慟哭の箱 5
退行
旭は一冊のノートを携えて、刑事とともに野上医師のもとを訪れた。今カウンセリングですからどっかそのへんでコーヒーでも飲んできたら、と刑事らを追い払った野上が、向かい合って座るソファの旭に笑いかけた。
「ノート、何か書いてあった?」
「…はい。真尋、という人格が。昨夜俺が眠ったあと、清瀬さんと話をしたみたいで」
目覚めたとき、旭は枕元に一冊のノートが置いてあることに気づいた。
清瀬はすでに発ったあとで、旭は誰もいないリビングに立ち尽くし孤独な気持ちと戦っていた。
清瀬はもう戻ってこないかもしれない。
そんな思いが離れなくて、怖くて、どうしようもなく足元が震えて。
「でも…これを読んで、励まされたんです」
めくった1ページ目に、見たこともない筆跡が並んでいるのを見つけ、旭はぽっかりと空いた心の穴が静かに満たされていくのを感じた。
――旭へ
手紙書くのなんて初めてで、うまく書けないけどごめん。
俺は真尋です。ずっと旭のことを見てきたよ。
さっき刑事さんと話して思った。俺たちきっとうまくいくよ。
今はまだ、わからないことも不安もいっぱいで、どうしていいかわかんないと思う。
だからみんなで一緒に頑張っていこう。
俺たちは何があっても、どんなことがあっても旭の味方だよ。
それだけは信じて。
全部を話せなくてごめん。またこうやって話しような。
あと、冷凍庫の俺のハーゲンダッツを刑事さんが勝手に食べちゃったから、ちゃんと買っといてって怒っといて!
真尋より
「ふふっ」
真尋の手紙を読んで野上が笑う。それを見て旭もつられて吹き出した。
「楽しいねこれ。それに、きみにはとっても心強い味方がいるってわかった」
「はい。俺も、返事書こうと思っています」
己の中の他人を、こんなにも身近に感じる。不確定で曖昧だった存在が、自身の中で旭をずっと見守っていてくれる。そのことが何より嬉しくて、旭は清瀬のいない数日を乗り越えていけそうな気がしたのだった。