。帰ったら、またしような?」
 整ったその面にハッとするほど艶めいた微笑が浮かび上がっている。紗理奈はその男の色香の滲む表情に鼓動が跳ねた。
「冗談、これ以上はお断りします。身体が保ちません」
 頬に朱を散らした紗理奈がそっぽを向くと、香が愉快そうに笑い声を上げる。それが癪で、紗理奈はますます熱くなる頬を両手で押さえながら一人で先に歩いていった。
「おい、紗理奈ちゃん、待ってくれよ。置いていかないでー」
 香が哀れっぽい声を出して追いかけてくる。姉と弟みたいだった今までの関係が完全に逆転してしまったような展開に気付き、笑いが込み上げてきた。
「ねえ、怒った?」
 追いついた香が紗理奈の後ろから訊ねてくる。紗理奈はクスクスと笑いながら応えた。
「当たり前でしょ。怒った」
「大好きだよ、紗理奈」
 唐突に後ろから抱きしめられ、紗理奈は立ち止まざるを得ない。
「今日はもうしないから、もう一度だけキスして」
 こんなときだけは弟がねだるように甘えられ、つい応えてしまう。首だけをねじ曲げるようにして振り向くと、香に強い力で引き寄せられ唇を奪われた。彼の唇はあれほど何度も体熱を放ったのが嘘のように、愕くほどまだ熱かった。しばらくキスを続けた後、二人は道路を横切り、私鉄沿線の無人駅に戻った。
 小さな駅にはプラットフォームに駅名を記した看板と木のベンチが置かれているだけだ。?幸先(さいさき)?と太字で記された看板の前で二人はそれぞれの携帯でツーショットの写真を撮った。
「知ってる? この駅は全国で縁起の良い名前の駅のベスト30に入ってるらしいよ。わざわざ遠くから写真を撮るためだけに来るって人もいるらしいから」
 香が教えてくれ、ベンチに座った紗理奈は頭上の看板を見上げた。
「幸先、確かに縁起が良い名前だものね」
「俺たちの幸先も良いのかな、ラナンさん」
「そうだと良いね、コッコちゃん」
 紗理奈と香はしばらく見つめ合い、香が差し出した手に紗理奈はそっと自分の手を重ねた。
「俺は今まで自分が女性を愛せるとは思っていなかったし、女を抱きたいという性衝動を感じたこともなかった。何でかな、紗理奈は初めて紗理奈のブログ記事を読んでコメント書いたときから、どんな女なのかなと興味があったんだ」
 紗理奈と香の前には輝く一枚の蒼布を思わせる海がひろがっている。
 きっと彼と過ごした今日という一日の想い出は、私にとって人生の宝物になるだろう。想いに耽っている紗理奈の耳を香の声が打った。
「これから恋人して付き合って欲しい。もちろん、結婚を前提として」
 いつしか空は蜜柑色に染まっている。まだかなり残っていた雲は今や殆ど晴れ、空は穏やかな黄昏時の色を滲ませていた。
 紗理奈は息を呑み、眼を凝らして頭上を仰いだ。ちぎれ雲がわずかに漂う空の果てに、七色の橋がかかっている。それはあたかも女人の胸許を飾る美しい七宝焼きの首飾りのようにキラキラと輝いて暮れなずむ空を鮮やかに彩っていた。
「虹」
 紗理奈の声に、香がハッとしたように空を見上げる。紗理奈は煌めく虹を見上げながら言った。
「これからもよろしくね」
 これから始まる幸せの予感に胸が震え、嬉し涙で夕焼け空が滲んだ。
 列車が線路を震わせ、近づいてくる音が聞こえ始める。紗理奈と香は列車に乗るために手を繋いだまま立ち上がった。
 
 



   エピローグ(終章)〜六月の花嫁(ジューンブライド)にあこがれ〜

 私はもう今朝から緊張のしっ放しだ。今日は待ち望んだ私と香君の結婚式である。
 胸許は開きすぎないVラインで、スカート部分が幾枚もの繊細なオーガンジーを重ねて花びらのようにふんわりとひろがっている。襟元にはパールが散りばめられ、真ん中に蒼い薔薇の飾りが一つ、ひろがったスカートの裾にも襟元と同じようにパールが波模様を描いている。とても気に入っているデザインで、この式の後、披露宴を行う宮島のホテルのブライダルサロンで借りたものだ。
 とても恥ずかしい話なのだけれど、私が着ているドレスはマタニティ用だ。そっと腹部に手のひらを添えると、既にこんもりと大きく突き出したお腹に触れる。
 香君と恋人として付き合うようになって、私はピルを飲むのを止めた。彼がそんなものは飲まなくて良いと言ってくれたので止めたのだが、服用を中止後、私はすぐに妊娠してしまった。
―どうしよう?
 妊娠が判ったときは随分とショックだった。
 彼はまだ学生で、卒業まであと一年はかかる。また、卒業後、すぐに望みどおりの就職先が見つかるかどうかも判らない状況である。こんな状態のときに妊娠してしまったというのは、私自身の迂闊さと未熟さであるような気がして、私は自分で自分を責めた。
 香君に話すこともできなくて、私は一人でひっそりと泣いた。丁度彼はその頃、提出するリポートがたくさんあって、寝る時間も惜しんで勉強していたせいもあった。
 むろん、広島の両親に告げることもできなかった。私が年下の男性と付き合っていることだけは話していたものの、まさか二十歳の学生が相手だと知れば、両親は大反対するであろうことは明らかだったからでもある。
 昔気質の父は私が入籍さえしていないのに妊娠したなどと知ったら、心臓麻痺を起こしてしまうかもしれない。
 悩んだ挙げ句、私は通勤途中のさる駅の近くにある産婦人科に中絶の予約を入れた。既に妊娠検査薬でしっかりと陽性が出ていたため、受診して確かめる必要もなかった。
 初診で妊娠は確定し、迷っている中にお腹の赤ちゃんはしっかりと成長して、もう三ヶ月も半ばを過ぎていた。中絶できるのは十一週までですよと言われたその時、私は既に十週だった。