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優しい嘘~奪われた6月の花嫁~

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 優しい彼はきっぱりと言い、外に出てきた。だが、雨は先刻よりまた少し烈しくなったみたいだ。紗理奈たちは今、ビニール製の白くて丸い屋根がついている玄関にいる。簡易な屋根だけれども、とにかく雨よけくらいにはなってくれる。
 それでも、烈しい吹き降りになりつつある今、この場所も雨宿りをするに理想的とは思えない。突風とともに雨雫が吹きつけてきて、長時間の中には二人とも濡れ鼠になるだろう。
「俺ができるだけ楯になるから、ラナンさんはこれを着て」
 香は自分が着ていたライトブルーのナイロンパーカーを脱ぎ、紗理奈の頭からすっぽり被せた。更に雨が少しでも当たらないようにと、紗理奈の前に立ち雨風から庇ってくれようとする。
 彼は早くも全身びっしょりだ。このままでは紗理奈も彼も風邪を引いてしまうし、下手をすれば大変なことになる。
 紗理奈は唇を噛んだ。自分だけの我が儘で彼を犠牲にはできない。
「香君、私なら大丈夫。全然平気だから、中に入ろう」
「でも」
 かえって彼の方が今度は難色を示していた。
「良いの」
 紗理奈はまだ踏ん張ろうとする香の腕を掴み、自分から自動ドアをくぐった。
 フロントは、こういうホテルの常として誰もいない。部屋の内装がパネル風になっていて、ズラリと並んでいる。こんな人気のない海辺で嵐のような日でも、それなりに利用者がいるのは愕きだ。
「適当で良いよね」
 香は口早に言い、二〇一のパネルを押した。
「かえって、こんな場所にいると目立つよ。行こう」
 早口で言い、短い廊下を歩いた先のエレベーターに乗り込んだ。エレベーターを降りてすぐ手前に?二〇一?と数字のついたドアが見えた。香が先に立ちドアを開け、紗理奈も後から続いた。
「―」
 紗理奈は息を呑んだ。ラブホテルだというから、安っぽい下品な内装を想像していたのだが、さして広くはない室内は清潔に整えられていた。外見と同様、部屋も鮮やかなブルーを基調として纏められている。
 壁もカーテンも床も綺麗な蒼だ。そういえば、と、改めて思い出した。ここへ来るまでの廊下にも毛足の長いブルーの絨毯が敷き詰められ、壁も蒼、並んだ二階の各部屋のドアも蒼だった。
「何か凄いな」
 気まずい沈黙に押し潰されそうになっていたところ、香が先に喋ってくれたので助かった。
「本当、どこもかしこもブルーだから、海の底にいるみたい」
 香が破顔した。
「さっき玄関でパネルを見たときさ、どの部屋も大体ブルー系統の内装だなって思ったんだ。ある部屋はブルーとホワイトのストライプだったり、パステルブルーにホワイトの水玉だったりとか」
「そうなんだ」
 彼の態度はどこまでも自然なように見えた。年下の彼が平然としているのに、紗理奈がたかだかラブホテルくらいで狼狽えてはおかしい。
 紗理奈はできるだけ平静に見えることを祈りながら笑顔をこしらえた。
 また沈黙。何か言わなければと焦る気持ちがつい口を開かせてしまった。
「そういえば」
「なに?」
 香が笑顔を向ける。紗理奈も笑顔で応えた。
「ここのホテルに似た場所を見たことがあるの」
「それって、どういうこと?」
「ほら、最初に香君がコメントくれたブログ記事。夢に出てきた海が元々はテレビの紀行番組で見た風景だって話したでしょう?」
「うんうん、そうだった」
