慟哭の箱 5
「そうね。大丈夫、これが終わったら一緒に帰ろうね」
少しでも安心させたくて、野上は優しく声をかけて手を握る。
大丈夫。ちゃんと帰れるから。頑張ろうね。ここにいるから。そんな思いをこめて。
「須賀くんはそこで何をしているの?」
「…座って、る。すごく、くたびれた…帰りたい…」
「そばに誰かいる?」
沈黙。閉じられた瞼の裏で、まるであたりを見渡すかのように眼球が動いているのがわかる。
「親戚の…おばさんが、いる…着物…黒い、優しい声。なんか、言う…」
「なんて?」
「顔洗っておいでって…疲れて、俺、もう…早く帰りたくて、ここにたくなくて…」
ずいぶん情景や感情の再生が細やかになっている。深い催眠状態に入り、潜在意識へと迫っているのかもしれない。慎重に言葉を選びながら旭を導く野上の背にも、緊張と戸惑いの汗が伝う。
「帰りたい…清瀬さん…どこ…」
旭の表情が歪むのがわかった。きつく閉じた目、額には汗が浮かんでいる。明らかに様子が変化する。
「大丈夫。顔を洗ったら帰ろうね」
「顔…洗面所、洗面所に、いく…」
洗面所、と繰り返しつぶやく旭。まるでその先を恐れ、同じ場所にとどまろうとするように。
ここか。ここが、心が閉じ込めた記憶がある場所。
「洗面所に誰かいるの?」
ぎゅうっと野上の握った手を、旭が握りしめてくる
「おとこの、ひとがいる」
知っているひと?と問いかけようとしたとき。