 香の顔が好奇心で輝く。こういう表情になると、二十歳という若さが全開になり、まだ彼が本当に若いのだなという印象が強くなった。本当に彼はまだ若い。もう三十路が近い紗理奈とは違うのだ。奇妙なことに、香との年齢差を意識すればするほど、虚しい気持ちがひろがってゆく。
 だが、紗理奈は努めてその気持ちを封じ込めようとした。
 香を異性として見てはいないはずなのに、何故、彼との年齢差を殊更意識して暗い気持ちになるのか。紗理奈はその矛盾について敢えて考えないようにする。
「それでね。その同じ番組内でやっぱり、世界の絶景の一つとして紹介されたのがここっていうか、ここに似た場所だったの」
「へえ。ここに似た絶景って、どこなの?」
「シャウエンという町。モロッコにあるみたいよ」
「モロッコかぁ。俺なんて、一生かかっても行くことはなさそうだな」
 香は呟き、また好奇心に煌めく瞳を向けた。
「で、ここに似てたっていうシャウエンは、どういう風な場所だった? ホワイトヘブンビーチは海だから、似てるというのは何となく想像できるけど、このホテルに似てる場所っていうのは―」
 彼は首を傾げ、それから?あ?と声を上げた。
「もしかして、蒼い建物?」
 紗理奈は親指を立てた。
「グッド。そのとおり」
―ドアも壁も道も植木鉢でさえも蒼く塗られたとても現実とは思えない世界。蒼の迷宮と呼ばれるこの街の朝は遅いそうです。お日様が起き、人々がまだ眠る時間にひっそりと歩いてみたいですね。
 番組内でナビゲーション役の女の子が話していた科白をそのまま伝えると、香は唸った。
「何もかも蒼か。何か、それも迫力あるっていうか、凄いな。本当にそんな場所に行ったら、現実じゃない童話の世界にでもトリップしたみたいだろうな」
「確か、?迷い込みたい蒼の世界?というタイトルで紹介されてたと思う」
「迷い込みたい蒼の世界、か」
 香は紗理奈の言葉をなぞり、考え込むような顔になった。また静かになり、紗理奈は慌てて背後を振り返った。
 どうも先刻から自分は沈黙を必要以上に怖れているようだ。静けさに包まれると、この場所がラブホテルであるという逃れようのない事実を思い出し、彼とそこに二人きりであるのを意識してしまうから。
「ホント、壁もカーテンもベッドまで蒼―」
 言いかけ、ハッと手のひらを口に当てた。
 紗理奈のすぐ後ろに大きなベッドがある。大人二人が寝転んでも、十分に余りそうなほど巨大なベッドだ。このベッドの上で何が行われるか、紗理奈は一瞬想像してしまい、頬を赤らめた。
「とにかく濡れた服を脱いで着替えた方が良い。ラナンさんは昨夜、熱があったんだから。俺は後で良いから、先にシャワー浴びてあったまっておいでよ」
 香の声が少し上擦っているように聞こえるのは気のせいだろうか。彼は彼で視線を大きなダブルベッドには極力向けないようにしているのが丸分かりだ。
「ごめんなさい、私がベッドだなんて変なことを言ったから」
 その時、紗理奈はまた自分が失言をしてしまったことを悟った。彼は困ったような表情で首を振る。
「こういう場所だと知ってて雨宿りしようと言い出したのは俺だし。ラナンさんは悪くないよ」
 こんなときでも、彼は紗理奈を責めようとはしない。その優しさに心が熱くなった。
 その時、香のまなざしが急に翳ったのが判った。どうして―?
 その瞳の奥底に閃くのは紛れもない欲望だ。かつて柿沼が紗理奈を求めるときに見せたのとは比較にならないほどの熱さと烈しさを―所有欲さえ秘めている。
 紗理奈は彼の視線が自分の身体に注がれていることに漸く気付いた。改めて見やると、濡れたワンピースが身体に貼り付いて、身体の線が丸見えだ。スリップやブラの形までくっきりと浮き上がっている。狼狽えて両手を交差させ、自分の身体を抱きしめるように隠した。